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当院のドクター紹介

一生勉強ですが、やりがいを持ちながら日々向上していければと思っています。

今月のドクター紹介は、腎臓・リウマチ膠原病内科の要伸也准教授の紹介です。
医師を目指したきっかけや留学中のお話などを伺いました。

要 伸也
名前 要 伸也 (かなめ しんや)
血液型 O型
趣味 フルート・ワイン
専門 腎臓・透析・リウマチ膠原病
所属 第一内科(腎臓・リウマチ膠原病内科) 准教授
プロフィール 昭和33年 兵庫県宝塚市に生まれる
昭和58年 東京大学医学部卒業
昭和60年 東京大学医学部附属病院分院第四内科入局
昭和62年 公立昭和病院腎臓内科(医長・事務代理)
平成2年 東京大学医学部附属病院分院第四内科(助手)
平成4年 米国ラホーヤ癌研究所(現Burnham研究所)研究員
平成11年 東京大学医学部附属病院分院第四内科(医局長)
平成13年 同病院腎臓・内分泌内科(助手)
平成16年 東京大学大学院医学系研究科 腎疾患総合医療センター講座(客員助教授)
平成19年 杏林大学医学部第一内科(助教授)
平成19年 同准教授、腎・透析センター長

■ ご出身はどちらですか?
 出身は兵庫県の宝塚市です。有名な宝塚歌劇場まで歩いて10分位のところに住んでいました。近くに宝塚温泉街があり、当時は観光客も結構多く賑やかでした。私の家は山の麓で、子供の頃は近くの山や川、家の庭などでよく遊びました。夏にはすぐそばの武庫川で大きな花火大会があって、毎年楽しみにしていました。宝塚歌劇場は自分にとってはただ近所にあるもの、という感じで、小学校の校外学習で1度見に行っただけです。たぶん、知らないうちにタカラジェンヌとすれ違っていたりしたのでしょうね。近くの動物園や遊園地にもよく行きました。

  ※クリックすると大きいサイズの画像が表示されます。

5歳頃。実家の庭でよく木登りしていました。

 

私は長男で、弟、妹の3人兄弟です。

■ 子供の頃はどんなお子さんでしたか?
 親によると、小さい頃はすごく甘えん坊だったようです。自然が豊かだったので、近くの山や川でよく遊びました。昆虫や小動物も好きで、とんぼや蝶、カエルなどをいつも追いかけていたのを覚えています。自然と、昆虫や動物、魚、植物の図鑑が愛読書になりました。それと、今も大事に持っているのが、バージニア・リー・バートンの「せいめいのれきし」という本。何百回読んだか分からないくらいです。宇宙の始まりから現代までの歴史がドラマ風に書かれた話で、今も時々読んでワクワクしています。あと、幼稚園の写真集に、将来は“ゆめのちょうとっきゅうのうんてんしゅさんになりたい”と書いてありました。ほとんど記憶にないのですが、たぶんいろいろなことに興味があったのだと思います。

バージニア・リー・バートンの「せいめいのれきし」と「ちいさいおうち」という絵本です。「ちいさいおうち」は心温まるお話で、この本も好きでした。

  

“ゆめのちょうとっきゅう”(新幹線)と記念撮影。

運動会でリレーの選手に選ばれました。(小学5年生)

高校の修学旅行で行った九州のどこかで撮影。

高校の体育祭。クラスメイトの集合写真。

■ 先生は東京大学出身ですね。学生時代の思い出を聞かせて下さい。
 大学ではテニス部に入り、東日本医科学生総合体育大会にも出場しましたが、その当時、ジミー・コナーズとかビョルン・ボルグが活躍していて、彼らに憧れて我流を直さなかったのであまり上達しませんでしたね。
 旅行にもよく出かけて、結構無茶もしました。一番思い出に残っているのは富士登山。ご来光を見ようと夜になってから登り始めたのですが、真っ暗で道に迷っちゃったんですね。気軽に軽装で行ったものだから、寒くてね。とにかく上に行けば何かあるだろうと思って、必死に登り、なんとか山小屋にたどり着いて泊めてもらいました。その時の星の美しさは今も目に焼き付いています。翌日頂上までたどり着き、その日に麓まで下りたのですが、どこかに泊まらないと帰れない時間になってしまいました。財布はほとんどカラだったのですが、宿の人に頼み込み、実家からお金を送ってもらうという約束で、何とか泊めてもらいました。そのほか、東北旅行に出かけ、夜も寝ないで車を運転したりと、今考えるとヒヤリとすることをたくさんしていました。

