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当院のドクター紹介

一見無駄のようなことでも、そういうところから信頼関係ができていくのだと思います。

今月のドクター紹介は、泌尿器科の奴田原紀久雄教授の紹介です。
学生の頃に夢中になったボート部のことや一人旅の思い出などを伺いました。

奴田原紀久雄
名前 奴田原紀久雄 (ぬたはらきくお)
血液型 AB型
趣味 昔は映画を見たり、博物館、美術館、寄席に行くことが好きでしたが、今は忙しさにかまけて無芸大食です。たまに読書をしています。
専門 泌尿器科全般、尿路結石(臨床研究は多発性のう胞腎)
所属 泌尿器科 教授
プロフィール 昭和27年 東京都に生まれる
昭和53年 岩手医科大学医学部卒業
同年 東京大学医学部泌尿器科入局
平成 2年 東京大学医学部泌尿器科講師
平成 6年 杏林大学医学部泌尿器科助教授
平成16年 杏林大学医学部泌尿器科教授

■ ご出身地はどちらですか?
 出身地はすぐそこの荻窪です。父親が産婦人科の開業医だったこともあり、自宅出産で生まれてから大学に入るまでずっと荻窪に住んでいました。昔の荻窪は田んぼや畑だらけで、空き地もたくさんありました。防空壕とかも残っていて子供の頃はよくそんなところで遊んでいました。私が生まれた頃は、青梅街道はまだ舗装されていなくて、信号もほとんどなく、牛や馬が有機肥料を乗せた荷車をごろごろ引いていました。杏林大学病院の裏側の方に今でも畑が少し残っていますが、あれを広くしたような雰囲気でした。父は往診もしていました。子供の頃は往診について行って、農家の方のところに行くと帰りにキュウリとかもらって抱えて帰ってくることもありました。まだ杏林大学の周りには農家の方がいらっしゃるから、もしかしたらこの近辺で開業し往診をすると、今でもこんなことがあるのかもしれません。実家の産婦人科は兄が継いでいます。

父とのツーショット。中学の頃、一緒に行った箱根仙石原にて。

■ 子供の頃はどのようなお子さんでしたか?
 大きいだけで何もとりえがない子供でした。小学校の頃から背は高くて、だいたいいつも学年で一番か二番でした。勉強は社会科とか文系の科目に興味がありましたが、算数とかも好きで将来何をしようか結構悩んでいました。
中学から高校まではバスケットボールをしていて、大学時代はボート部に入ってボートを漕いでいました。運動部に入ってしまうと、部活一色の生活になってしまいますね。それに私はひとつのことにハマるとそれしかやらない性格でして…。
 バスケットボールを始めた理由は、父親や兄がしていないことをしようと思ったからです。彼らに潜在的なコンプレックスがあったのかなと思います。今思うと、いろんなところにそういう反抗心のような気持ちがつきまとっていました。あの人たちがやらないことをやろうってね。バスケットのチームはあまり強くありませんでした。今思えば戦略とか戦術をもっと考えて、頭を使ってやらなければダメだったなと思います。「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」なんていう本を読んでおいたら、もっと面白くやれたのではないかと思います。

■ 学生時代のボート部の思い出を聞かせてください。
 ボート部の練習はとにかく厳しかったですね。医学部のボート部じゃないと思いました。毎年夏合宿は7月15日に始まって、8月最後の日曜日に終了でした。いつも8月の終わりの土日に全日本学生選手権大会があって、それに向けて練習をしていて、3年間くらいはそんな生活をしていました。
 ボート部の練習はまさに単純肉体労働のようなもので、ここでもあまり頭を使っていたとは思えません。理屈で体は動きませんから仕方のないことですが…。作戦を立てて指示を出す人は頭を使いますが、他の人は一生懸命漕ぐだけです。肉体労働者と知的労働者がきれいに分かれるスポーツですね。私が乗っていたのは(コックス)付きフォアという艇で、舵をとるコックス1名と漕ぎ手4名で編成されます。コックスは試合の時に他のチームと駆け引きをします。この人が知的労働者です。あとの4人の漕ぎ手は肉体労働者です。私は体が大きかったので肉体労働者でした。コックスができるほど賢くなかったですし、コックスは体重が軽い人がやる方が試合では有利になります。漕がないのに大きい人は乗せられませんからね。
 ボートは腕を使って漕いでいるように見えますが、主に使うのは足なんです。ボートを漕ぐときは艇に固定されたサンダルみたいなものに足を入れます。一方座席シートはコロ(車)がついていてレールの上を動くようになっています。 足の蹴り出す力を使って漕いでいきます。ボートを漕ぐことは、てこで重たいものを動かすのと同じことになります。ボートの中にいる人間にとってはオールを固定するところが支点になるのですが、外から見ている人にとってはオールの先端部、水につかっているところが支点になってみえます。疲れてくると(ゴールに近づくと)、こんなどうしようもない考えが、頭の中に浮かんで、ぐるぐる回っていました。筋トレや走り込みもやりました。もっともその頃ついた筋肉は今やすべて脂肪変性を来しています。

