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当院のドクター紹介

達成感がより大きいのが外科の魅力だと思います。

今月のドクター紹介は、消化器・一般外科の阿部展次准教授の紹介です。
子供の頃の夢や学生時代の思い出などを伺いました。

阿部 展次
名前 阿部 展次 (あべ のぶつぐ)
血液型 O型
趣味 テニス・やきとりを焼くこと・読書
専門 上部消化管、低侵襲治療(内視鏡治療・腹腔鏡治療)
所属  外科(消化器・一般外科) 准教授
プロフィール 昭和41年 東京都に生まれる
平成3年 杏林大学医学部卒業
平成3年 東京女子医科大学第二外科入局
平成7年 杏林大学大学院医学研究科
平成8年 東京理科大学生命科学研究所
平成11年 杏林大学大学院医学研究科修了
平成15年 杏林大学医学部外科講師
平成24年 同准教授

■ ご出身はどちらですか?
 東京都品川区です。戸越銀座と武蔵小山という商店街の中間点に住んでいて、家は歯科クリニックを開業していました。戸越銀座は東京では有名な商店街で、今でもしょっちゅうテレビに出ていますね。東京で商店街と言えばやはり戸越銀座です。武蔵小山は日本で初めてアーケードを付けた商店街として有名です。このような場所で育ちましたので、小学校の友達は商店の子が多くて、床屋や酒屋、乾物屋…いろいろいましたね。小さい頃は肉を買うなら肉屋さん、野菜を買うなら八百屋さんに行ったりね。品川ってわりと下町なんです。今でもたまに商店街を通ると床屋の同級生が髪切っていたり、物を売っていたりします。

  ※クリックすると大きいサイズの画像が表示されます。

4歳時の家族写真。裏磐梯五色沼をバックに。2歳年上の兄は現在、東京歯科大学の教授です。

■ 子供の頃はどんなお子さんでしたか?
 子供の頃は野球しかしていなかったような…。チームにも入っていましたが、学校が終わると必ずみんなで集まって野球をしていました。当時はドラえもんの世界みたいに空き地がたくさんあって、そこで皆で集まっていました。
 あとは5、6年生の頃にブルース・リーにハマりました。カラダを鍛えたり、ヌンチャクも自分で作ったりして。誰に披露するわけでもなく、一人で練習していました。近所の映画館で見た映画がきっかけで、完全にシビレちゃってね。今でも僕のパソコンにはいつでも見られるようにブルース・リーのお気に入りの格闘シーンが入っています。一番好きな映画は「ドラゴンへの道」です。
 中学までは真面目に野球をやっていたのですが、高校に入ってから少し遊びに走りまして…。スキー部に入って競技スキーをしたりしていたのですが、それ以外はバイクに乗って、ウインドサーフィンに行っていました。湘南、沼津、勝浦などの海までバイクに乗って行きました。夜に家を出て、バイクで箱根の山とかを越えて、朝に海に着いて、仮眠してウインドサーフィンして…。今思うと、よく親が許したなと思いますね。バイクはアルバイトをしてお金を貯めて買ったし、勉強もそこそこにしていたから、何も言わなかったのかなと思います。

小学6年生、品川区の地区大会で優勝しました。コーチの横でカップを持っているのが僕です。キャッチャーをやっていました。

 

高校2年生。ウエットスーツ、スキー板、ヘルメット、ウインドサーフィンの写真に囲まれて。

■ 子供の頃の夢は何でしたか?
 子供の頃は獣医になりたかった。動物が好きで、子供の頃はありとあらゆる生き物を飼っていました。犬・猫・ニワトリ・ハムスター・リス、昆虫類も好きでした。カエルもなぜか好きで、いろんな所に獲りに行っていました。ある日、友達がウシガエルを捕まえたんです。それが欲しくて欲しくて、自分が飼っていたカエル2匹と交換してもらいました。カマキリも好きでした。あの独特な風貌がたまらないですね。1度、家の中でカマキリのタマゴがかえってしまったことがあって、大変なことになりました。天井にカマキリの帯ができていました。今でもカエルとかカマキリ、カブトムシを見ると首の後ろが熱くなるくらいワクワクしますね。
 犬もずっと飼っていて、こよなく愛していたので完全に寝食を共にしていました。そんなことをしていたら、大学1年生の時に入院するくらいのひどい喘息になってしまったんです。それ以来、大好きな犬と少し距離を置かなくてはならなくなって。寂しかったですね。今でも犬を飼いたいなと思うんですが、残念ながら飼えません。

