電話0422-47-5511

  1. トップページ
  2. 病院概要
  3. 当院のドクター紹介

当院のドクター紹介

たとえ病気を持っていても、高齢の患者さんが生き生きと生活できるように少しでもお手伝いできればと思っています。

今月のドクター紹介は、高齢診療科/もの忘れセンターの長谷川浩准教授の紹介です。
研修医時代の思い出や高齢医学を専門に選んだ理由などを伺いました。

長谷川浩
名前 長谷川 浩 (はせがわ ひろし)
血液型 A型
趣味 読書:歴史書や小説など色々な分野の本を読みます。ただ最近は忙しく積ん読(つんどく)状態です。
ウォーキング:心して歩くようにしています。いつも車から見る風景を歩いて見るとかなり違って見えることに新鮮な発見があるときがあります。
リペアリング:古い家具などの修理を頼まれているうちに少しずつコツがわかり、楽しくなってきましたが、なかなかやる時間が見つかりません。
専門 老年医学・認知症
所属 高齢診療科/もの忘れセンター 准教授
プロフィール 1961年 東京都に生まれる
1989年 千葉大学医学部卒業
1991年 慶應義塾大学医学部老年科
1992年 北里研究所病院内科
1993年 慶應義塾大学医学部老年科
2000年 米国Wake Forest大学医学部循環器科
2003年 杏林大学医学部高齢医学

■ 子供の頃はどんなお子さんでしたか?
 私は生まれも育ちも目黒区で、子供の頃はまだところどころに畑や空き地があり、近所の友達と今日はこっちの空き地、明日は向こうの空き地と、いろいろなところで外遊びをしていました。小学生低学年の時には“遠征”し過ぎて、おそらく多摩川の先まで行ってしまったんだと思いますが、ハッと気づいた時にはもう夕暮れで、とても慌てた記憶があります。家に着く頃には日がとっぷりと暮れてしまい、親に非常に叱られましたが、当然ですよね。もっと小さい頃は、読んだ本などの影響で宇宙飛行士や考古学者になりたいと本気で思っていました。

■ 学生時代の思い出を聞かせて下さい。
 区立の小・中学校に通っていたので、それまでの友達は住んでいる地域の人ばかりでした。都立青山高校に入り、色々な地域の人が集まってきて、それぞれの考え方ややり方があるということに少し驚きました。その頃の都立高校はかなり自由な雰囲気で、友達や学校自体が楽しいので毎日通っていた気がします。

 大学では水泳部に所属していて、当時は1年生から6年生まで合わせて12~13人の和気あいあいとしたこじんまりしたクラブでした。水泳部は東日本医科学生総合体育大会を含め夏に試合があるため、それに向けて練習をしなければならないのですが、夏休み前には定期試験があるため、いざ練習を始めるのは試合直前ということが多く、慌てて練習をするために故障者続出といった具合でした。今から考えればもう少し計画的に練習を行うべきだったと反省しています。先日、千葉大水泳部の同窓会が開かれるというので会場に行ったところ、盛大なパーティーが行われているところがあり、「大きなパーティーだなぁ」と思って見ていました。しかし、よく見るとそれが千葉大水泳部の同窓会でした。200人近くの大宴会で、かなりびっくりしました。同期の友人や後輩に話を聞くと、私が卒業した後から、特に女性の部員が増え、一時期は40~50人の大所帯になっていたとのことでした。時が変われば事情も変わるものだと感心しきりでした。

■ なぜ医師を目指したのですか?
 小さい頃は色んな職業を思い描いていました。父も勤務医ですが、ある意味潔良いというか、一度も私に医師になりなさいとは言いませんでした。父も朝早く出勤し、深夜に帰宅する生活でしたので、小さい頃はあまり遊んでもらえず、不満がありました。しかし、当時はまだ自宅に患者さんから連絡があることがあり、患者さんからお礼の手紙や電話を受けている時の父の満足そうな表情は今でも鮮明に覚えています。まさか自分が同じ道をたどるとは、正直その当時は全く思いませんでした。親戚にも医師がいて、周りから医師という仕事のやりがいや、責任の重さを聞かされるようになり、次第に医師になろうという気持ちに傾いて行きました。医師になろうと決めたのは高校3年生の時で、それまでのんびり過ごしていたので、そこから医学部入学まで必死に勉強しました。

■ 研修医時代の思い出を聞かせて下さい。
 千葉大を卒業し、千葉大学附属病院で初期研修を行いました。内科のローテーションの際に本来であれば1グループ12~13人で回るところ、我々のグループは色々な事情が重なって7人しかおらず、一人あたりの仕事量は他のグループの約2倍で、かなり忙しくなってしまいました。結果的にはこのメンバーの仲は非常に良くなり、結束力のあるグループとなりました。誰かが重症患者さんを受け持ち、他の仕事に手が回らなくなった時には他のメンバーが黙って手伝ったり、最後の方は、ほとんど言葉を交わさなくても、メンバーの考えや、今やってほしいことなどが解るようになりました。今でもこのメンバーはとても仲が良く、お互い忙しい中、食事をしたり、スケジュールを合わせて一泊の温泉旅行などにも行っています。

