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当院のドクター紹介

「これで大丈夫」という考え方じゃなくて、常に振り返る努力をしていきたいですね。

今月のドクター紹介は、小児外科の浮山越史准教授の紹介です。
学生時代の思い出や小児外科を専門に選んだ理由などを伺いました。

浮山 越史
名前 浮山 越史 (うきやま えつじ)
血液型 A型
趣味 オートバイ:大型二輪の免許を持っています。
美味しいものを食べる:妻と安くて美味しいお店で食事をすることが好きです。
専門 小児救急、小児外科手術全般
所属 小児外科 准教授
プロフィール 1960年 福井県に生まれる
1986年 慶應義塾大学医学部卒業
1986年 慶應義塾大学医学部外科
1987年 芳賀赤十字病院外科
1988年 国立埼玉病院外科
1989年 慶應義塾大学医学部小児外科
1992年 国立栃木病院小児外科
1992年 ハーバード大学医学部/マサチューセッツ総合病院小児外科研究室
1994年 国立栃木病院小児外科
1995年 東京都立清瀬小児病院外科
1997年 浦和市立病院(現、さいたま市立病院)小児外科
2003年 杏林大学小児外科

■ ご出身はどちらですか?
 生まれたのは両親の田舎の福井県ですが、すぐに大阪に移りました。3歳の時に東京都の小金井市に移り、小学校に上がる時に三鷹市に引っ越してきました。小金井に住んでいる時に東京オリンピックが開催されて、甲州街道で日の丸を振ってマラソンの応援をしたことを覚えています。小学校はここからすぐ近くの中原小学校でした。
 このあたりも昔と変わりました。昔は井の頭通りの奥に中央線の踏切があって、その踏切がなかなかあかなくて、ここから吉祥寺に行くのに1時間以上かかりました。それに道路も1車線しかなかったのでそれも混雑の原因でした。今は高架になって踏切もなくなりましたし、道路も2車線になって、すごく便利になりました。

  ※クリックすると大きいサイズの画像が表示されます。

0歳。バンビの人形の方が大きいですね。

■ 子供の頃の思い出を聞かせてください。
 小学校5年生の時に友達と高尾山に登りに行って、皆で蛇を捕まえました。10匹くらい捕まえたと思うのですが、知らないおじさんがやって来て、その蛇を買っていった思い出があります。一匹100円くらいで買っていったと思います。なぜおじさんが蛇を買ったのか理由はわかりませんが、この出来事はよく覚えています。小学生の頃は神代植物園にもよく行って遊んでいました。カエルやオタマジャクシ、カメなどがたくさんいて、よく捕って帰りました。今は捕ったら怒られてしまうと思います。
 当時はウズラを飼うことが流行っていて、僕もリンゴの木箱でメスのウズラを2匹飼っていました。毎日たまごを産むのですが、たまに珍しい白いたまごを産むので、大切に戸棚に取っておいたところ、腐ってひどいにおいがしました。それからは白いたまごでもすぐに食べるようにしました。

2歳ごろ。おもちゃの銃を持ってにっこり。

 

10歳ごろ。近所の公園で。

■ 先生は慶應義塾大学出身ですね。学生時代の思い出を聞かせてください。
 学生の時はヨット部に所属していました。東日本医科学生総合体育大会に2回出場して、2回とも第一レース目でトップをとって、団体優勝しました。加藤さんという先輩と日本のB代表までいったことがあります。A代表はオリンピックに出場するような人達で、B代表はその下です。慶應大のヨット部は強くて有名です。5年連続優勝すると永久杯をもらえたのですが、4年連続優勝した次の年に負けてしまいました。学生の頃はほとんど江の島の海にいました。ヨットは自然との対話というか、風を見て、波を見て、海を見て、風を利用してスーッと進んでいく。エンジンとはまったく違う良さがあります。

■ なぜ医師を目指したのですか?
 1つは父が中学・高校くらいの時に「医は仁術」という言葉をよく使っていて、父は医師ではないのですが、「医者になったら?」と言われていました。また、母の親戚に医師がいて、そのおじさんの元によく連れて行かれました。
 もう1つは、高校2年生の時にクラスの友人が亡くなったんです。その子とは家も近く、仲が良かったので入院したと聞いてお見舞いに行きました。その時は「明日退院なんだよね」「よかったね」なんて言っていたのに、1週間後位に学校の先生から亡くなったと聞かされて…。原因が分からない不明死だったのですが、それがショックで納得できなくてね。彼に何が起きたのか解明したくて、医師になろうと思いました。

