電話0422-47-5511

  1. トップページ
  2. 病院概要
  3. 当院のドクター紹介

当院のドクター紹介

目の病気は手術で治るケースも多いため、躊躇せずにまずは当院へ相談に来てください

今月のドクター紹介は、眼科(アイセンター)の井上 真教授の紹介です。
学生時代の思い出やアメリカ留学のお話などを伺いました。

井上 真
名前 井上 真 (いのうえ まこと)
血液型 A型
趣味・好きなもの 身体を動かすことなど
現在、毎日20分掛けて自転車通勤しています。

専門 網膜硝子体疾患、黄斑疾患
所属 眼科(アイセンター) 教授
プロフィール 1963年 徳島県に生まれる
1989年 慶應義塾大学医学部卒業
1989年 慶應義塾大学医学部眼科学教室入局
1994年 杏林大学眼科(網膜硝子体Clinical fellow)
1997年 Duke University Eye Centerに留学(Research fellow)
2003年 慶應義塾大学眼科専任講師
2007年 杏林大学眼科准教授
2014年10月  同大学教授


■ ご出身はどちらですか?子どもの頃はどんなお子さんでしたか?
 徳島県徳島市です。吉野川下流の地域で、市街を少し離れれば見渡す限り山と川という自然に囲まれたところで育ちました。気候は温暖ですが、冬には山に雪が積もります。のんびりと平和なところです。 子どもの頃はよく川でハゼ釣りをしていました。川は浅く穏やかなのですが、砂利採掘がされていたので、所々川底が深く、溺れる人もいて危険だったため、泳ぐことはありませんでした。じっとしているのが嫌な性格で、釣り以外にも草野球をしたり、いつも外で元気に遊びまわっていました。親からは落着きがないと言われていましたね。4つ年の離れた弟とも元気に遊んでいました。 父は昭和一桁生まれの頑固一徹という厳しい性格で、言うことを聞かない私はよく叱られていました。一方、母は穏やかな人でした。家族で旅行にもよく行った思い出があります。

               ※クリックすると大きいサイズの画像が表示されます。

            弟と一緒に、6歳頃

小学校の修学旅行(左から2人目)

■ なぜ医師を目指したのですか?
 中学時代は工学部を志望していました。機械などが好きで、将来は身体の悪い人のために、ロボット工学を応用した義足などの義肢を作る仕事に就きたいと思っていました。高校に上がった頃に、病を大もとから治療することのできる医師になりたいと思うようになりました。
 私の父は10代の頃に疎開しており、歯科医の親戚にお世話になったことがきっかけで歯科医師を目指していました。残念ながら家庭の事情等でその夢は叶わなかったので、息子の私には“歯科医になれ”とよく言っていました。私自身は我が道を行き医師になりましたが、弟は父の影響もあってか歯科医師になりました。

■ 眼科を専門にしたのはなぜですか?
 医学部生の頃は、機能回復等を行う整形外科に興味がありました。当時は現在と異なり、学部卒業と同時に、診療科を決める時代でした。仲の良い同級生達が眼科を選択し、私にも強い誘いがありました。眼科も機能回復の治療を行うという点で整形外科と共通点がありますし、実際、臨床現場に携わるうちに、患者さんが回復していく喜びを味わうようになり、網膜の疾患に対しての関心が深まりました。

■大学生時代の思い出を聞かせてください。
 1983年に慶應義塾大学に入学しましたが、学生の頃は部活に打ち込んでいましたね。ボート部に所属し、6年生まで活動していました。春・夏期休暇を含め年間の3分の1は合宿がありました。勉強より部活でしたね(笑)。大学全体の体育会系の部活にも一時期所属していましたが、朝5時~8時まで練習をし、授業に出た後、夕方から夜までまた練習、ということもありました。ハードなスケジュールでしたが、当時は疲れを感じませんでした。現在の医学部生はカリキュラムが詰まっていて大変かと思いますが、当時は勉学以外にも比較的時間を割くことができました。
 ボート競技は、個人、2人、4人、8人の艇が有り、個人と8人乗りの艇では当然、戦略の立て方が異なります。呼吸を合わせないとボートは前に進みません。部活で学んだことは大きく、チームワークに加え、苦しい時でも最後の一秒まであきらめず、相手と競り合い、勝つという精神力も鍛錬しました。6年生まで続いた理由は、楽しかったからというより、練習を重ねれば重ねるほど、実力がつき、成果が上がることに夢中になったからです。勉強でも医師の仕事でもその点は同じです。今の自分につながっていると思います。
 その他の思い出としては、同級生達と散々騒いだことでしょうか。同級生は100名程と比較的小規模だったこともあり、まとまりが良かったですね。今でも時々集まったりします。ちなみに、杏林大学総合医療学教室の岡本 晋先生や当院循環器内科の副島京子先生も同級生です。

母校が6大学野球で優勝した時には、仲間と提灯行列で盛り上がりました

 