小学6年生。大好きなハムスターを頭に乗せ、後ろには大好きなブルース・リーのポスターが(笑)。

■ 先生の趣味を教えてください。
 趣味はテニスです。医師になってから始めたのですが、今も週に1回は必ずやっています。気の合うテニス好き仲間を集めてテニス同好会を作っていて、それも月に1回は活動しています。小学校6年生の息子もテニスをやっていて、彼と打ち合う時は無上の喜びを感じます。あと、医学部テニス部の顧問も務めています。

テニス部OB、MRさん、パラメディカル、テニス部現役部員、他病院医師、阿部ジュニアなどで構成される私設テニス同好会(KYORIN KGY TENNIS CLUB)。年1回行っている8時間耐久テニス時の写真。

 また、やきとりを焼くのも趣味です。備長炭を使って焼く本格的なやきとりです。自分で肉を買ってきて串に刺して焼いています。もともとやきとり屋に行くのが好きで、それが高じた結果なのでしょう。友人家族を招待して家で提灯つけて披露しています。ぬか漬けとかたくあん漬けも自分でやりますね。
 アイロンがけも趣味の領域に入っています。シャツが好きなので、全部自分でアイロンをかけます。最近、立ってアイロンがけできる台も買いました。いかにシワをキレイに伸ばすかを楽しみながらかけています。
 読書も好きで、特に浅田次郎、司馬遼太郎、宮本輝の書く世界にしびれてしまって、全巻3回くらい反復して読んでるくらいです。

友人家族を招いて、自宅のルーフバルコニーでやきとり屋開店。

 

ささみ、もも、むね肉を自分で切って、串に刺して、備長炭でじっくりと…。ウズラの卵も大好物。やきとりには、ほんのりと甘みのあるフランスのゲランドの塩が最高にマッチします。

■ 先生は杏林大学の卒業生ですね。学生時代の思い出を聞かせてください。
 大学では野球部に所属していました。M5の時に東日本医科学生総合体育大会でベスト8までいきました。意外と根が真面目なので、すごい打者になりたい!と思って、ひたすら走り込みや素振りをしていました。そのおかげか、M4の時には打率5割で、関東で首位打者になったんです。大学にグランドがないので、普段の練習はキャッチボールや素振り、筋トレくらいしかできなかったんです。そんな中で「何ができるかな」と考えて「じゃあ走り込もう」とやり始めました。

大学2年生。センター前ヒット。打順は引退するまで3番が定位置でした。

 

大学5年生の時に東医体でベスト8になりました。

 あとは春休みを利用して、オーストラリアに1ヶ月間ホームステイをしました。個人で業者に申し込んで行きました。一応語学の勉強という目的で行ったのですが、楽しくてね。思いっきり遊んでいました。車を借りてエアーズロック、ケアンズ、グレートバリアリーフ…いろんなところに行きました。3週間くらいの語学学校がプログラムに組み込まれていたのですが、学校に行ったのは最初の1週間くらいでした。オーストラリアの真ん中の牧場に3日間泊まれるというのを聞いて、急遽そこにファームステイしに行ったり。ホストファミリーは困ったでしょうね。
 勉強は、試験前はきっちりしていましたが、試験期間以外はあまり勉強しませんでした。席もだいたい一番後ろで、授業もほとんど聞いていませんでした。今、学生の授業を受け持っていますが、学生は今も昔もあまり変わりませんね。授業をする立場になって「意外と面白いことやってるんだけどなぁ」と思いながらやっています。

オーストラリアのエアーズロック近郊で。現地で知り合った友人とランドクルーザーを借りて疾走しました。向かって右が僕です。なぜ裸なのかは謎です。

■ なぜ医師を目指したのですか?
 受験の直前まで歯学部に行くつもりでした。でも、突然父親に「歯医者じゃなくて、医者がいいんじゃないか」と言われまして。僕も「そう?じゃあそうしようかな」って感じで。全然物語にならないですね。親が歯科医だから、自分も歯科医になるんだろうな、と漠然と思っていました。その頃、兄がすでに私立の歯学部に入っていて、自分は国立大学の歯学部に行こうと思っていたところに、父親からの思わぬ一言で受験校を急遽医学部に変更してしまいました。
 外科を選んだ理由とかきっかけは…あまりはっきり思い出せないのですが、自分の手で何かできる科を、という程度のものだったと思います。そして、外科の中で診療する範囲が一番広いのが消化器外科だったので、消化器外科に決めました。ジェネラル(全身・総合的)に診ることができる医師になりたかったんです。卒業した後は、仲の良い先輩が東京女子医科大学病院に勤務されていて、そのつながりで女子医大で研修させていただきました。関連病院を含めて4年間、女子医大で勤務していました。

