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当院のドクター紹介

「認知症を地域で支える」を合言葉に高齢者医療を行っています。

新年1人目のドクター紹介は、高齢診療科の鳥羽研二客員教授の登場です。

鳥羽 研二
名前 鳥羽 研二 (とば けんじ)
血液型 多分A型です。
昔、学生実習で検査をしたらA型でした。
趣味 スポーツ全般
今はゴルフばかりですが、学生時代は卓球やバレーボール、野球、陸上などさまざまなスポーツを経験しました。
専門 老年医学、認知症、転倒、老年症候群
外来日 月1回金曜日に変更
所属 高齢診療科 客員教授
※鳥羽教授は2009年3月に退職され、2010年4月より客員教授となりました。
プロフィール 昭和26年 長野県松本市に生まれる。
昭和53年 東京大学医学部卒業

医者の道を選んだ特別な理由はあるのですか?
 親に「医者だけにはなるな」と言われていました。 私の父親は大学病院で医師をしていました。当直があったり呼び出されたりと、医者の生活がいかに忙しいかを知っていたので息子には勧めなかったのだと思います。けれど一番の理由は、私の反抗する性格を見抜いていたのでしょう。医者になれと言ったら、反抗するのが目に見えていたのではないでしょうか。

私は長野県松本市の生まれです。小さな頃は布を糸で巻いて作った布鞠で野球や三角ベースをして遊んでいました。プラモデルを作るのも好きで、戦艦ヤマトを組み立てて遊んだりもしました。
そのプラモデルの影響でか、当時は船の設計士になりたいと思ったこともありました。

けれど、結局医者になった理由と言うと、あまり明確なことはなくて、ただ理系の学問が得意だったことと、毎日ネクタイを締めて働く仕事よりも医師は自由度が高いイメージがあったので選んだのだと思います。でも、医者もネクタイを締めて働く職業でしたけれど。

兄と姉と凧揚げをしたときの写真です。一番右側が私です。

それでは、医学部に入ってから「医者になる」と明確に意識するようになったのはいつ頃ですか?
 学生時代はよく遊んでいました。勉強以外のことは何でもよくできました。具体的に何をしていたかは、秘密にしておきます。いまでも当時の悪友達と仲良くしていますよ。

医学的な講義を受けるようになって「医者になるのだな」と実感してきたと思います。東大の医学部では、最初の2年間は教養を学びます。なので「医者になるのだ」と思えたのは3年生になってからです。一番思い出に残っている授業は、臨床講義の授業です。今ではもう行われていませんが、実際の患者さんが医学部の授業に参加されて、教壇に立って講義をしてくださる授業がありました。そこで、病気の辛さなど心理面を中心にお話してくれました。それから、入院している患者さんのベッドサイドに行って話しを伺う授業も思い出深いです。昔は厳しい先生が多くおられましたので、勉強が足りなくて随分怒られました。

医局対抗水泳大会をしたときの写真です。

先生が高齢医学を専門に選ばれたのは何故でしょうか。
 そうですね。一番のんびりしていて何をしているのか分からなくて、面白そうだったからでしょうか。専門の診療科だと専門性に特化していて、決まりきったシステムができています。そのため自由度が少なそうだなというイメージがありました。
東大の老人科に入局した後は、研究にも携わったのですが、指導医の先生から研究テーマをもらって、自分で勉強したり指導を受けたりしながら研究を続けていました。
当時、老人科の第5研究室は人数が少なくて私を含め3名しかいませんでした。そのため自由度はあったのですが、幸か不幸か、たぶん不幸なのですが先輩2人がやめてしまい、私が1人になってしまったことがありました。35歳くらいの頃で、指導者が急にいなくなってしまい、自分で考えて何事もこなさなければいけなかった、とても大変な時期でした。