学生の最後の夏休みは、海外の病院を見学訪問しました。 写真はボストンの病院にて。学友と共に

■ 先生はアメリカに留学されていますね。
 ノースカロライナ州ダーラムにあるデューク大学のアイセンターに、1997年から2年半ほど研究員として行きました。当院アイセンターの故樋田哲夫教授、平形明人教授や山田昌和教授も留学された同大学は、網膜の手術で有名です。私は、糖尿病に関する研究をしていました。その際に網膜硝子体手術では第一人者であるMachemer教授とも一緒に研究できたことは光栄でした。他のクリニカルフェローや海外のリサーチフェローとの交流も有意義で今でも続いています。
 ノースカロライナ州はのんびりしており、個人の生活を大切にしていたので、私もいいワークライフバランスが持てました。残念ながら帰国後は、日本型の仕事中心の生活に戻ってしまいましたが…。妻と幼い子ども2人(その後もう一人誕生)の家族4人で渡米したのですが、日常生活は快適に過ごすことができました。しかし、アメリカでは一度トラブルが起こると、自己解決が求められるため、大変な点もありました。おかげで交渉力が磨かれたと思います。

Duke Eye Center網膜グループの集合写真(右端が私)

土曜日の回診にて

           ライト兄弟初飛行の
           記念塔の前で

Machemer先生の退官パーティーにて

■ 医師になって嬉しかったことや苦労したことは何ですか?
 やはり、患者さんの病状が改善し、喜んで頂いた時が一番嬉しいですね。一方で、私は良い結果の方より、上手くいかなかった患者さんのほうが後々まで心に残ります。眼の治療は、見えるようになったか否か、結果が比較的早く明確に出るものです。つまり治療の良し悪しが患者さんに伝わりやすいということです。私の専門は網膜ですが、網膜は厚さ0.2〜0.3ミリの神経組織です。神経組織の付近または神経組織そのものを手術することに成りますが、疾患そのものが難治である場合や治療のタイミングを過ぎてしまった場合もあります。少しでも病状を回復できるよう、日々治療法の研究や技術の研鑽に努めています。

■ 忙しく、緊張も多い仕事かと思いますが、リフレッシュ方法はありますか?
 身体を動かすことが好きなので、時々時間があるとスポーツジムに足を運びます。その他には、学会・講演会で地方や海外に行った際に、会場を少し離れて温泉に行ったり、時間を有効に使ってその土地土地を楽しむようにしています。先日沖縄では、講演会の合間にダイビングをしました。

研修医時代に学会で訪れたハワイにて。 (一番左が私、その隣が当院アイセンター故樋田哲夫教授)

■ 先生は1994年のクリニカルフェローを経て、2007年4月に杏林に赴任されましたね。
杏林大学病院について思うことを教えて下さい。

 各病棟がリニューアルされ、以前と比較してとてもきれいになりましたね。ここまで大規模に改築した病院は少ないのではないでしょうか。設備や検査機器などの装置も新しいものを導入しており、ハードウェアが充実していると思います。眼科については、昔に比べ外来の看護師や検査技師の数が増え、医師はスムーズに診療に臨めるようになっていると思います。大所帯なので診療や手術の合間にはできるだけスタッフとコミュニケーションをとるようにしています。

■ 先生が今後、力を入れて行いたいことを教えてください。
 私の専門は網膜硝子体疾患と黄斑疾患です。今まで、手術方法として負担の少ない小切開硝子体手術を広める活動をしてきましたが、幸い現在ではこの手術方法が主流になりました。他大学や海外からも手術見学にいらっしゃる方が増えたと思います。
 その他に、画像診断を研究テーマとしてきました。眼科疾患への画像診断の精度は日々進歩しており、まだ病態が解明されていない病気も画像診断で判明できるようになってきています。そのため、画像診断を通した新たな病態の解明に今後も、取り組んでいきたいと思っています。また、手術結果の分析にも役立てていきたいです。
 網膜の手術方法はまだまだ限界があると感じています。現状を打破するためには、新しい情報の収集やスキルの向上が必要です。講演に呼んで頂くことも多くなりましたが、積極的に海外も含めて学会や講演会に参加したりしています。今後も診療の時間とやりくりしながら学会等に参加し、最先端の情報収集や、医師間の交流に努めていきたいと思います。

■ 患者さんへメッセージをお願いします。
 目の病気は年と共に増えていきます。手術で回復するケースも多いのですが、ご高齢だからと躊躇する方が多くいらっしゃいます。最近は手術の負担も軽くなっていますので、あきらめずに一度来院して、ご相談ください。100歳を超えても手術希望の方もいらっしゃいますから。


座右の銘

『 情けは人の為ならず 』
 この言葉は、“人に情けをかけるのはその人のためになるばかりでなく、やがてはめぐりめぐって自分に返ってくる。人には親切にせよ”という教えです。 こう書いてしまうと結局自分のために人に親切にしているように受け取られてしまいますが、病院を訪れる患者さんは皆さん何らかの悩みを抱えて受診されます。医師は博愛の精神を持って患者さんの肉体的および精神的苦しみを、自分や家族のことのように共感を持って優しく接し、さらに大学病院では効率よく多くの患者さんの診察を行うことが要求されます。また時には鬼手仏心の治療が要求されます。「情けは人の為ならず」はその患者さんの診療がその人のためだけでなく、その家族、またその人を救いたいという医師の思いが叶うよう、願いを込めています。

井上先生の診療科詳細は、右のリンクをご参照ください。

取材担当
病院企画運営室
広報・企画調査室







病院概要
医療安全管理・感染対策
施設のご案内
新着情報
情報公開
患者支援センターのご案内
人間ドックのご案内