■ 杏林大学病院について思うことを教えて下さい。
 杏林の卒業生が多いこともあり、横の連携、つまり診療科同士の連携がすごく良く取れていると思います。他科への患者さんの相談とか、とてもスムースにできます。いろんな大学の卒業生が集まっている病院は、他の診療科の先生方の顔が見えないことがあります。他科にコンサルトしたくても、医師たちがお互いに知らないと、なかなか診療科の垣根を越えにくいこともありますから。

■ 医師になって苦労したことや嬉しかったことは何ですか?
 研修医1年目の時は大変でした。朝7時からチーム回診があって、それまでに研修医は自分のチームの患者さん全員のお腹を診て、指導医に報告しなければなりませんでした。なので、毎日6時には病院に行って診療していました。休みは年間で4日くらいしかなかったですね。外科医は手術したら終わりというわけではなくて、手術後に標本の写真を撮ったり、リンパ節を採ったりするんです。それをやろうとしていると上の先生が来て「飲みに行くぞ」と言われて連れて行かれて。術後の作業は寝る時間を削ってやっていました。皆タフでした。それが辛くもあり、楽しくもあり、という感じでした。最初にそれを叩き込まれたので、以降は何事に対してもそんなに辛い・苦しいと思うことはないですね。僕たちより上の先生方はみんな同じようなことを最初にやっていると思います。最初の苦労、これは重要ですね。
 外科医ですから、いろんな手術ができるようになることが嬉しいですね。外科医3年目くらいの時から「あの手術ができるようになった、この手技もやらせてもらえた、次はあの手術か」と、たくさんの手術に関わることができるようになりました。本当の意味で、できるようになるのはもっと先なんですが、初めて手術をやらせてもらうとか、できるようになるとか、外科医ならではの至上の喜びですね。もちろんうまくいく時もあれば、いかない時もありました。うまくできた時は「今日は本当に楽しかったな」って思いながら寝るんです。多分、人間として一番幸せなんじゃないですか。眠りにつく時に「今日は楽しかったな」と思えるのって。達成感がより大きいのが外科の世界だと思いますし、それが外科の最大の魅力でしょう。

医師3年目、胃切除での術者の写真。前立ちの大きな手は、恩師、中谷雄三外科部長(聖隷浜松病院)。あの手があると、安心したなぁ…。

■ 先生が今後、力を入れて行いたいことを教えて下さい。
 内視鏡治療や腹腔鏡治療の低侵襲治療をもっと勉強して、それを後輩たちに伝えて、皆が上手にできるようになればいいなと思っています。低侵襲治療の良いところは、患者さんの負担が少なく、術後の回復が早く、すぐにしゃべることも歩くこともできるところです。患者さんのそういう姿を見ると、やっぱりいいなと思います。この低侵襲治療をたくさんの後輩に指導して、あわよくば自分よりはるかに上手な人が出てくるのを待っています。「この人にはもうかなわないな」っていう人をたくさん育てられたら嬉しいですよね。その達成感、充実感を味わいたいです。

■ 患者さんへメッセージをお願いします。
 胃がんと診断されたら、当院の消化器外科へいらしてください。いろんな治療法やオプションを持っている外科ですので、気兼ねなくなんでも相談してください。他の病院で開腹手術を行うと言われても、当院ではもしかしたら内視鏡治療ができるかもしれません。これは胃がんに関わらず医療全般で言えることなのですが、簡単に治療法を決めないで、他の病院の医師の意見を聞いてみたらいいと思います。いろんなことができるようになっている時代ですので、選択肢はたくさんあると思います。



座右の銘

奢らず謙虚で、分相応に。
 座右の銘と言うか、心がけていることですね。昔の上司がことあるごとに年賀状に書いてくれる言葉が「奢らず謙虚に」なんです。僕の場合はそれだけでは足りないので「奢らず謙虚で、分相応に」としています。「分相応に」は、自分の分ではないような背伸びした行為をしない、という意味です。背伸びしすぎることで失敗や後悔することがあると思います。今、自分ができることを最大限にやると心がけています。

手術は技術である。技術は極まるところなし。
 恩師から言われた言葉で、女子医大で受け継がれている言葉でもあります。もっと上手くなりたい、もっと助けたいと思って、日々自分が執刀した手術ビデオを見て、自らダメ出ししたりなんかして、反省しながら技術向上を目指しています。



阿部先生の診療科詳細は、右のリンクをご参照ください。

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