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当院のドクター紹介

薬疹の研究に今後も力を入れ、患者さんの治療に貢献したい

今月のドクター紹介は、皮膚科の狩野葉子教授の紹介です。
学生時代の思い出や力を入れて取り組んでいることなどについて伺いました。

名前 狩野葉子 (かのようこ)
血液型 O型
趣味 読書:読書など家でリラックスして過ごすことが好きです。
専門 薬疹、ウイルス性発疹症
所属 皮膚科 教授
プロフィール 1952年   山形県寒河江市に生まれる
1977年   杏林大学医学部卒業
1977年   杏林大学病院皮膚科 研修医
1979-85年 杏林大学病院 助手
1987年   国立大蔵病院 皮膚科医長
1992年   杏林大学医学部 講師
2000年      同上   助教授(2006年准教授)
2009年      同上   臨床教授


■ ご出身はどちらですか、幼少期の思い出を聞かせてください。
 出身は、山形県の寒河江市(さがえし)で、山形市からバスで50分程かかります。山に囲まれていて、自然豊かなところです。冬はとても寒く、家の周囲や屋根は深い雪で覆われ、子どもの頃は、雪かきをしたり、父が作ってくれたかまくらや滑り台でよく遊んでいました。その一方で、夏は盆地のため暑く、両親や姉と一緒に酒田市を通り抜け、日本海まで海水浴に行っていました。家では鶏を育てていて、私も手伝いで餌をあげたり、産みたての卵を食べていました。また、家の周りでたくさんの花も育てていました。家から5分程歩くと田んぼが広がっているのですが、そこが大好きな遊び場でした。自然の中でワイルドに駆け回っていましたね。また、家の中で読書をして過ごすことも好きで、小学生高学年の頃はシャーロックホームズなどの推理ものに夢中になっていた記憶があります。ペットは特に飼っていませんでしたが、3歳頃まで猫が大好きで、近所に姿を見せる猫をとても可愛がっていました。
 高校は山形市内だったため、親元を離れて下宿をしていました。その後大学は東京に出てきたため、寒河江市の地元で暮らしていた時期は中学までです。今も月に一度ほどは地元に戻ります。現在は、周囲の畑が住宅地になったり、立ち並ぶお店の様子が少し変わってきていますが、基本的にはそんなに変化はない田舎なので、戻るとリラックスできますね。

※クリックすると大きいサイズの画像が表示されます。
↓4歳頃、自宅近くの田んぼで遊んでいるところ

■ なぜ医師を目指したのですか?
 環境が大きかったと思います。両親は共に小児科の開業医で、日頃から子供の泣き声など診療室の様子を感じることができました。私が直接診療室に入ることはなかったのですが、いきいきと診療をしている母の姿が印象的だったこともあり、ごく自然に医師を目指すようになりました。姉も医療関係の仕事に従事しています。

■ 皮膚科を専門にしたのはなぜですか?
 始めは両親と同じ小児科に関心がありましたが、開業医ということもあり、昼夜を問わず働く姿から大変さがうかがえました。自分に合う専門について思案しているうちに、内科に関心が芽生えましたが、適性なども考えた後、大学卒業の数カ月前に皮膚科への入局を決めました。
 皮膚科は診療での様々な所見を一つずつ積み上げていき、次の診断や治療に活かしていきます。じっくりと病変を診られることが興味深く、自分に合っていると感じています。

■ 先生は杏林大学の出身ですね。学生時代の思い出などを聞かせてください。
 1970年に杏林大学医学部が開設され、私はその翌年に入学しました。2期生ということもあり、まだ学部のカリキュラムが柔軟に組まれている時代で、校舎は古かった様に記憶しています。現在は校舎が綺麗になり、学生達がうらやましいです。(笑)
 一番印象に残っていることは、5年次に行われた「ポリクリ」(Poliklinik:外来臨床実習)です。2週間ごとに各診療科で実習を行うのですが、普段は講義室で授業を受けるだけで直接話すことの少ない教授陣から、ベッドサイドで密に指導を受けることができました。今まで知らなかった先生方の人柄に触れることが興味深く、実習が毎回楽しみでした。私は人間観察が好きなのかもしれません。
 長期休暇では山形の実家に帰省し、家族と日常生活をゆったり過ごしてリフレッシュしていました。最終学年の6年次には、国家試験のためにひたすら勉強をしていた記憶があります。

