新潟県中越地震での災害医療チームの活動報告 ![]()
熱傷センター 佐藤栄児 東京都の災害医療チーム 東京DMATは自然災害、人的災害、大規模事故が発生したときに災害現場に派遣される災害医療チームで、2004年8月に東京都が発足させました。
東京DMATの指定病院は都内に7施設あり、そのひとつが杏林大学病院です。東京DMATに登録されている医師1名、看護師2名が1チームとなり、東京都から要請があったときに災害現場に出動します。
今回は新潟県中越地震で被災した、震源地に近い小国町への出動要請があり、10月24日から25日の2日間、活動してきましたので報告します。
発災翌日の10月24日に、新潟県から東京都へ東京DMATの出動要請があり、国立災害医療センター1チーム、都立府中病院1チーム、杏林大学病院2チームが派遣されることになりました。
当院からは、医師は救急医学の山口芳裕助教授、長浜誉佳医師、看護師は熱傷センターの佐藤栄児、鈴木さくら、救命救急センターの伊藤彩子、横田由佳が出動しました。陸上自衛隊立川基地から自衛隊のヘリコプターに乗り、15時30分頃現地入りしました。
小国町は震源地に隣接した町で、震度6の激震に見舞われたところです。周辺の町へ通じる道路が寸断され、孤立した地域となっていました。電気、ガス、水道のライフラインの供給も停止していました。
また携帯電話を含めた電話が不通となり、外部との通信が途絶えた状態でした。
崩れ落ちたスーパーマーケットの看板や、割れて隆起した地面を目の当たりにし、被害の深刻さを実感しました。被害状況を事前に把握することができず、医療ニーズが未知数であったため、小国町到着後、地震対策本部となっている町役場で情報を収集しました。
その結果、火災や全壊した家屋はなく、早急な治療を要する重症患者はいませんでした。しかし、小国町は65歳以上の高齢者が人口の約30パーセントを占め、感染症の蔓延や慢性疾患の急性増悪などを予防するための医療が必要であることがわかりました。
そこで、5ケ所の避難所を巡回し、被災者の健康状態のチェックを行いました。
各避難所には400人ぐらいの方が避難しており、高齢者から妊婦、乳児までの、広い年齢層の方が不自由な避難生活を強いられていました。
日ごろ内服している降圧剤を発災後から内服しておらず血圧の値を気にする方、感冒症状を訴える方、脱水症状がある方、疲労による体調不良を訴える方が多く見受けられました。
また、大きな余震が頻回に起こり、いつ終わるかわからない避難生活に不安を訴えてくる方もいました。
私たちはバイタルサインの測定や診察を行いながら、医療機関に搬送する必要がある方がいないかどうかをチェックしました。
また町の診療所が診療を開始しており、処方が必要な方は受診するように説明しました。夜間は緊急事態にそなえて待機となりました。今回の震災は建物の崩壊による死傷者もいますが、長引く余震の影響で震災関連死の方が見受けられます。
私達も就寝時に毛布を3枚支給されましたが、寒さと震度4から5の余震があり、眠れる状況ではありませんでした。
今後は避難生活を強いられる被災地の方の健康状態を保つための支援や、復興支援が必要だと考えられました。
最後に東京DMATは東京都に保健衛生班と毛布、食料、ナプキンなど生活用品の物資供給を要請し、任務終了となりました。2004.11.16