電話0422-47-5511

  1. トップページ
  2. 病院概要
  3. 当院のドクター紹介

当院のドクター紹介

脳血管内治療はどんどん進化している。それと一緒に自分も成長していきたい。

今月のドクター紹介は、脳神経外科/脳卒中センターの佐藤栄志准教授の紹介です。
学生時代の思い出や専門としている脳血管内治療などについて伺いました。

佐藤栄志
名前 佐藤 栄志 (さとう えいし)
血液型 A型
趣味 家庭菜園: 庭のプランターでトマトやきゅうり、みかん、びわなど色々と育てています。果物を食べると必ず種が出てくるでしょう。これを捨てちゃうのがかわいそうで、何でも植えています。結構大きく育ちますよ。今年は食べられませんが、フォックス・フェイスを育てています。
専門 脳血管内治療
所属 脳神経外科/脳卒中センター 准教授
プロフィール 1959年 山形市に生まれる(母の里帰り出産)
1985年 杏林大学医学部卒業、脳神経外科教室入局
1995年 杏林大学大学院医学研究科(外科系脳神経外科専攻)卒業
1997年 稲城市立病院脳神経外科 部長
2007年 杏林大学脳神経外科 講師
2013年 同 准教授

■ 子供の頃はどんなお子さんでしたか?
 出身は東京都大田区で、今は大田区と言えば田園調布の住宅街とか羽田空港などを思い浮かべるかもしれませんが、私が子供の頃は昔ながらの下町の工業地帯で、実家も中小企業の町工場でした。幸い実家の庭が広かったので、よく弟と庭遊びをしていました。野球とかにはあまり興味がなくて、庭で遊んだり、母親が植物が好きだったので、その手伝いをしたりしていました。男3人兄弟ですが、みんなおとなしくて、ケンカなどもしませんでした。幼稚園から大学の2年生まで、ピアノを習っていましたが、断続的で、人前で披露する腕前ではないです。フルートやトランペットは、独学でちょっとだけやりました。小学校の高学年の時に鉄道が好きになり、弟と一緒に地方に蒸気機関車を見に行ったりしました。実は、昨年も蒸気機関車を見に行きました。今は「血管内治療のため脳神経外科で365日、脳卒中科で365日のオンコール」を続けているので遠出はたまにしかできません。

  ※クリックすると大きいサイズの画像が表示されます。

昨年の夏、久しぶりに蒸気機関車を見に行きました。今でも胸が高鳴ります。

■ なぜ医師を目指したのですか?
 私の父は医師免許を持っているのですが、会社を経営していた祖父が、脳出血で急死し、急遽、会社経営を継いで工場の社長になりました。左視床出血・脳室穿破だったそうです。昭和36年、CTの無い時代でしたが、剖検して分かったそうです。もしかしたら脳との繋がりはそこからあったのかも知れません。父から自分ができなかった臨床医になって欲しいと小さい頃から言われて育ち、母方の親戚はほとんどが医師でしたので、他の職業を考えたことがありませんでした。なので、強い意志で「医者になろう!」と思っていたのではなく、なんとなく「僕は医者になるのかな」と思っていました。父から医師の世界がどんなに素晴らしいか、よく聞かされました。自分が憧れていた仕事ができなかった、それを息子にやって欲しいという思いがあったんですね。私自身も、普通は子供の頃は野球選手になりたいとか、電車の運転手になりたいとか、あると思うのですが、医師以外の職業に興味が湧きませんでした。しかし、私が医学部4年生の時に父の会社が倒産したことを契機に、そんな父も50歳で初めて臨床に出て、今では他の病院で医師をやり、80歳を過ぎても当直もしています。医師という職業が好きなんですね。父は日食観測が趣味で、天文学も教えてもらいました。今も健在な両親とは、2009年と2010年に海外に日食を観に行きました。