  ※クリックすると大きいサイズの画像が表示されます。

これは研修医終了直前の写真です。前に座っている奥山先生が出張にでるので送別会をやりました。

■ 専門に高齢医学を選んだのはなぜですか?
 当時は2年目の研修医でも外の病院へ夜間当直のお手伝いに行くことが許されていました。私が行ったのはその当時“老人病院”と言われていた病院ばかりでした。この頃はまだ高齢者に対する医療や介護が現在ほど整備されておらず、ほとんどの患者さんが“寝たきり”状態に置かれていました。私一人の力ではどうすることもできず、この時の鮮烈な経験が私に高齢医学・老年医学への強い興味をかきたてました。これから増えてくる高齢の患者さんに対し、自分で少しでもできることがあればと思い、この道を進むことを決めました。私がこの道に入っても、しばらくは全国的に高齢医学・老年医学は系統だっていない状況でした。しかし、現在、高齢化社会、超高齢化社会になり、世の中が高齢医学・老年医学を理解・発展させようという機運が高まり始めました。高齢者医療の問題は介護や福祉、社会全体とも深くかかわっており、医療者のみでは決めきれないことが多くなっています。皆で考え、さらに大きく発展させるべき分野であると考えています。

 また、私が医師になって数年経った頃、祖母が94歳で脳梗塞を発症して重度の失語症になってしまい、字が全く書けなくなってしまいました。祖母はそれをとてもくやしがっていました。そして、また周りとコミュニケーションを取りたいと強く思い、自ら字の練習を一から始めました。再び簡単な字を書けるようになったのには正直とても驚かされました。この出来事も高齢者の医療や、病気の高齢者の生き方について深く考えさせられる大きなきっかけとなっています。

祖母はこの頃、すでに足が弱くなっており杖を使っていましたが、杖をついている姿を撮られたくないということで、転ばないように私が支えています。

■ 先生はアメリカに留学されていますね。
 アメリカのノースカロライナ州ウインストンセーラム市にあるWake Forest大学循環器科へ心不全の基礎研究に2000年9月から2年半の間、留学しました。ノースカロライナ州は大西洋に面した東海岸にあり、気候が温暖で海も山もあって、イメージとしては日本では静岡県といったところでしょうか。たまに休みが取れた時に「海に行きたいけど、どうすればいい?」と同僚に聞いたところ「まあまあ近いよ、ここから600kmくらい」という答えを聞いた時にアメリカの広さを実感したものです。ちなみにノースカロライナ州だけで日本の本州の半分より少し大きめです。

 基礎の分野は色々な国から研究に来ており、競争の激しいところがありました。ここで実感したのは日本人研究者たちの優秀さ、勤勉さでした。私がお世話になった研究室のLittle教授は、日本人研究者の出すデータに信用を置いていました。それでも私の研究でLittle教授の予想と異なる結果が出た時は何度も実験をやり直し、データを積み重ね、とことんディスカッションをしたのは良い経験です。昨年、日本心臓病学会にLittle教授が講演に来られた時には、Little教授の元に留学していた医師が集まり、金沢の街を案内し旧交を温めました。

Wake Forest大学病院にあるチャペルの前で撮った写真です。

 

金沢でLittle教授と記念撮影。

■ 杏林大学病院について思うことを教えて下さい。
 杏林大学に来てちょうど10年経ちましたが、杏林大学病院は患者さんのことを一番に考える病院であると日々感じています。職員同士の仲が良く、一丸となって患者さんや地域のために日々の努力をおしまない姿勢は素晴らしいと思います。杏林大学の医師をはじめ様々な職種の方、患者さんたちから、私自身、この10年の間、手をかけ時間をかけて育てていただいていると感じています。この一部でも恩返しができればと思っています。

■ 先生が今後、力を入れて行いたいことを教えて下さい。
 高齢者の医療は介護や福祉、社会全体とも深くかかわっており、医療者のみでは決めきれないことが多くなっています。すでに高齢診療科やもの忘れセンターで行われている多職種連携や地域連携をもっと進めて、たとえ病気を持っていても、高齢の患者さんが生き生きと生活できるように少しでもお手伝いできればと思っています。

■ 医師になって嬉しかったことや苦労したことは何ですか?
 特に高齢の患者さんはいくつもの病気を発症されていることがあり、診断や治療が複雑になることがあります。しかし困難な治療の後、回復された患者さんやご家族から感謝の言葉をいただいた時などは何にも換えがたいうれしい気持ちと充足感があります。

 研修医の時もそうでしたが、後期研修でお世話になった北里研究所病院でも、ちょうど若手医師が少ない時期であり、私は当時の内科部長の患者さんも一緒に受け持つこととなりました。大変人気のある先生でしたので、自分の患者さんと合わせて一時期40人以上を受け持つこととなり、まさに目の回るような忙しさになりました。重症患者さんも多くいたので、最初の2週間ほど病院に泊まり込みました。忙しい時ほど患者さんの重症度や、その日の検査・処置の必要性を冷静に的確に判断し、患者さんとのコミュニケーションを絶やさず効率的に診療を行っていくということが非常に重要であるということを理解し、その技術を身に着けました。この時、偶然杏林大学から医師が研修に来ていました。非常に優秀な方で、お互い助け合って頼りにしており、今でも連絡を取り合っています。

■ 患者さんへメッセージをお願いします。
 ご高齢になると色々な病気や介護の問題を持たれることが多くなります。これらをかかりつけ医や、地域包括支援センターやケアマネジャーなど介護職の方々とも密接な連携を取りながらバランスよく診ることを心がけています。



座右の銘

Do the right thing
 アメリカで師事したLittle教授が言ってくださった言葉です。直訳すると“正しいことをしなさい”となりますが、この意味だけでなく、“やるべきことをやりなさい”“当然のことをしなさい”という意味もあるようです。競争の激しいアメリカで長い間努力された上でたどり着かれた真実の一つなのでしょう。私も、これからも高齢者医療や地域のため、杏林大学のために“やるべきことをやる”という気概で頑張りたいと思っています。



長谷川先生の診療科詳細は、右のリンクをご参照ください。

取材担当
企画運営室
広報・企画調査室







病院概要
医療安全管理・感染対策
施設のご案内
新着情報
情報公開
患者支援センターのご案内
人間ドックのご案内