当院のドクター紹介

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ドクター紹介詳細

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「医は仁術なり」 決して「医は科学」ではありません。

2月のドクター紹介は、リハビリテーション科の岡島 康友 教授の紹介です。
リハビリテーション科は、病気や怪我で後遺症を受けた患者さんが元の生活に復するお手伝いをする診療科です。岡島先生がリハビリテーション科を専門にされた理由や、日ごろの診療の中で、リハビリテーション科医ならではの、うれしく感じることなどをうかがいました。

岡島 康友
名前 岡島 康友 (おかじま やすとも)
年齢・血液型 55歳(昭和30年5月15日)・ A型
趣味 食べること:新しいお店が出来たと聞くと、妻と2人で食べに行ったりします。和・洋・中何でも好きです。
ワイン:「無いと面白くない」と思うものです。
運動:時間が取れないので最近は出来ませんが、少し前まではテニスや釣りをしていました。
専門 リハビリテーション医学、臨床筋電図検査
外来日 月・水・金曜日 午前中
木曜日 午後(装具外来)
所属 リハビリテーション科 教授
リハビリテーション室 教授
プロフィール 昭和30年 東京都台東区に生まれる。
昭和55年 慶應大学医学部卒、同付属病院リハ科入局
国立療養所箱根病院、アーカンソー大学医学部リハ科フェロー、慶應大学医学部リハ科助手、東京専売病院リハ科医長を経て、
平成4年 慶應大学月が瀬リハセンター講師
平成9年 同助教授、副センター長、
平成13年7月 杏林大学医学部教授(リハ医学)、

日本リハ医学会・専門医・評議員・教育委員会委員長
日本臨床神経生理学会評議員・技術試験委員会委員

■ 小さな頃はどのような遊びをしていましたか?
また、台東区上野のご出身とのことですが、昔と比べて今の上野は変わりましたか?

学校が終わると直ぐに公園に遊びに行って、ほとんど1日中野球をしていました。
昔ならではですが、野球のボールが飛んでいってしまい、民家のガラスを割って、皆で慌てて逃げ帰るなど、そのようなこともありました。 ランドセルは持っていたのか1度家に戻ったのかは覚えていませんが、あまり家にはいない、活発な子供で、暗くなると仕方なく帰宅していたように思います。

上野は昔と比べて様変わりしました。駅にしても高架になって、人と車輌が接しなくてもよくなりました。昔は上野というと終着駅で、アメ横、出稼ぎの町といった雰囲気でしたけれど、今は新幹線も開通して、いろいろなお店が出来て、洗練されてきたと思います。

けれど、谷中や根津はあまり変わりません。古いお店も残っていますし、お寺も昔ながらです。

■ 子供の頃、将来の夢は何でしたか?
小学生の頃はあまり考えたことはありませんでしたが、中学生でクラブに入ったのをきっかけに、次第に自分に向いているものが分かってきました。

私は中学から慶応に進学したのですが、慶応はクラブ活動が盛んな学校で文科系と体育系の2つのクラブに所属する雰囲気がありました。 私はどちらかといえば運動神経が鈍いほうでしたので、体育会系はあまり体力を必要としないだろうと思われた弓道部に、文科系は実質的にはコンピュータ・クラブの数学研究会に入部しました。当時はパソコンなどまだ無い時代で、数学研究会では大学に初めて入ったIBMの大型コンピュータを使わせてもらいました。

そのコンピュータクラブに所属したのをきっかけに、理系の学問に興味が沸くようになりました。そこから、将来は理系の職業に付きたいと考えるようになったのです。そして、高校に入る前くらいには、将来は理工系かまたはそれ以外の理系の科目に進もうと、漠然と考えていました。

■ 理系の学問は、どのような部分に魅力を感じられたのですか?
理系の学問には1を知って10わかるといった部分があり、10わかったときの満足感は大きいです。コンピュータでも1つの言葉を知るとその応用範囲は膨大で、その言葉を使っていろいろなことをコンピュータにさせることができます。それも瞬時にやってくれるのです。

■ それでは、最初は工学の世界に興味をもたれていたのですね。
理系に進むとは決めていたのですが、高校生の後半に、実際に理系のどの学部に進もうかと具体的に考えたとき、理工学部に進んだクラブの先輩に話を聞きに行きました。けれど、そのとき聞いた先輩の話はもう次元が違う、別世界の話のようでした。とてもじゃないけれど、とても太刀打ちできないと感じました。

