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北京第二外国語学院留学体験記

外国語学部 中国語・日本語学科 大石 明日香
 
 私は、大学2年生のとき北京市にある北京第二外国語学院に1年間ほど留学しました。
大学に入ってから中国語を勉強し始めた私は、留学する前日まで大きな不安がたくさんありました。1年間勉強したとはいえ、会話が出来るわけではなく簡単なあいさつくらいしかわかりませんでした。大きな不安と大きな期待、両方を持って北京に飛び立った初日、私の予想は的中。一言も中国語が出ず、簡単なあいさつさえ恥ずかしくて喋れませんでした。授業が始まっても先生の話していることが理解できなく(授業はすべてネイティブの先生が中国語で行います)このままどうやって1年が過ぎていくのか想像も出来ませんでした。
自分の知っている単語と先生の言っている単語が日に日に一致していって1〜2ヶ月経った頃には授業内容が6〜7割理解できるようになり、半年経った頃には約9割理解できるようになりました。二外には多くの外国人留学生がいます。彼らとのコミュニケーションはもちろん中国語を用いますが、喋れない人は英語でコミュニケーションをとろうとします。しかしわたしの場合、英語は全く喋れなく簡単な単語だったら聞き取れるくらいだったので、中国語でコミュニケーションをとるしかありませんでした。私の友人は特に韓国人が多く、中国語を用いて会話をしていました。日本語を教えたり、逆に韓国語を教わったり、相手の文化も勉強することができて毎日がすごく楽しかったです。兄弟のように仲良くなれたことがわたしの自慢です。韓国の他にも10カ国以上の外人と友人になれて、また違う文化を勉強することができたし、何より日本が与えているイメージが大きいことがわかりました。中国人との交流も多く、彼らから中国の文化を学び、町を歩き、経済大国として発展途上の中国ですが一本違う路地を行けば瓦礫の山だったり、北京市内でも子どもがビラ配りやお金をせがってくる現場を多く体験しました。貧富の差が本当に大きい現実を知りこれからまた、どのように成長するのか見ていきたいです。
 夏休みには中国人・韓国人の友人3人で桂林に1週間くらい行きました。汽車で行ったのですが片道26時間…。一日ベットの上で横になってとっても苦痛でしたが、桂林は川が綺麗で川くだりをして、おいしいご飯をたくさん食べて、たくさん遊んで思い出に残る旅行になりました。この旅行で友人との仲も深まり、中国語もレベルアップしたと感じました。
 私の留学生活は毎日が驚きの連続で、日々新しいものを吸収し、自分でも成長しているのを実感できました。留学をしたことで自分にも自信がつき、中国語に対しても以前より興味がもてこれからももっともっと勉強したいとおもっています。
留学を決意することは簡単なことではないと思います。でも、決意して一歩をふみだしたら自分が予想もしなかった出来事が待ち受けています。そこを乗り越えることができたらまた違う自分に出会えると思います。私は生涯大切にしたいと思える友人が多く出来ました。行ってみたいと思える国も増えました。みなさんも機会があったら是非経験することをお勧めします。