■ ボートの他に学生時代に好きだったことはありますか?
 一人旅をよくしていました。奈良県によく行っていて、当時奈良好きの学生や若者のあいだで有名な「日吉館」という名物旅館に毎年行っていました。その旅館はおばちゃんが一人で切り盛りしていて、宿泊費はとても安いのですが、当時の学生レベルからするとなかなかいい夕食(すき焼き)をたっぷり出してくれました。その旅館が好きでやってくる学生や若い人たちが何泊もしているようなところでした。旅館に着くと「今日あなたが寝るところはここね」と6人くらいの相部屋に通されます。食事の時間になると部屋に鍋が運ばれてきて相部屋の人たちと一緒に食べるので、そこでみんな打ち解けて友達になってしまいます。朝ご飯の時にみんな顔を合わせて今日はどこどこへ行くとか話をして、気が合うと一緒に回ったりしました。40年位前はそんなところもありました。日吉館に行くようになったきっかけは、誰かからそんな旅館があるという話を聞いておもしろそうだなと思ったからです。本当は紹介者が必要だったようですが、おばちゃんが玄関先で「こいつはいいよ」って言うと泊めてくれました。この旅館は「あおによし」というテレビドラマのモデルにもなりました。
 奈良は京都より観光地化していないところが好きですね。京都もいろいろ歩いていると思わぬ発見がありとても楽しいのですが、やはりきらびやかな感じがします。奈良では市内でも裏の方の道に入るとまだいい道が残っています。春日山から裏の方へ入っていく道とかよくいきました。今はハイキングコースも出来ているようですが、あの頃はもっとずっと寂れた感じがしていました。奈良から京都府に入ったすぐのあたりになるのですが、浄瑠璃寺、岩船寺という2つのお寺があり、このあたりの当尾の石仏もよく見に行きました。柳生一族の本拠地の西側になります。浄瑠璃寺では、伽藍の色が昔のままであったらと想像すると、藤原時代の人たちが抱いていた浄土がどんな世界であったかを想像することが出来ます。一方石仏にはそのような派手さはありません。それでいて心にストンとはいるところがあります。信仰心がないためか、私にとっての浄瑠璃寺は想像される創建当初のものより現在のものがよいですし、石仏もだんだん野のものに同化していった現在のものの方が心に響きます。全く勝手なものですけど…。長谷寺や室生寺もいいですね。熊野古道は最近行きました。もっと体力のある若い頃に行っておけば良かったと思います。このような道を昔の日本人は信仰心を抱きながら歩いたのかなと思いながら歩きます。昔から今につながる何かを感じることができます。
 高校生の頃から一人旅が好きで、ちょこちょこ行っていたのですが、昔のアルバムを見ても撮る人が自分しかいないので風景の写真ばっかりです。一人旅のいいところは知らないことが見えてくるところです。物として知らなかったものが見えることもありますし、自分自身の知らなかった面が見えることもあります。

「日吉館」で仲良くなった友人と。左上が私です。(1973年2月撮影)