その後、私もテネシー大学に留学をして基礎的なことや、仕事のやり方、考え方などを学んで東大に戻ってからは、その経験を活かして後輩指導と研究をするようになりました。後輩指導をしているうちに、高齢者の臨床研究の面白さを感じるようになり、高齢者医療の研究が楽しいと感じるようになりました。

ボストンで開かれた学会に参加したときの写真です。

医師になってうれしかったことや辛かったことはありますか?
 私は毎日が楽しいほうなので、毎日毎日うれしいのですが・・・。なので、特別うれしいと感じたことはすぐには思いつきません。
逆に辛かったことや苦しかったことと言われても、親を見ていて医者はサービス業で肉体的にも精神的にも負担があって大変なことは分かっていました。もしそれが嫌であれば医者にはなっていません。忙しさや辛さは想像を超えるものはなくて想定範囲内でした。なので、特に辛かったということも特に思いつきません。

杏林大学病院について感じることを教えてください。
杏林にきて9年になります。来て間もない頃は、確かに問題点というか、悪いところも良いところもありました。
来た頃に、良いところだなと思ったことは、臨床に熱心で患者さんに対する医師たちの取り組みが本当に立派なところです。どの医師も説明が分かりやすく治療を行っていて、患者さんとしっかり向き合っていました。これは大変いい面だと思いました。
逆に、物足りないなと感じたところは、大学病院として大学病院でしかできない臨床研究を生かした高度な医療が少し不十分だったことです。

9年経ってみた現在は、良いところの伝統が規律となって定まって受け継がれるようになりました。 杏林の卒業生は、どこの病院に行っても大変評判がいいです。それは、9年前と変わらず杏林の学生はしっかり患者さんと向き合える心を持っていることと、研修でみんな救急を経験しているため、とっさの処置が必要なときに、すばやく判断して懇切丁寧な対処ができる人が多いからではないでしょうか。杏林の学生は皆、技能・技術・知識・医師としての心構えが備わっている人が多いです。

一方、大学病院たる研究と臨床の融合は、9年経った今、各科で臨床研究や先端的な取り組みが盛んに行われるようになってきましたけれど、あともう1歩だと思います。現状に満足しないでもう少し上を見て、各科が競い合って日本一の大学病院を目指して欲しいと思います。
私も一診療科のトップとして、この高齢者医学の領域で日本のトップでいたいと思っています。

杏林大学病院の高齢診療科はどのような科ですか?
 高齢診療科の病棟は、高齢者の救急医療です。1・2次救急を受診して入院される方が8割いらっしゃいます。もともと外来をあまり受診されていない方も急に入院されてきます。
高齢者の方は複数の病気を抱えていて、そのうちの1つの疾病が急に悪くなり入院されてきます。大変心配になり心細いと感じていると思いますが、高齢診療科で様々な疾患をバランスよく治療しますので、6割の方はご自宅に帰れるようになっています。高齢診療科は高齢者の方の様々な病気の窓口となる診療科ですので、どのような疾病でもだいたい対処できます。専門性に特化した疾病であれば、他の診療科と連携して診療を行っています。何かお困りのことがありましたら、気軽に相談していただけるようにしてます。

高齢診療科では、主に「生活習慣病の予防」と「認知症の予防と治療」という2本柱で診療を行っています。特に認知症の治療においては、もの忘れセンターで治療を行っていますが、「早期発見と治療ケアまで」を柱に認知症診療を行っています。
もの忘れセンターはちょうど開設して2年になります。外来治療では診療パス(医療行為の計画書)を導入して、来院した全ての患者さんには決まった検査や心理テストを行ってもらいます。物忘れの程度や心の元気さ、生活の自立度などを測りまして、この結果を患者さん本人とご家族に丁寧に分かりやすく説明します。そして、患者さんと家族を含めた医療チームとして一緒に病気を治していこう、という方針で治療を行っています。

