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当院のドクター紹介

杏林大学病院への愛情は人一倍です

今月のドクター紹介は、泌尿器科の桶川隆嗣教授です。
学生時代の思い出やアメリカ留学、今後取り組まれることなどを伺いました。

桶川隆嗣
名前 桶川隆嗣(おけがわ たかつぐ)
血液型 A型
趣味・好きなもの スキー
出身は雪国ですが、故郷ではあまり滑る機会はありませんでした。 近年になり、奥さんに教わりながら、家族4人で休暇に泊まりがけで白馬などへスキー旅行に行くのが楽しみです。
専門 泌尿器腫瘍学、ロボット手術・腹腔鏡手術、泌尿器一般
所属 泌尿器科 教授
プロフィール 1991年 杏林大学医学部卒業、
      同大学病院泌尿器科入局
1998年 同大学大学院医学研究科卒業
1999-2001年 米国テキサス大学(サウスウェスタンメディカルセンター) 泌尿器科 (腫瘍学研究員)
2001年 杏林大学医学部泌尿器科 講師から准教授を経て
2014年 同科教授

    -海・川・山のある豊かな自然の中で育ちました-

■ ご出身はどちらですか?子どもの頃はどんなお子さんでしたか?
 出身は富山県滑川(なめりかわ)市です。人口三万人程の小さな市ですが、2015年3月には北陸新幹線が伸び、観光客などで活気がでることを期待しています。まあ金沢や糸魚川などに観光客は行ってしまうかもしれませんが(笑)
 滑川市はホタルイカの産地で有名なところで、3月~5月の旬の時期には、漁港に戻った漁師が「ホタルイカやー」と叫ぶと(“やー”は富山弁)私たち子供もバケツを持って走り寄り、水揚げされた新鮮なイカをもらっていました。当時は海岸沿いに波消ブロックが整備されていなかったので、自分達も潮に足をつけながら、ホタルイカをすくうこともできました。住まいは海から100メートル程のところにあり、辺りは潮の匂いが漂っていました。また、山と川にも囲まれており、近所の子たち5人ほどで網を持って川で、鯉やふな、鮎を獲ったり、草野球やかくれんぼなど、外でよく遊んでいました。母方の祖父は小学校の校長を務め、親戚には教育関係者が多くいました。そのためか母自身も教育に厳しく、「宿題をきちんとしなさい」とよく言われていたので、勉強と遊びとメリハリをつけてどちらもやっていました。

               ※クリックすると大きいサイズの画像が表示されます。

           2才頃、自宅の庭で    
           母と妹とともに

        自宅の玄関前で妹と、好
        きな野球バットを持って
        小学3年生頃

    -両親や先生方の支えにより、医療技術者志望から転身-

■ なぜ医師を目指したのですか?
 父が家庭薬配置業(富山の薬売り)をしており、薬剤師の従兄弟がいるなど、元々医療を身近に感じていました。高校時代は心電図など医療機器・技術に関心を持ち、はじめに杏林大学保健学部臨床検査技術学科に入学しました。医療の知識が深まるに従って、人の病そのものを治療する仕事への関心が高まり、3年生の頃に医師を目指す決心をしました。とはいっても、決断は簡単なものではなく、当時お世話になった保健学部勝目卓朗学部長や相澤忠一先生に親身に相談にのっていただきました。両親へは、せっかくここまできたのだから保健学部を卒業し、臨床検査技師の国家資格も取得した上で、医学部に入り直すということで納得してもらいました。実家は決して裕福ではなかったのですが、「お前にすべてを賭ける」と、さらに6年分の学費を工面してくれました。両親の私への全幅の信頼にはただただ、感謝をしています。保健学部4年生の時には臨床検査技師の国家資格試験の勉強をしながら、医学部入試にむけ予備校へ通いました。この時期が学生時代の中で一番大変でした。両親の大きなサポートが原動力となり、医師への道が拓けたと思っています。父は、私が杏林大学病院で准教授になるまでを見届けて他界したのですが、今でも思い出すと目頭が熱くなってしまいます。