 最初の一人旅は愛知県の渥美半島でした。これは本当になんの意味もない、ただ30kmの海岸線を歩いてみたい、半島の根っこから先端の伊良湖岬まで歩いてみたい、それだけの理由でした。丸一日かけて大きなズタ袋を背負って歩きましたが、あの頃は体力があったので割と楽に歩けました。旅行に出かける理由はいつも単純です。特に有益なことをしようというわけではなく、鈍行の夜行列車に乗ってみたいとかそんなことが動機になります。少し目的意識を持って旅行したのはお城巡りでしょうか。お城は建物そのものより、どういう街道や川に沿って築かれているかとか、どういう縄張り(いわゆる本丸とか二の丸とか行ったものの位置関係)で建てられているかという殿様や土木屋さんのような視点で見ることが好きです。建物がなく石垣だけでも満足なので、いろいろ行きました。どんな街道の分岐点にどんな風に展開して城が建っているのかを観察しながら歩いています。石垣の積み方とかも面白いですね。姫路城も綺麗な石垣ですが、江戸城(皇居)の天守台の石垣や、田安門のまわりの石垣は綺麗で見応えがあります。
 あと、あの頃はよく寄席に行っていました。学生時代は結構通いつめていました。今は年に1回知り合いと一緒に行くくらいですね。私が行ける時間に寄席はもう終わっているので、時間が合わなくなってしまいました。寄席のいいところは、みんな話や筋書きを知っていて、次に何を言うかもわかっている、だけど笑えるというところです(もっとも名人やうまい噺家さんが話せばということかもしれませんが)。噺のそこの部分で笑う心理ってなんなのかといいますと、きっと笑うために待っているんですね、「くるぞ」と思いながら。そういう空気が感じられる空間が好きです。例えば、演劇が好きな人は演劇空間のあの雰囲気が好きっていうのと同じで、笑ってやろうかなと待ち構えているあの雰囲気がいいですね。昔は結構厳しい人がいて、若い人が話していると後ろの方から「おもしろくない!」とか「へたくそ!」とか野次を飛ばして、「こうやって噺家を育てんだ」と言っていました。あの頃は毎日寄席通いをして前座さんからの話から聞いていると、「今日もあの兄ちゃんきているよ。あいつを笑わせてやろうよ」なんて噺家さんに標的にされたりすることもありました。映画「男はつらいよ」もそんなところがありますよね。寅さんが次にこう言うぞってわかっていて、言ったら「やっぱり言った」って笑うんです。不思議ですよね。ある意味で同じ目的意識を持った人たちが集まる空間というのは、こういったことを含めて居心地のいいものですね。

■ なぜ医師を目指したのですか?
 親が医者だったということが動機のひとつになっていたことは事実でしょうね。なんとなくそういう世界を見ていましたから。ただ先にも述べましたが、親に対する反抗心もありました。高校までは教養主義的なところがあって、何でも見たり聞いたりして知識を得る、そして全部得た中で将来のことを選ぶという感じがなんとなくあったと思います。そうやって見てきたものがある意味において全部おもしろかったのです。ただ芸術家にだけはなれないと最初から思っていました。おもしろくても才能がありませんでしたので。あの頃は見るもの聞くもの全てがおもしろかった。だからなんでもやってみたかった。大学の願書は随分色々な学部のものを集めました。理学系、農学系、工学部系、文学系、ただ経済と商学部はなかったような気がします。今からするとこれらも結構おもしろそうだと思います。浪人後の大学受験は最終的に医学部だけでした。この頃には少し目的意識がはっきりしてきたのかもしれません。
 それでいながら大学に在学中は歴史学や社会学をやりたいと思ったこともありました。ルネサンスの頃のヨーロッパ、アラブ社会に興味がありました。ヨーロッパとアラブとの関係は宗教の違いだけでは説明できません。時に宗教を離れての文化の交流があります。大きな目的意識を共通にもてるときもあります。現在ではこの2つの世界は随分と離れてしまっていますけどね。私自身の好奇心って、自分と違うことをしている、考えている人間っておもしろそうだと思うところから芽生えるような気がします。自分が持てない規範で生きている人がいることっておもしろいなと思います。
 最近では白川静さんの影響で古代中国のことに興味があります。それにしても文字の成立過程を丹念に研究して、その背後の社会の様子まで類推していくというのは、とてつもなく大変なことだと思います。ひょっとすると仮定自体が間違っている可能性すらあるのですが、それを感じさせない迫力があります。逆に言えばそれだからこそ彼を受け入れることができない大家も多いと思います。