■ 趣味や好きなことを教えてください。
 今の趣味はフルートです。手軽にできる楽器はないかなと思い、4、5年前から始めました。子供の頃オルガンやピアノを習っていて、中学の時はギターに夢中になったりと、音楽は大好きです。週末に教室に通っていますが、なかなか練習時間が取れないのが悩みです。この年になると、人に叱られることが少なくなりますが、レッスンではそんなこと関係なく、できなければ叱られますので、初心に帰れる感じがとても新鮮です。
 ワインも好きです。種類が豊富で奥が深く、夕食が楽しくなります。ビールやお酒などのアルコールを家で飲むと家内に怒られますが、ワインはポリフェノールが含まれていて、健康にもいいだろうと。何本も衝動買いしてしまうことがあり、ワインセラーが欲しいのですが、置くスペースがなくて困っています。
 最近、囲碁にも興味を持っています。無限のパターンがあり、奥が深いところがとても気に入っています。全くの初心者なのですが、通勤中に問題を解いたりしています。体を動かすことも好きで、ときどき水泳に行きます。病院ではエレベータをできるだけ使わないようにしており、いつも7階の自分の部屋まで階段で上っています。

フルート発表会の様子。プロのバンドがバックで演奏してくれました。

 

サンフランシスコで開かれた学会の後にナパバレーのワイナリーに立ち寄りました。左から福岡先生、私、山田教授。(2007年)

■ 医師を目指したきっかけは何ですか?
 子供の頃は漠然と博士か研究者になりたいと思っていました。星や宇宙、生命の起源などに興味があったので、そういう研究ができればいいなと。ただ、一生の仕事にするにはちょっと抽象的だと思って、人の役に立ちそうな医学にしようと高校の時に気持ちがシフトしました。どうしても医師になりたいと思っていた訳ではなく、学問として興味がありました。
 卒業時に内科と脳外科で最後まで迷いましたが、内科の方が基礎医学的な勉強もしやすいかと思って、結局内科に進みました。いろいろな診療科を回った中で、腎臓が面白く、素晴らしい上司がいたこともあって腎臓病の研究室に入りました。教室の教授は東大にSOAPシステムを取り入れた教育にもとても熱心な方、直接の上司はアメリカUCLAの教授だった方でした。教育がアメリカ的で、まるでアメリカの研究室にいるような感じがすごく刺激的でした。この頃が私の医者としての原点ですね。
※SOAPシステム…問題点を S(Subject):主観的データ、O(Object):客観的データ、A(Assessment):情報の評価、P(Plan):治療計画、の4項目に分けてカルテに記録する問題指向型診療録のこと。

2002年4月頃。移転前の東大分院正門で(前列左から2人目が私)。

2007年の東大送別会。メッセージ入りの白衣を来てスピーチ。今も大事にしています。

2007年1月東大送別会で記念撮影。たくさんの人にお世話になりました。

■ 先生はアメリカへ留学されていますね。
 カリフォルニア州のサンディエゴにあるラホーヤ癌研究所という基礎医学の研究所に留学し、増殖因子の作用機序について研究しました。気候や研究環境は抜群でした。日本にいる時は研究に集中できる時間があまりなかったので、留学するときは研究に専念しようと決めていました。ずっと基礎医学を勉強してきた人たちばかりが世界中から集まっていたので、その中でやっていくのはなかなか大変でした。いくつかプロジェクトを試しましたが必ずしもうまくいかず、プロの基礎研究の厳しさも知りました。でも、その中で一つ論文をまとめられたのは良かったと思っています。

研究室の自分のベンチ。散らかっていますが、一人のスペースは結構広く、自由に使えました。

留学中は旅行もしました。こちらはグランドキャニオン。雄大な景色に目を見張りました。

留学時の家族の写真。子供(2人)は現地の幼稚園と小学校に入りました。

■ 留学して他に良かったことはありますか?
 留学は、当然ながら医学の勉強が第一の目的ですが、外国に行くと違う国の人と接して、自然に日本と比較したり、いろいろなことを考えるようになります。今振り返るとそれが良い経験になったと思います。特にアメリカは、いろいろな人種の人がいて、さまざまな意見を出し合い、社会システムや決まりを皆で作り上げている。日本はそういう点では一面的で、昔からの伝統とか慣習に捕われることもあります。もちろんいい面もあるのですが、変化が早い世の中で何かを作り上げていくには、臨機応変にベストの方法を探っていくことが大事です。その点で彼らにはとてもかなわないなと思いました。

研究室のミーティング。ボス(一番右)を囲んでフランクに研究の進み具合や最近の話題を話し合います(実は、合成写真です)。

 

帰国前、大勢で送別会を開いてくれました。

■ 留学中に阪神・淡路大震災が起こったそうですね。
 たまたま研究室の同僚が神戸で大きな地震があったと教えてくれて、すぐ宝塚の実家に電話をしたら、運よく繋がりました。家は全壊だったのですが、両親は2階にいて無事だと確認できました。ですが、階段も塞がれて外に出られないと言うんです。「いつここも崩れるか分からないから、もうだめかもしれない」なんて言われてね。でもどうすることもできなくて。その後は、日本にいる兄弟に連絡しても2週間以上全く電話が繋がらず、消息不明でした。両親はその後なんとか脱出できて助かったとわかったのですが、それから1年くらい仮設住宅に住んでいました。その頃、東大から帰ってこないかという話がありまして、すぐに帰りますと返事をしました。その直後に、今度は東京で地下鉄サリン事件が起こり、現地の同僚に、「なぜわざわざそんな危ないところに帰るのか」と不思議がられたのを覚えています。