ならば、同じ理系の医学部に進んで、理工的な考えで医療に携わっていけばいいのではないかと考えたのです。なので、私の場合、医学部を選択したのは1歩引いて選んだ、というような感じでした。当時、理系で本当にスマートな人は理工学部を選択していたのが印象に残っています。

■ 大学時代の思い出を教えてください。
大学時代のクラブの思い出というと、スキーが辛かったということです。スキーは中学のスキースクールで始めて、自信があったので入部しました。
スキー部というと優雅なように感じられるかもしれませんが、スキー部は本当に厳しい部活でした。リフトを横目に30分以上かけて斜面を登り、滑ってはまた登る。自虐的な気持ちになったのを覚えています。スキー板を着けて雪山を登ることに意義があると皆、納得していましたので文句を言う者はいませんでした。

夏合宿も厳しく、昼寝の1時間と夕食後消灯までの数時間が生き返れる時間だったのを覚えています。マラソンも年に2回あって、山中湖1周と多摩川20キロで時間を競いました。スキー部の3年先輩には、日本人女性初の宇宙飛行士として話題になった向井千秋さんもいましたが、マラソンではいつも私の大分、前を走っておられました。


クラブと別に始めたのがスクーバダイビングでした。こちらは運動が不得手でもできると思いましたが、トレーニングでは深さ10mの素もぐりや立ち泳ぎ30分など結構、厳しい訓練もありました。

卒業後は手軽で楽なスポーツとしてテニスをはじめ、前の職場ではテニス部を率いて、シーズン中は年2回の合宿も含め、毎週、活動していました。しかし、なかなか上手くなりませんで、やはり鈍いですね。

■ 医学の授業を受けて、最初に感じたことは?
医学というのは理工学部的な見方からすると、分からないことがものすごくたくさんあると思いました。

ある現象があって、あることが起きるという理屈は分かっているのですが、そのメカニズムまでは解明されていないことばかりだな、ということを感じました。10を知るためには10を覚えないとならないと知らされました。
医学部に入る前は、科学というのは結構解明されているのだろうと思っていたのですが、医学ではわからないことばかりなのだ、ということです。

■ リハビリテーション科は、内科や外科よりも馴染みの薄い方が多いかと思いますが、どのような診療をするのでしょうか?
たとえば、脳卒中などの後遺症で麻痺などの障害が残った場合、それを最大限に和らげたり、社会生活に復することをお手伝いする診療科です。

杏林大学病院は急性期の病院なので、急性期のリハビリを行います。 たとえば、脳卒中あるいは整形外科の怪我で入院した患者さんが、まだ完全によくならない時期、通常は1ヶ月以内ですが、この時期に特化したリハビリを担当しているのです。リハビリに時間のかかる重い障害を持たれた方には、連携しているリハビリ専門施設を紹介してリハビリを続けていただいています。

なお杏林大学病院は、脳卒中で入院したら、入院とほぼ同時にリハビリを始めます。そして、3日か4日後には将来の方針が決まって、ご家族、ご本人にお話ができるような段取りになっています。

■ 先生は、何故リハビリテーションを専門にされたのですか?
それも高校時代に興味を持っていた理工学とつながっているのですが、リハビリと工学はとても近いと知ったから選びました。

医学と工学が融合した医工学という分野があるのですが、リハビリと工学が結びついたのがリハビリ工学です。恩師で母校のリハビリ科の創始者の影響ですが、アメリカでの経験からリハビリの学問としての自由さを日本で啓蒙され、理工学部に乗り込んでいくのを、学生時代に目の当たりにしました。ですからリハビリテーション科を迷わず選びました。

患者さんのケアに、どのように工学的なものを含めて提供できるか、工学技術はかなり医療に利用できるのです。例えば、障害をもたれた方の生活を介助するために機器や装具などが実際に役に立っています。介護ロボットや訓練ロボットもこれから応用分野です。

■ 学生の頃から思い描いていた工学と医学が融合された職業に就いて、どのような感想を持ちましたか?
医療は人との関わりです。工学が応用できる分野であろうと、そう簡単に割り切れるものではありません。昔から「医は仁術」といいますように、「医は科学」と思ったら大間違いです。そこをはき違えてはいけません。それを理解して、理想はあるけれども、実際の人に適用していくという姿勢が大切です。