■ 泌尿器科を専門にしたのはなぜですか?
 日本が超高齢化社会になることは分かっていたので、「今後必要度が高まる診療科はどこか」と考えた時に、高齢者の尿関連の問題や前立腺がんなどが浮かびました。また、医学部を卒業する頃に前立腺がんなどのがん検査で使われる腫瘍マーカーが出てきたこともあり泌尿器科を志望しました。また杏林大学病院の泌尿器科医局の雰囲気がよかったこともあり、決定しました。

    -先輩とのご縁で打ち込んだサークル活動-

■先生は杏林大学の卒業生ですね。大学生時代の思い出を聞かせてください。
 医学部では、3年生の頃までバイトと共にサークルなどのキャンパスライフも楽しんでいました。
 学費は両親に負担してもらっていたので、せめて下宿代は自分で出したいと思い、週末に家庭教師やコンビニのバイトをしていました。サークル活動では、先輩の吉田昌先生(現 国際医療福祉大学教授)に声を掛けていただき英語でディスカッションや国際交流を行う「E.S.S」に入部しました。部長でもあった吉田先輩には丁寧に面倒をみていただき、スピーチの関東大会に出場したり、他大学の医学生と交流をして、沢山の刺激を受けていました。先輩にしごかれたおかげで英語は嫌いになりましたが(笑)。また、気軽に楽しめるバトミントンサークルやボーリング同好会にも参加し、学年の垣根を越えて楽しく交流していました。先輩方からは勉強のコツや授業の情報をもらうなど、いかにポイントを押さえる事が大切かを学びました。
 つらいE.S.Sをなぜすぐに辞めなかったのかというと、目を掛けてくれる先輩とのご縁を大切にしたい、という思いがあったからです。“人とのつながりを大切にする”ことは私の信条でもあります。

-努力は全ての扉を開く-
■ 先生はアメリカに留学されていますね。
 1999年から2年2カ月間、テキサス大学サウスウェスタンメディカルセンターの泌尿器科にがん研究で留学しました。研究は泌尿器腫瘍におけるアデノウイルスレセプターを用いた遺伝子治療でした。
 杏林大学大学院医学研究科に在籍していた頃に、他大学で1年間ほど基礎研究をする機会をいただき、今後は医療現場に直結する臨床研究をしてみたいと思うようになりました。また私は学部から医局、医師になるまでずっと杏林大学・病院一筋だったこともあり、外の世界に触れてみたいと思い、留学することにしました。同じ泌尿器科の東原英二教授は以前テキサス大学の腎臓科に留学していたのですが、そのご縁もあり、私は同大学の泌尿器科で研究することになりました。
 留学はじめの数カ月間は「辛い」の一言でした。英語での専門的な講義もそうでしたが、配属先の研究所は中国人ばかりでした。第二次大戦の話にはじまり、国や文化の隔たりを突きつけられることが多くあり、胃が痛くなる思いを沢山しました。なんとか研究を続けたいと奮起すると同時に、同僚たちへは自分から積極的にコミュニケーションを取るようにしました。毎週末のように一緒に中華料理を食べに行ったり、相手にこちらから歩み寄り、文化を理解することに努めました。すると徐々に周囲が自分を一人の人間として認めてくれるようになり、研究が円滑に進むようになりました。さらに研究終了時には、研究成果が認められ博士号を授与されました。私としては医師として患者の治療に直結できる臨床研究をすることが目的であり、学位を取るために留学したわけではなかったのですが、評価をいただくことはやはりとても嬉しいですね。留学はじめの頃は空を見上げては過ぎ去る飛行機を見つめていたのですが、最後まで全うすることができた理由は、良く面倒をみてくださった研究所の上司や、泌尿器科の東原教授、奴田原紀久雄教授など応援してくださる人達の存在が大きかったと思います。人との縁の大切さをかみしめる事ができました。

研究を支えてくれたボスJer-Tsong Hsieh教授(中央)のホームパーティに招かれて、ご自宅の庭で撮影

研究結果が評価され博士号を授与された時の写真。ボスのHsieh教授と

留学も終わりを迎える頃に、学会出席のためAnaheimに来られた東原教授(中央)と

■ 医師になって嬉しかったことや苦労したことは何ですか?
 難しいなと感じる事は、病状が重く、残された時間があまりない患者さんの場合、どうやって相手の心に寄り添えるか、どう声を掛ければ少しでも心を軽くすることができるのか、という点です。若い患者さんで小さいお子さんがいたり、年配の方で支えている家族が配偶者だけだったり、など様々なケースがあるため、日々模索しています。
 嬉しいと感じる事は、手術や治療を受けた患者さんが元気で退院日を迎えることですね。「ありがとうございました」と満面の笑みで感謝の言葉をくださる、これに勝る喜びはないですね。