■ 医師になって良かったこと・苦労したことを教えて下さい。
 医師になって後悔したことはありません。専門性を生かして頑張れば、その分跳ね返ってくる実感があるからです。特に、患者さんから「ありがとう」と感謝の言葉をいただくと、大きな励みになります。毎日やりがいを持って働ける、それが一番良かったと思っているところです。一生勉強で大変ですが、だからこそずっと進歩し続けることができる、というふうに考えています。
 苦労したのは、入局後しばらくして公立昭和病院に1年ほど出向した時のこと。当時、腎臓内科の専門医は私だけだったんです。1人で外来、病棟、透析センターの診療、さらに当直をすべてこなさねばならず、1年間ほとんど病院とアパートの往復でした。その頃はまだ若く、1~2年位で大学に戻れるという期限付きだったことで何とか頑張れたんだと思います。あとは、東大で医局長をしていた時、病院の閉鎖・引越しを経験したことです。たくさんの雑務をこなさなければならず、仕事量は想像以上でした。いずれも大変でしたが、今思い返すといい経験で、その時に比べると大抵のことは大丈夫、という妙な自信がついた気がします。

■ 病院や大学について思うことを教えて下さい。
 東大から杏林に移った時は、臨床のレベルが高いと感じました。救急医療に力を入れているだけあって、そういう教育がきちんとされているなというのが第一印象です。しばらくして感心したのは、まとまりがいいと言うか、病院で働いている全員が病院を良くしたい、と心から思っていることでした。みな同じ方向を向いて頑張っている。今回、第3病棟の引越し委員長をやらせてもらって、そのことを再認識しました。看護師や事務の方がとても協力的で、献身的にどんどん作業を進めてくれ、本当に素晴らしいと思いました。
 杏林大学に関して言えば、医学部や病院の評価も上がってきて、勢いを感じます。人に例えて言うなら青年期、これからどんどん成長していくところで、自分もその発展に少しでも貢献したいと思っています。

■ 先生がこれから力を入れて行いたいことは何ですか?
 これからは若い人の教育というか、教室や周りの人をいかに育てていくかが一番大事な仕事だと思っています。みながそれぞれの目標に向かって頑張れるような環境作りに力を入れていきたいです。当教室は腎臓とリウマチ膠原病が一緒になっている教室で、腎炎や血管炎の臨床研究が強みになっているので、そういった方面で、臨床を中心にしつつもこれまで自分が行ってきた基礎的なことも織り交ぜて研究を進めていければと思います。透析分野では、多摩地区の基幹施設としての責任を果たしてゆくこと、さらに、最近増えてきている学会業務、啓発活動なども重要だと思っています。個人的には、自分の専門分野で真の“Physician Scientist”になることが究極の目標です。“Physician”は医者、臨床家、“Scientist”は科学者ですね。「科学的な見方もできる臨床医」という意味で、そういう人を育て、自分もそうなりたいと思っています。

2007年11月、アメリカ腎臓学会で発表。

当教室が主催した日本腎臓学会東部会(山田教授大会長)の終了後、医局員全員で記念撮影(2011年)。

昨年サンディエゴで国際学会があり、留学中よく訪れたお気に入りスポットへ案内しました。この日も素晴らしい天気でした。

■ 患者さんへメッセージをお願いします。
 心を込めて、最高の医療を提供したいと思っています。誠心誠意、患者さんの診療を行いますので一緒に病気と向き合っていきましょう。



座右の銘

“Aim for a higher Standard”
一日一善

 一つ目は留学先のボスが帰国前に贈ってくれた言葉です。「より高いレベルを目指せ」という意味です。私の考え方と合致していて、すごくフィットしました。「一日一善」も私の解釈では同じ意味です。「正しく、かつ自分を高めていけること」を「一善」として、1日ひとつでいいから積み重ねていく。小さなことでもそれが達成感につながる。これは毎日続けなければならないので、「継続は力なり」。謙虚であれということで「実るほど頭を垂れる稲穂かな」。物事がうまくいかない時は「ピンチはチャンス」。それでもダメだったら「明日は明日の風が吹く」、と楽観的に割り切る。このように、座右の銘といったものはなく、その時の状況によって思い浮かべる言葉がたくさんあります。今年の医学部の卒業文集には、「Believe in your possibilities(自分の可能性を信じよ)」という言葉を書きました。これは自分自身に対するメッセージでもあり、いくつになっても自分の可能性を信じてチャレンジしていきたいと思っています。



要先生の診療科詳細は、右のリンクをご参照ください。

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