■ 患者さんの診療に携わる中で、うれしいと感じることは何でしょうか?
それはたくさんあります。リハビリテーション科ならではのうれしいと感じることも多いです。

脳卒中や交通事故などの怪我で運ばれてきた患者さんは、救急室では意識障害があったり、パニックな状態で入院されてきます。そのため、患者さんは周りの状況を落ち着いて見ることが出来ません。患者さんが手術を終えて、ある程度落ち着かれた状態になって、密に接しているのがリハビリです。また、患者さんによっては退院後もリハビリの外来通院で、ある程度長期にわたって接することができます。

そのため、本当に大変なのは救急外来で真っ先に診察をした先生たちかも知れませんが、救急医の方には申し訳ないことに、患者さんから感謝されるのはリハビリの医師の方が多いかもしれません。その点では得しているかなと、思うことがあります。

また、リハビリは元の生活に患者さんが戻るお手伝いをする診療科ですので、病気が落ち着いてよかったというだけではなく、その後の生活というのを常に考えています。退院した後、ご自宅の状況や患者さんの生活スタイルといったプライベートなお話を、どうしても聞くようになります。そのため、医師と患者というよりも、もう少し近い感じの関係が築けるようになります。それがリハビリテーション科の特色だと思います。

■ リハビリテーション科医として、「これは困った」と感じることはありますか?
リハビリはチーム医療の最たるものです。リハビリという概念が生まれたときからチームじゃないと成り立たない診療科でした。チームが同じ目標にまとまらない限り、リハビリ医療が提供できません。けれど、チームを形成するということは、個々の人たちのレベルがある程度、高くなければいけないし、あるところでは妥協を、あるところでは自分が主導権をとらなければいけないところもあります。そのようなことが上手く回らないと、最良の治療結果の提供につながらない可能性さえ出てきます。そこがチーム医療の難しいところです。

杏林大学病院は、リハビリ科医にとってチーム医療を実践しやすい環境にあります。普通、大学病院というのは一つの診療科が一つの病院のような規模で、多診療科、多職種のチーム医療はやりにくいのが相場です。杏林大学は診療科、職種の垣根が低く、協力しやすい体質があります。それが、杏林大学の1つの特徴だと思います。

■ 先生が杏林大学病院について思うことは。
私は平成13年に杏林大学病院へ来ました。

診療科の垣根が低いこともありますが、全体に気持ちが若い人が多いように思います。士気が高い人が多いと感じます。それはとても大事なことだと思います。大学が古くなってある意味安定してしまうと、今度は沈滞し、士気が落ちていくことがあります。士気の高さは、私にとって、とても励みになります。

■ それでは、最後に患者さんへのメッセージをお願いします。
リハビリの患者さんというのは、脳卒中や交通障害による後遺症の治療を受ける方々です。
障害をもつ、ということは不幸にして障害を持ってしまった、と言えるかと思うのですが、気持ちが萎えて、ある意味絶望すると言う時期があります。けれど、視点を変えてみると、結構明るい見方もできるのです。例えば、「右手に障害が残ってしまったけれど、左手で同じようなことができるじゃないか」と考えるのも一つです。

リハビリというのは、そのような発想で行います。障害を持ったということに関して、受容れるのはなかなか難しいか、一生受容れることができないかもしれません。しかし、受容れとは別に、新しい展開があるものなのです。そのように考えていただければ、道は自ずと開かれます。



座右の銘

 和をもって尊しとなす

聖徳太子の言葉です。
リハビリテーション科は、何より和が大切な診療科です。他の診療科をつなぐ潤滑油をする役目があります。和を大切にチーム医療を実践することを基本にしなければいけません。



休日の楽しみ 

子供が手を離れてきましたので、犬を飼いました。トイプードルのプーという名前です。
犬と散歩が休日の私の仕事で、犬中心の生活を送っています。それが一つ息抜きでもあり、楽しみにもなっています。犬がいると旅行など行かれなくて不便じゃないかと言われますが、犬と一緒に行かれる旅行のプランを立てるのも面白いものです。これまで、伊豆や長野など色々なところに行きました。





ちなみに猫もいて、最初は一緒に旅行へ行っていましたが、猫はやっぱり家にいるのが一番幸せなようです。猫はピーという名前です。小さい頃「ピーピー」鳴いていて、そのまま名前になりました。




岡島先生の診療科詳細は、右のリンクをご参照ください。

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