■ 先生はアメリカで勉強されていますね。
 杏林大学病院で助手として勤務した後、1985年から1年半ほどアメリカのオクラホマシティに滞在しました。環境を変えて気分転換してみたいという思いがあり、自然が豊かで治安のよいオクラホマ州を選びました。また、医学以外の分野にも触れてみたかったのでオクラホマシティ大学に入学し生物学の学位を取得しました。その他に、アメリカの歴史などの教養講義も楽しみながら受けていました。
 はじめはほとんど英語ができなかったので、銀行口座の開設手続きなどでも四苦八苦していました。大学へ入学する前に数カ月英語学校に通い、ある程度の語学力をつけてから大学に入学しましたが、アメリカでの滞在期間は、人生の中で一番勉強した時期かもしれません(笑)。この時期の一番の成果は精神的にたくましくなったことでしょうか。好きなことだったから苦にならずにできたのでしょうね。
 

■ 医師になって大変だったことや、やりがいはなんですか?
 全ての疾患が治るわけではないため、患者さんへどのように説明するか、どう接していくかについて日々難しさを感じています。また、自分の考えていた疾患と違っていたり、後になって別の治療法があったのではと思うこともあるので、日々模索しながら最善を尽くしています。
 治りにくい疾患の患者さんの病状が良くなり笑顔で帰られた時にはとても喜びを感じます。その他にやりがいを感じることは、診療で経験した症例をまとめ、その特徴などを見いだして学会等で発表することです。

■ 今後、力を入れて行いたいことを教えてください。
 現在取り組んでいる、薬剤によって皮膚にできた病変-薬疹-に関する臨床的な研究について、今後も力を入れていきたいと思います。薬疹の研究を深めることにより患者さんの治療に貢献したいと考えています。1~2年に1度、海外の学会へ参加しており、今年はスイスのベルンやドイツのミュンヘンの学会などに参加しました。その他、国内の学会へも可能な限り参加しています。今年11月には杏林大学の公開講演会で塩原哲夫教授が講演されるので、そのパンフレット作成などにも参加する予定です。
 後輩の医師や学生の指導については、診療等で忙しいこともあり、ゆとりを持って教えることが難しいこともありますが、なるべく時間を取りきちんと教えていければと思っています。診療、臨床研究、学生の教育・後輩の育成を中心に取り組んでいます。

■ 先生は杏林大学を卒業し、長期にわたり杏林大学病院に勤めていますが、
 杏林大学・病院について思うことを教えて下さい。

 杏林大学医学部は自分の時代と比較すると先生方も充実し、建物や設備もどんどんよくなり、また、意欲的な学生も増えている印象を受けます。自主的にグループ学習を行ったり、クリニカルクラークシップ(診療参加型臨床実習)で海外へ出ていく学生も増えていることはいい傾向ではないでしょうか。医師として必要とされる知識も年々増える一方なので、大変だとは思いますが、頑張って立ち向かってほしいと思います。
 杏林大学病院については、各診療科の連携がしっかりできている病院であると思います。皮膚科に診察にきた患者さんでも、膠原病内科、呼吸器内科や形成外科などと関係するケースも多いのです。密に連携が取れているため、病態の把握や治療が行いやすいという点があげられます。

■ 患者さんへメッセージをお願いします。
 皮膚病変にはアレルギー性のものから内臓疾患に起因するものまで様々あります。慢性の疾患も多く、また、完治は難しい疾患もありますので、ご理解いただければと思います。患者さんの診療においては、日常生活の中に隠れている皮膚病変の発症因子や悪化因子を見つけだすとともに、内臓疾患に起因する皮膚疾患を念頭において適切に諸検査を行い、診療することを心がけています。
 どうか、心配な点があれば診療に足を運んでください。


座右の銘

しなやかに凛として生きる
時には人間関係などにおいても、スムーズにいかないこともありますが、本質的なところを見極めて対処し、しなやかに、そして、凛として生きていくことを理想として、日々仕事に取り組んでいます。

狩野先生の診療科詳細は、右のリンクをご参照ください。

取材担当
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