■ なぜ泌尿器科を専門に選んだのですか?
 大学の講義を聞いていて植物生理と呼ばれる分野になるのですが、呼吸とか腎臓の機能はおもしろいと思い、腎臓に関わることをしたいと思いました。生理学の先生が言ったことで非常に心に残っていることがあります。腎臓では糸球体ろ過といって最初の尿の元を作るのですが1分間に100cc作ります。しかし、実際尿になって出てくるのは1ccだけです。では残りの99ccはどこにいってしまったかと言うと、再吸収という現象が行われています。ではなぜ生物はエネルギーを使って最初に作った100のものを1まで減らして体の外に出すということをしなければならないのか、生きる上で無駄ではないか、そこを考えて答えよというのがまず与えられた課題でした(実際は無駄ではなく、こうした方が非常に合理的です)。繰り返しで恐縮ですが、100のうち、99は捨てるつもりで出したのにもう一回体の中に取り込み直す、なぜこんな無駄なことをするのか。すごく矛盾していると思いませんか。一見無駄のように思えることをしている生物体ってなんだかおもしろいな、と思いました。あの先生にしてやられたという感じですね。ひとことでは言えない不思議を植え付けられて、未だにそれを引きずって生きています。すごい先生だなと思います。授業はあまり真面目に出席していませんでしたが、これだけはよく覚えています。

■ 医師になって嬉しかったことはなんですか?
 治療がうまくいってよかったなとか、元気になってよかったなとか、その時々の喜びは沢山あります。実際友人の手術をしたこともありますし、医師として人の役に立てることが嬉しいなと思います。医師は個人を助けることしかできません。社会とか国が困っている時に助けられる力が一番大きな力だと思うのですが、医師の力は非常に限定的な個人やその周りの家族くらいまでの影響力しかありません。でもそこが良いところであって、自分で応対できる、相手と話し合える範囲内と言えます。社会を大きく治そうとしても、社会自体がよくなったよと言ってくれる訳ではありませんので、よくなったかどうかわかりません。医師と患者さんの関係は、個人と個人が目の前で話し合ってできあがる関係だからいいのでしょうね。例えば自動車を作っても、私が作った自動車にあなたは乗っていますとは言えないじゃないですか。うちの会社が作った自動車とは言えますけどね。この車のこの部分を私がパチンとはめましたと言える自動車が目の前にあるという状況はなかなかないでしょう。仕事をする上で相手の顔が見えるというはいいですね。ただし人付き合いが嫌いな人にはオススメできない仕事です。

■ 医師になって困ったことはありますか?
 患者さんに説明しても、わかってもらえるかなと思うことがあります。こっちが伝えたいことと違うように思われてしまうことがあるので…。違うことを思っている人に物事を伝えることは難しいですが、それでも伝えなければなりません。伝える技術は本当に難しいと思います。特に命に関わることを伝えなければならないことがありますから。真摯に話したつもりでも、そう思うか思わないかは相手の方の感じ方もあるでしょう。そういう意味では日々挫折の連続です。しかし先程も言いましたが、違っている人がいるから面白いとも言えるのです。若い頃は、もっと経験のある医師に説明してもらいましょう、と言って他の医師にお任せできます。しかし、だんだんそういうことができなくなってきます。最初はお任せしてもいいから、先輩医師がどのように説明しているのか、相手の方は何が知りたいのか、考える必要があります。そして自分の言葉でしゃべるようになることが重要です。
 日本の社会では事実を言うと、そのことだけで言い方がきついように感じられてしまうことがあります。日本にはある程度の優しさや相互関係を重視してきた以前からの社会基盤があるためと思われます。しかし個人の権利を重視する社会では、個人に対してpaternalism(家長主義)的な態度をとって、つらい事実を覆い隠すことは権利の侵害になります。何事も自分の責任で今後のことを決定したいという人には、すべての情報を伝えなければなりません。
 30年くらい前は家族から本人には言わないでくださいとお願いされることが結構多くありました。今はそういうことは少なくなりましたが、ゼロではありません。逆に情報は全てください、あとは自分で判断しますという方が増えています。若い方は小さい頃から自分のことは自分で判断しなさいという教育を受けているので大多数が自己決定を重視する方向にあります。それでもやはり割り切れないことがあるのか、本当のことは教えないで欲しいとおっしゃる方は、数が減ってもずっといるのだと思います。
 また患者さんに「あなたはがんです」と伝えた時に、自己決定を重視される方でも、そうでない方でも、はじめはショックを受けてその後の話はすべて覚えていないということもあります。ですから告知したあとに「あなたのがんはこれくらいの程度で、治療法はこういうものがあります」とか、「あなたのがんは有効的な治療法が無いので痛みを和らげることが主な治療になります」といった話をしても何も残っていないということや、誤解をしているということが起こりえます。結局はこういった話を何回も繰り返してやっていくしかないということだと思います。個々の患者さんにわかりやすい説明ということを含めて日々反省と勉強です。