■ 杏林大学病院について思うことを教えてください。
 医学部生の頃から研修医、医師と今までずっと杏林なので、杏林大学・杏林大学病院への愛情はだれにも負けません(笑)。他の先生方もドクター紹介で述べているかもしれませんが、杏林大学病院は他の診療科との横の連携がしっかりしてきた印象を受けます。薬の副作用や病状などは泌尿器科以外の分野に及ぶこともありますから、それぞれの診療科の先生たちと専門知識を共有し、協力することが欠かせません。親切な先生が多く、院内での勉強会などで専門性をシェアしています。

    -次世代の医師の育成と研究によって杏林大学病院のレベルアップを目指す-

■ 先生が今後、力を入れて行いたいことを教えてください。
 1つ目は、次世代を育てる教育ですね。今後さらに泌尿器科を支える医師を育て、医局の層を厚くしていきたいと思っています。そのために、基礎/臨床研究を希望する若手医師へは、研究テーマや適切な研究機関が見つかるようにサポートするなどしています。
 2つ目は、手術技法の指導です。当院では、2012年にロボット手術(ダ・ヴィンチ・サージカル・システム)を導入し、腹腔鏡手術技法に加え、前立腺がんなどでの手術に活用しています。それまでの手術に比べ繊細な作業がより正確に手早く行えるようになり、手術に要する時間が半減し、患者さんや医師への負担が減っています。今後さらに他疾患でもロボット手術が行われるようになっていくと予想されます。ますますロボット手術のニーズが高まっていくと感じています。このダ・ヴィンチを当院内で普及させるために、院内研修を予定しています。学会では、ロボット手術の安全性を高めるため、ロボット手術指導医の認定制度(プロクター制度)を2015年度から開始します。その実施へも注力しています。また、腹腔鏡手術についても当院では安全性を高めるため鏡視下手術施行医の認定制度運用マニュアルを以前から実施していますが、これからも継続して行い、杏林大学病院全体のレベルアップを図っていきたいと思っています。さらに、医学部生の育成のためにも、ロボット手術・腹腔鏡手術の模擬体験の機会を設けたりしています。
 3つ目は、自分が現在取り組んでいる研究です。がん患者の体内では、腫瘍細胞が血流循環しています。この“末梢血循環癌細胞”と言われる細胞を捕捉し遺伝子解析を検査する事で、がんの予後や化学療法の治療奏効を予測することができます。また、転移前に遺伝的に抑える事ができれば、治療として大きな効果が期待できます。この研究は共同研究(京浜臨海部ライフイノベーション国際戦略総合特区事業)として力をいれています。現在、医局の先生たちと共に進めています。

■ 患者さんへメッセージをお願いします。
  診察の際、医師からの説明で分かりにくい点もあるかと思います。その際には遠慮せず、何度でも質問して、聞き返してください。「この手術はなぜ必要なのか、難しいのでもう一度話してください」などと、遠慮なく言ってください。患者さんへは納得した上で治療を受けていただければ、と思います。


座右の銘

『一言報恩』
 どなたからか、なにかのお声掛けをいただいたら、感謝の気持ちでそれに応え、その人とのご縁を大切にするようにしています。医学部生時代のサークルへの入会、医局の選択、がん研究留学など節目ごとに大切なご縁をいただいてきました。そうした人との繋がりや、ともに物事に取り組む人たちとの和を大切にしていきたいと思っています。
『努力は全ての扉を開く』
 フランスの詩人ジャン・ド・ラ・フォンテーヌの言葉です。
 私は器用でも優秀でもありません。人に助けられ、育てられて今の自分があります。この言葉を胸に、一つの物事に専心して取り組むことによって、一つ一つ扉が開かれてきたことを実感しています。

桶川先生の診療科詳細は、右のリンクをご参照ください。

取材担当
病院企画運営室
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