2010年、タヒチから東へ700km位の小さな環礁(ハオ島)で初めて自分で撮った日食です。少し雲が掛かってしまいました。

■ 先生は杏林大学の10期生ですね。学生時代の思い出を聞かせてください。
 大学でラグビー部に入りました。小学生の時に体育でラグビーを経験して、ずっとやりたいなと思っていたのですが、中学・高校は運動部に入る勇気がありませんでした。大学に入ったらラグビーをやるぞ!と思っていたので、親はケガを心配して反対しましたが、押し切って入部しました。杏林大ラグビー部の歴史の中で一番弱い時期のラグビー部でしたが、5年生の時に主将もやらせてもらって、とても楽しかったです。三鷹キャンパスにはグラウンドがないので、平日は主に筋トレや走り込みをやって、土曜日は八王子キャンパスに練習しに行っていました。岡山県にある川崎医科大学と交流があって、毎年交互にお互いの大学へ行き来したりもしていました。大学の授業は東医体の試合で何回か欠席しましたが、それ以外はちゃんと出席していました。出席していたから成績が良いかというとそれは別の話で、とりあえず出席はしていました。

弱かったですが、一生懸命にやりました。指の骨を3回位骨折しました。6年間でトライは1つだけでした。

6年生の最後の試合の時の写真です。中央が私です。隣の赤いジャージの方は、第3内科OBの宇都宮先生(当時の監督)。この後輩たちの何人かは脳神経外科に入局してくれています。

■ 脳神経外科を専門に選んだのはなぜですか?
 6年生の時は人の心に興味があったので精神科にしようと思っていました。当時、国家試験の前に脳外科の医局で国家試験対策として勉強会をやっていたんです。それは客寄せと言うか、医局員の勧誘も狙いの一つだったんですが、私はクラス委員だったのでそういうイベントの取りまとめをしていた関係で、脳外科の医局に出入りしていました。そのうち脳外科の先生たちから「精神科を学びたいなら、当然、脳のことも知らなくちゃいけないね。生きている脳ミソを見られるのは脳外科医だけ!」と言われ始め、「それもそうだな」と思ったんです。クラブ活動の勧誘のように上手く乗せられてしまいました。今ではこの道を選んだことは全く後悔していないし、良かったなと思っています。当時の主任教授は日本の脳死判定基準を作った脳神経外科の権威である竹内一夫先生で、素晴らしい先生の下で勉強できるということも選んだ理由の一つです。

昭和58年、M5のポリクリで、当時、脳神経外科病棟であった旧3-3B病棟で、竹内先生との記念写真です。その頃は、脳神経外科に入局する予定はありませんでした。右端が私です。

■ 当時から脳血管内治療を行っていたのですか?
 私が卒業した昭和60年頃は世界的にもまだ脳血管内治療は盛んじゃなかったし、日本でもこういう治療がありますよ、というくらいで、私も若い頃はたくさん開頭手術をしました。当時、竹内先生は新しいことに力を入れておられたし、私のオーベン(指導医)が前村栄治先生とその上司の小西善史先生で、二人とも脳血管内治療を専門にしていましたので、私も少しずつ教えてもらいました。残念ながら、私は長期の留学経験がありませんが、小西先生の計らいで、稲城市立病院へ転勤する前の平成9年にロサンゼルスの南カリフォルニア大学神経放射線学に1か月間行き、当時の最新の脳血管内治療を見ることができました。

平成9年、ロサンゼルスの南カリフォルニア大学病院(USC)。神経放射線学のGeorge P Teitelbaum教授から借りた白衣が大きくブカブカです。

 

USC University Hospitalの隣は、ロサンゼルス郡立病院でLAC + USC Medical Centerとして、カリフォリニア州ロスアンゼルス郡がUSCと共同経営している病院です。以前は脳外科医の代名詞であった「ベン・ケーシー」の舞台となった所です。

平成10年、高知の学会の時、桂浜の坂本龍馬の銅像の前で小西先生と。小西先生とは、お互いに奥さんよりも長い付き合いで脳血管内治療をやって来ました。小西先生がとても若いです。