■ 先生の好きなことを教えてください。
 犬が好きで今はトイプードルを飼っています。前は大きなゴールデンレトリバーを飼っていたので、とたんに小さくなりました。日本で最初に飼われた犬は、米倉のねずみ捕り用だったといわれています。確か日本書紀にそのような記載があるとのことです。その意味で大きさだけは日本の飼い犬の原型に戻ってきました。名前は「アロン」くんです。しょっちゅう膝の上に乗ってきて、ねずみは捕りませんが猫みたいな犬ですよ。アロンという名前は我が家にくる前からついていた名前でした。血統書か何かに書いてあった名前です。血統書が付いている割には歯並びが悪かったり性格がちょっと抜けていたりして、芸は「待て」くらいしかできません。彼の特技は勝手に膝の上に乗ることです。犬の写真を撮るのは難しいですね。なかなかこっちを向いてくれないし、カメラを見ているとだんだん人相(犬相?)が悪くなってきます。散歩も私が連れていきます。最近は私の方が寒さに負けて連れて行ってあげられてないのですが。あ~ダメですね。犬の話になると止まらなくなってしまいます。

    愛犬のアロンです。

■ 患者さんへメッセージをお願いします
 わからないことはわからないと答えますので、何でも聞いてください。本当はお茶飲み話ができればいいですけどね。そのような気分でなんでもお話しください。近所づきあいの縁側で話すようなイメージでいろんな話をしに来てもらって、そういうことで人の役に立つことができればそれが一番いいのですが…。娘の結婚はどうしたらいいですかとか、何でもお話を聞きたいのですが、これをするには開業するかボランティアをするしかないですね。開業医の父は夜7時以降(医院業務が終わってから)にそういうことをしていました。いろんなところに飲みに行って相談(?)を受けていました。単に飲んべえのおしゃべり好きとも言えますが…。そういう父を見てきた影響があるのかな。一見無駄のようなことですが、そういうところで信頼関係ができていくというか…。先程の話で、自分で判断したいので情報を全部提供してください、という人とそうでない人がいると言いました。そうでない人はもう少しソフトに周囲の人で守ってあげて、本当のことを知らなくても、痛くなったら「心配ないよ。こうしてあげるからね」と言ってあげる。そうした方が適している場合もあるのかもしれません(最近はやりのコミュニタリアリズム、共同体主義的ですが)。これは個人の選択ですから、絶対こっちが良いとか悪いとかいう話ではありません。



座右の銘

千日の稽古を鍛とし、万日の稽古を練とす。よくよく吟味有るべきもの也。
 宮本武蔵が書いた五輪書の中の一節。少し落ち込んだあと、これからがんばっていこうと心に決めたときに思い出します。

人間ならば誰でも現実のすべてがみえるわけではない。多くの人は見たいと思う現実しか見ていない。
 カエサルの言葉のひとつです。見たくないと思えるものはたくさんあります。それらを見ていないと大きな落とし穴が待っていると思います。



奴田原先生の診療科詳細は、右のリンクをご参照ください。

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