外国語学部 中国語・日本語学科 久住尚平
 
 私は一年間の留学を経てとても貴重な体験や初めての経験をし、そして行かなければわからない中国の文化など言葉では言い表せないくらいの多くの事を学びました。言語や文化とは頭でわかっていることと実際肌で感じることはまるっきり全然違うことだということにも心から気付かされました。
私の行った先、北京第二外語学院(略して二外)では中国人はもちろん日本の違う大学の生徒や世界各国から中国語を学びに来た生徒たちが沢山居りますので、中国語を駆使し、様々な国の人とも交流しました。この留学で中国文化のみならず、世界各国の文化が垣間見え、世界により一層深い興味を持ちました。私は後期、留学生クラスの班長を皆から推薦されてしまい、最初は不安でいっぱいだったのですが、クラスの皆とても暖かくて優しい方達だったので、不甲斐ない私の班長の仕事を手伝ってくれたり、母国の食べ物を差し入れしてくれたりと、ずっと私を支えてくれました。
 しかし、その場に良い反面教師も多くいて、中国でも留学生活があまりに楽しく、現地の日本人とばかり集まり、遊び呆けたりする人。またほとんどの外国人の中国語はとても遅くて聞きとりやすく簡単な単語しか使わないうえ、自分の中国語が片言であったり、文法、発音がめちゃくちゃでも聞きとってくれるので、中国人とあまり交流せず、外国人ばかりとつるむ連中も少なくありませんでした。挙句の果てには登校拒否者や留学に来てまで塾での勉強をメインとしていたり、何ヶ月経っても買い物や観光などといったものを、中国語の上手い友達に任せっきりの者もいました。私はそういった風には絶対なるまいと、極力中国人の友達と会話、交流するよう心がけ、使いなれない中国語で恥をかきつつも使い続けました。留学で語学が伸びるか伸びないかは向上心の強さが、大きく左右するとそこで悟りました。中国は日本と比べると小汚く、サービスも悪いですが、物価がとても安く、大抵の事はお金でできてしまいます。その誘惑に捕らわれないよう向上心を持ち続け、現地の人たちと沢山交流すること。これを今度留学行く人たちにはアドバイスしたいです。
 二外では日本人交流会というものがあり、毎年留学生が会長を継いでいき、北京にいる日本人と日本語学科の中国人の学生を交流させるため、食事会の席を設けたり、一緒に卓球する場を設けたり、語学をお互い教えあったりなどとする会です。私はそこで多くの中国人と仲良くなり、私を誘って一緒に相互学習や北京の名所を周ったりしてくれました。そこで中国人に日本語を教えていた教師とも知り合いになりました。私はたまにその教師のお手伝いをして、授業の時中国人の生徒に聞かせるための日本語の教科書の録音をしました。その録音の途中、読めない字や、イントネーションがおかしいところがあると、日本語って結構難しいなと思わせたりされました。やはりそういった体験も初めてだったのでとても楽しかったです。私は北京に来てまもない右も左もわからない時、お世話になったのがこの日本人交流会です。だから後期、日本人交流会の仕事をし、新しく来た日本人留学生を支援しました。学園案内、住居手続きの手伝い、携帯の買い方、私の中国人の友達と彼らを交流させるための遠足に連れていったりしました。
私はあちらの大学で「ナイキクラブ」というものに参加していました。日本で言うとサークルみたいなものです。ナイキの会社が提携してマラソンを中心とした活動を行うクラブです。毎週一回、グランドで活動して、交流のための遠足も行われました。仲の良い中国人の学生さんに誘われて入ったのですが、そこは中国人だけのサークルだったので、一人だけ留学生というのに不安は最初はあったのですが、皆気軽に話しかけてくれ、簡単に打ち解けることができ活動もとても楽しかったです。ナイキの会社はよく大会やイベントを開き、二外のみならず、様々な大学のナイキクラブ、ナイキの社員、マラソン好きを巻き込んだ大会やイベントを開き、三里屯や天安門などの名所でマラソンをしました。時には上海や台湾でも大規模なマラソン大会を開き、ナイキクラブの人を招待してくれたので、私も共に行き走りました。雨の中土砂降りの中でも走ったことは今では良い思い出です。走りながら気軽に知らない人が話しかけてきて、仲良くなることもありました。
「私の友達に日本人の友達がいるから会わせたい」という生徒がよくいて、中国人の友達伝いで色んな日本人とも交流しました。中国に滞在中の夫婦や、中国に華道を広めている先生、各国を旅してボランティアなどをしているおじいさん達などです。大連に会社を持っているから仕事に困ったら来てね、なんて言う人もいました。また、夏休み、中国語のできる日本人に少し仕事を手伝ってほしいという話もあり、大望路郊外のゲーム会社で中国語のゲーム(アプリ的なもの)を日本語に翻訳してほしいというものでした。そこで、手伝いにそこの会社に行くと前期二外を卒業した日本人交流会会長がそこに就職していたりと不思議な廻り合わせがあったりしました。
 授業の終わったあと更に中国語を学びたいと思った人の大抵は仲良くなった中国人と相互学習をします。そこで初めて知る中国語の流行語や口語的表現、など学ぶことができます。そこで私も日本語を教えます。と言いたいところですが、二外の日本語学科の二年生、三年生レベルの質問になると上手く説明ができないのです。彼らの宿題や問題の答えは簡単にわかるのですが、何故これではなく、こうなのかなど聞かれると上手く答えられなく、自分の日本人の日本語への理解のなさが、わかってしまった時は、外国語を教える教師の難しさを気付かされました。それに、私達留学生に中国語を教える先生の中国語はとても聞きとりやすいのに、店の人やタクシーの運転手の中国語が聞きとりにくいのは先生がわかりやすい中国語を留学生のために使っているからなのだと知りました。先生の中国語を聞きとれてうかれているようでは駄目だと思いました。実際日本語学科の中国人でも先生の日本語や聞き取りテストの日本語は聞きとれるのに日本人留学生の日本語は聞きとれないという方が多くいました。
その他、長期の休みの時や、ビザギリギリまで、個人でもっと中国を周ってみたくなり、天津、北戴河、山西省にも行きました。友達に誘われ北京郊外の
農村に滞在した時もありました。そこではだだっ広い土レンガの敷居が建っており、その中に三つ四つの小さい建物があり、それ全体が一つの家です。敷居の中にはリンゴや棗の木が植えられていて、食べさせてもらいました。そこの果実はとても甘く、非常においしかったです。しかし、トイレしたあと自分で薬缶を使い、流さなくてはならない、道におびただしい量のゴミが散乱しているなど日本では考えられないことが多くありました。やはり中国の農村と共産党の格差問題は深刻だと改めて思いました。北戴河、山西省でも割と田舎なところなので、住民の服、何日も洗ってない髪を見ると、確かな貧富の差がわかります。場所によってはガス水道の通ってないところもありました。しかしそこでの生活もまた新鮮で、刺激のある何事にも代えがたい貴重な体験です。天津、北戴河、山西省ではもちろんのこと北京でも郊外の方は方言があります。そこではまだ軽い訛りなので、方言の法則を聞きよく集中して聞くと言っている意味も大体わかります。
 とにかく、様々な経験を掻い摘んで述べましたが、それでもここでは書ききれないくらい多くの経験と出会いがありました。この1年間は今までのどの1年間よりも充実していて濃密なものであり、自分が初めて家族や友達と離れ、生活していった経験でした。この1年間、自分なりによく成長できた時間でした。これからもこの経験を大事にし、今まで知り合った多くの人たちとの出会いも大切にし、また会いたいと思います。今や北京は自分の第二の故郷みたいな感覚です。また、この度の3月11日の大地震で留学時に出会った色んな方から、国を超えて、連絡があったことにいたく感動しました。留学に行けて本当に良かったと思います。

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