 脳血管内治療はこの数年間で急速に発達してきました。5年前には使えなかった医療機器や薬がここ2、3年でたくさん使えるようになっています。日本では開頭手術が7割、脳血管内治療が3割くらいですが、海外では逆でヨーロッパは8割、アメリカは6割くらいが開頭しない手術です。もちろん、開頭手術が悪い訳ではなく、どちらの治療が患者さんにとって良いか医学的根拠に基づいて決めています。ただ、脳血管内治療の方が脳や体にダメージが少ない低侵襲治療なので、日本でも優先的に選べる時代がくるといいですね。

■ 先生が今後、力を入れて行いたいことを教えて下さい。
 脳血管内治療の責任者として、若い医師を育成することはもちろんなのですが、この治療はまだ完成された治療でなくて、どんどん進化しています。医療機器や薬にしても常に新しいものが開発されていて、これらを使いこなすには私たち医師も一緒に進化しなければなりません。積極的に学会に参加したり研究会に行ったりして、自分も成長したいと思います。

■ 杏林大学病院について思うことを教えて下さい。
 一緒に准教授に昇進した皮膚科の水川良子先生と同級生なんですが、先日、水川先生に「もう杏林に来て30年以上になるんだよ」と言われて「そうか、もう人生の半分以上は杏林にいるんだ」と思いました。最近は建物も設備も人材(人財)もますます発展してきて、そうなってくると僕らも頑張らなきゃと思いますね。都内の、特に多摩地区全域を担っている病院ですから。それに、今度三鷹に新キャンパスができて八王子キャンパスの学部が移ってきますね。総合大学として保健学部や文系学部との連携を強化すれば、もっといい大学になると思います。余談ですが、実は家内が保健学部看護学科で准教授をやっています。

■ 医師になって嬉しかったことや苦労したことは何ですか?
 嬉しいことはやっぱり患者さんが良くなってくれることですね。治療した患者さんが元気に外来にきてくれて、「お元気でまた来月ね」と言うと「先生も身体に気をつけて」とか「先生の顔を見ると安心します」とか言ってもらえると、とても嬉しいです。特に私の両親ほどのお年の方から、頭を下げられると、治療して良かったな、と思います。反対に、良くない状態になってしまうと辛いです。以前、私が良くなるだろうと予想して治療していた患者さんが、どんどん悪くなってしまったことがあって…。患者さんの奥さんに病状説明していたらなんだかとても悲しくなってきて、説明中に泣いてしまったことがあります。

■ 患者さんへメッセージをお願いします。
 病院ホームページのスタッフ紹介のメッセージでも書いているのですが、私はまず外来でよく説明するようにしています。私たちは医療の専門家ですから日常的に「侵襲」とか「予後」とか難しい言葉を使います。でも患者さんたちは普段そんな言葉を使わないですよね。なので、できるだけ専門用語を使わないで説明するように心がけています。初めて外来にいらして、「じゃあ来週手術しましょう」とは絶対にならないですね。脳神経外科の手術や検査はリスクが高いので、治療するまでに何度も何度もお話して、患者さんやご家族にちゃんと理解・納得してもらってから始めるようにしています。分からないこと、疑問に思うことがありましたら、遠慮なく聞いて下さい。



座右の銘

“To cure sometimes, to relieve often, to comfort always.”
“時に癒し、しばしば苦痛を和らげ、常に慰める”

 これはカナダの内科医、ウイリアム・オスラー先生の言葉です。「癒す」「苦痛を和らげる」=「治療」の意味で、「慰める」=「患者さんとよく話をする」と解釈しています。医療において、治療、特に外科治療はごくわずかで、患者さんとしっかりと向き合うことが大半を占めていて、常にやらなければならないこと、という意味だと思っています。



佐藤先生の診療科詳細は、右のリンクをご参照ください。

取材担当
企画運営室
広報・企画調査室







病院概要
医療安全管理・感染対策
施設のご案内
新着情報
情報公開
患者支援センターのご案内
人間ドックのご案内