毎月行っている、ものわすれ教室ではどのようなことを行っているのでしょうか?
 もの忘れ教室は、1回6組から7組の家族で行う小さなクラスで、認知症患者さんのご家族を対象にした教室です。「物忘れとはどういうものか」から始まり「予防と治療」、「福祉の使い方」、「音楽療法や運動療法」などについてお話をしています。最近では、認知症の認定看護師や社会福祉士の講義もおこなっています。また、運動療法では太極拳の先生を呼んで運動指導をしています。このように様々な専門スタッフのよるチームケアの指導をしています。

このような少人数のクラスはとても効果的です。家族が質問したいことは大体共通しています。聞きたかったことだけれど、うまく説明できないことなどを、他のご家族が上手に質問してくれたりと、複数の家族で受けることで様々なことがわかります。

また、この教室を研修医や医学生が見学することで、医者の言葉とご家族・本人にお話しする言葉を聞いて、医療用語ではなく患者さんに分かりやすく説明する言葉と方法が身につきます。 医師にとっても、よい学びの場となる教室だと思っています。

もの忘れセンターには俳句や季節の写真が飾られていますが、何か理由があるのですか?
 認知症という症状は時間の感覚を喪失しやすい疾患です。そのため、季節感や時間の感覚を思い出してもらうため、もの忘れセンターの待合室には季節感をいかした絵と俳句が飾られています。そのように時間の感覚を確かめる方法を「見当識療法」と言います。これは「雪が降って寒ければ冬だな」というように、その環境を作ることで時間の感覚を思い出してもらうものです。
日本には四季があります。また俳句には季語があります。そのため、これらのものを外来の待合室に掲示しているのです。

また、もの忘れセンターでは俳句カルタを使った療法も取り入れています。
俳句とその句の内容を表した絵を合わせるカルタ遊びです。
実はこの俳句カルタは私の両親の手作りで、親からもらった宝物なんです。昔もらったものをコピーして、診療に取り入れています。
私の父は東大の絵画クラブに所属しており、とても絵が上手でした。また父と母は俳人の山口青邨(やまぐちせいそん)先生の門下で、ある程度俳句が読める人に与えられる同人という位をもらっていました。このカルタの絵は父が描き、俳句は両親が作ったものです。「大根干す 壁に投げたる 鞠のあと」なんて書いてあります。こういうようなものを取り入れた認知症治療を行っています。

もの忘れセンターに飾っている俳句と季節の写真です。

父と母が作ってくれた俳句と、父が作ってくれた絵札です。絵札の中に下手な絵が混ざっていますが、これは私が書いたものです。

それでは最後になりますが、患者さんへのメッセージをどうぞ。
 高齢医学には、医療だけではなく社会福祉との関わりが大切になってきます。杏林大学病院は地域の医師会や行政、その他の様々なNPO団体の方と、病院側は高齢診療科だけでなく地域連携室や事務の方、多くの医療スタッフの力を借りて、三鷹・武蔵野地区の認知症のネットワークを立ち上げて2年になります。ようやく、実務的なレベルにまで出来あがってきました。
どのような慢性疾患でも病気が長引けば様々な不便や心配事、ご家族だけでは解決できないこと、医師だけでは解決できないことが増えてきます。適切なサービスやアドバイスを助言できる人、あるいは薬以外に手助けが出来るような心のケアが出来る人などが必要になります。このような体制があることで、認知症や高齢者の慢性疾患の医療ケアがうまくいくのではないかと考えています。

このネットワークは国も大変重要性を認めていて、「認知症を地域で支える」という合言葉ができました。昨年5月に総理大臣補佐官の伊藤達也氏が杏林大学病院の視察にいらした際に「杏林大学病院の認知症ネットワークシステムはとても優れています。杏林のもの忘れセンターを中核とした連携を医療モデルにして欲しい。」と言ってくださいました。このような評価は大きすぎるかもしれませんが、この評価に負けないよう、これからも精進していきたいと思います。

鳥羽先生の診療科詳細は、右のリンクをご参照ください。

≪取材担当≫
企画運営室
広報・企画調査室






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