■ 専門に小児外科を選んだのはなぜですか?
 やはり子供が好きだっていうことですね。小児系に進むことは決めていて、技術を身につけたいなと思ったので小児外科にしました。「この道より我を生かす道なし この道を歩く」この言葉は武者小路実篤先生の言葉です。一度決めたことは最後まで貫く、レジデントの時に小児外科に進むと決めたので、3年間外科を勉強して、その後小児外科に進みました。
 医師になりたての頃は子供の調子が悪くなると僕も調子が悪くなってしまいました。その子の身になって考えていると、だんだん一緒になって元気がなくなってきてしまって、その子のご両親に「先生、大丈夫?」って心配されるくらいになってしまいました。これじゃいけないなと思い、今ではそんなに調子が悪くなることはなくなりましたが、その子の真の最善の治療は、自分のことのように考えないといけないと思っています。

レジデントの頃。後ろの病院は栃木県の芳賀赤十字病院です。

■ 先生はアメリカに留学されていますね。
 アメリカ・ボストンにあるマサチューセッツ総合病院の研究室で、たんぱく質を作る研究をしていました。研究室のボスがハーバード大学の小児外科の教授だったので、手術があると「見においで」と呼ばれて、手術の助手や検査なども手伝わせてもらったりもしましたが、主には研究をしに留学しました。僕は患者さんと同じ異常を持ったたんぱく質を作っていましたが、ある人はDNAを作って、ある人はタンパク質とDNAをくっつけてMRIで見て。僕が作ったたんぱく質を皆で活用して研究し、同時にたくさんの論文ができ上がるというアメリカの研究スタイルでした。
 研究室は土曜日の午後と日曜日は完全な休みだったので、休日は家族といろんな所に行きました。海や湖で泳いだり、マーサズ・ヴィニヤード島という、ケネディ元大統領とかが別荘を持つ高級別荘地に行ったり。空軍の航空ショーやバスケットボール、アメフト、野球などのスポーツ観戦もよく行きました。仕事にプライベートに、とても充実していました。もっといたかったですね。

留学先の研究室の仲間たちと。

■ 杏林大学病院について思うことを教えて下さい。
 杏林に来て10年くらい経ちますが、非常にお世話になっています。両親も杏林に入院したことがあります。長男もここで手術していますし、なにより、僕自身が杏林で手術してもらっています。
 10年前と変わったところは、建物が良くなったのは見てのとおりなのですが、医師のアメニティを考えてくれているなと思います。今はコンピューター完備のカンファレンスルームを作ってくれたり、研修医の待遇なども良くなりました。最近では電子カルテになって、今はまだ移行期ですが、最終的にはデータの集積などにより、よりよい診療に役立ちます。特に小児系の場合は、その人の50年、60年先の人生までフォローが必要であるので、長期の保管が必要ですから。

■ 先生が今後、力を入れて行いたいことを教えて下さい。
 今は小児救急の教育に力を入れていて、本を作ったり講演したりしています。より多くの小児の救急患者を救いたい、そのために小児救急医を育てたいと思っています。将来的には小児外科まで範囲を広げて、さらに発展させたいと思います。

このような参考書を手掛けています。

■ 医師になって嬉しかったことや苦労したことは何ですか?
 患者さんに感謝されるのはとても嬉しいことです。ただ、医療には限界があるので、どうしても悲しいことも起きます。どちらかというと嬉しいことよりも、「この治療が本当にこの子にとって最良の治療だったのか」と悩むことの方が多いです。でも慢心せずに、少しずつより良い治療を求めて悩むことが次の患者さんのために必要だと思っています。自分としては苦しい思いもあるのですが、「これで大丈夫」という考え方じゃなくて、常に振り返る努力をしていきたいですね。
 普通に仕事していて感謝される仕事ってなかなかないですからね。医師というのはそういう面で恵まれています。感謝される分、よりよい治療を求めていかなければならないと思います。

■ 患者さんへメッセージをお願いします。
 病気のお子さんにとって何が最良なのか考えて、それを実践したいと思います。



座右の銘

天に星、地に花、人に愛
 武者小路実篤先生の言葉です。何事にも愛を持つことが人として一番素晴らしいこと。人に対する愛を持つことが大切だと思うので、患者さんにも常に愛を持って接していきたいと思います。



浮山先生の診療科詳細は、右のリンクをご参照ください。

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