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「アメリカと戦争」第5セメスター 天野匡
ワシントンD.C.の郊外に、アーリントン墓地と呼ばれる場所がある。この場所は、ポトマック川西岸に位置し、正確にはワシントンD.C.の中ではなく、隣のバージニア州にある。
この墓地は、全米で2番目の大きさを誇り、我々が初めて訪れた時、その広さは我々の想像を超えていた。ここには、J.F.ケネディの墓があり、また、南北戦争、第一次・第二次世界大戦、朝鮮戦争、ベトナム戦争で亡くなったアメリカ兵の戦死者が埋葬されている。そして、身元が確認できなかった戦死者も「無名戦士の墓」に埋葬されている。
戦争は勝っても負けても膨大な数の戦死者が出る。多くの人命を犠牲にして一体何を得るというのだろうか。戦争が招く悲劇を改めて痛感した。
特に「無名戦士」の墓の前では、兵隊が1日24時間、1年365日ずっと警備を行っている。この姿を見た時、私は、アメリカの戦死者に対する敬意、そして戦争という同じ過ちをもう二度と繰り返さないという強い意志が伝わってきたような気がする。
「ニューホールでの生活」
第3セメスター 村岡由樹私たちは1ヶ月間をニューホールというジョージ・ワシントン大学の寮で過ごしました。ニューホールでの生活は、とても楽しい思い出として残っています。最初は、共同生活や英語での生活に不安を感じていましたが、温かい現地の人たちに快く受け入れられ、過ごしやすく、楽しい生活を送ることができたと思います。
テレビや携帯電話のない生活では、夜がとても長く感じられましたが、長い夜には、昼とは違ったジェファソン記念碑、リンカーンメモリアル、ホワイトハウス、ワシントン・モニュメントといった夜景を見に行き、その美しさに感動することができました。また、現地の人達とのさまざまな出会いがあったり、友人と将来について語り合ったりしてとてもいい時間を過ごせたと思います。テレビや携帯電話が無くとも、いろいろな発見や楽しみがあることがわかりました。現地で生活することによって、観光旅行では味わえない経験をし、また、日本を客観的に見ることで、いい所も悪い所もわかり、とてもいい勉強になったと思います。
第7セメスター岸 武親
「乳癌僕滅運動への参加」
私たちが、ワシントンDCで生活を始めて最初の土曜日のことである。私たちは、酒向先生と共に「乳癌撲滅運動」という催し物に参加した。
その日の朝は、これ以上ないという程の快晴であった。街を歩くこと二十分、その会場であるワシントンモニュメントの下の広場に着いた。会場は広大な場所だが、居場所を確保するのに苦労するくらい大勢の人が集まっていた。しかも、その九割以上の人が同じTシャツを着ていた。Tシャツには「RACE FOR THE CURE」とプリントされていた。これは、治すための必死の努力という意味である。
参加する人というのは、国籍、人種等はもちろん制限されない。誰でも参加できるのである。
開会式が終わり、準備体操が終わると、参加者はスタート地点へ移動した。広い道路はまたたくまに人で埋めつくされた。そして、皆がいっせいにスタートした。走る人がいれば歩く人もいる。どちらにしても十五キロメートル先のゴールに辿りつくことに意味がある。というのは、スタートからゴールに辿り着くまで苦しいけれど、乳癌の人達はもっと苦しいのだから少しでも
苦しさを分かち合うということを目的としているからである。
心優しいアメリカ人の粋なはからいから生まれたボランティア活動である。
「国立ホロコースト記念博物館」
第3セメスター奥野誠
アメリカ合衆国・ワシントンDCにあるスミソニアンの博物館の一つが、この「ホロコースト記念博物館」です。この「ホロコースト」というのは、ナチス・ドイツによるユダヤ人の大量虐殺の事であり、スミソニアンにある他の博物館と比べるとまったく異なったシリアスなテーマですが、とても人気のある博物館です。
建物は四階建てになっていて、通常見学する時は四階から下の階に下りていくようにデザインされていました。
四階に出るとまず初めに目に飛び込んで来るのが、とてもショッキングな焼け焦げた死体の写真でした。そしてそのほかにも「ホロコースト」をどのように遂行していったのかを伝える映画や写真、また身体障害児を殺して解剖した記録、さらにはユダヤ人がその時使っていた服や食器と収容所などが展示されていました。私の最も心に残ったものは、解放後の収容所で死体の処理をする兵士たちの映像でした。この映像は、小さな子供達には見られない様に少
し高い場所に設置してあります。その映像の中の兵士たちはみんな無表情で作業をしており、明らかに「人間の死」に対する感情を失ってしまっているように見えて、恐ろしかったです。また、とてもたくさんの犠牲者の写真が壁一面に飾られてある場所もあり、犠牲者ひとりひとり自分達と何も変わらない人間だったのだと考えさせられました。
このように、人間の狂気について伝える「ホロコースト博物館」は、戦争の愚かさや平和の意味などを考えさせてくれる場所でした。ですから、日本人にとっても意味のある、とてもすばらしい博物館ではないかと思います。と同時に、大変貴重な体験が出来たと思います。
「酒向教授の講義」
第3セメスター 佐藤隆
アメリカと日本とは大きく異なる点が多数あり、かなりカルチャーショックを受けたものだが、酒向教授の講義の方法はそれらを上回るほど斬新かつユニーークなものだった。
講義はワシントンDCの杏林大学ワシントン教育研修所があるビルの一室で行われた。午前中に、例えば「アメリカとはどのような国か」というテーマがとりあげられたとすると、それについて教授がわかりやすく説明してくれて、続いて私達が質問をし、また、それについて皆でフリーディスカッションをする、という形式がとられた。午後は午前中にとりあげられたテーマに関
連する場所に実際に連れていってもらう、という形式であった。これらは、日本の普段の授業では見られないとても興味深いものだった。先の例だと訪問地は各種の歴史的記念碑だったのであるが、そこで私達はアメリカの歴代大統領の記念碑やベトナム戦争の犠牲者達の記念碑など、教授が午前中の授業で説明してくれた事柄について実体験することができた。そうすることによて、「リアルなアメリカ」に触れることができ、「頭で覚える」、というよりは「体で覚える」ことができた。また、今まで関心の無かった事柄についても興味を持つことができて、学ぶことの大切さや面白さが分かった。
酒向教授の講義はたった一ヶ月間のものだったが、私が得たものはとても大きく、後々の私の財産となることは言うまでもないだろう。
「ニューヨーク訪問」
第3セメスター 斉藤由美子
6月22日、私たちは飛行機で約1時問かけてニューヨークヘと向かった。今回の研修の中で、とても楽しみにしていたことの一つだった。ニューヨークヘ到着し、車に乗りしばらくすると、マンハッタンの街並みが目に飛び込んできた。世界一の都会と言われるその街には、近代的な高層ビルが立ち並び、遠くから眺めただけで圧倒された。
まず最初に私たちが向かったのは、国連本部。土曜の午前ということもあって、人影はほとんどなかった。地下1階に郵便局があり、この郵便局で買った切手はここでしか送れないということだったので、あわてて絵ハガキを送った。
その後、少し離れた所からエンパイアステートビルを見学。今ではニューヨークで
最も高いビルになっている。
そしてニューヨークと言えば、自由の女神。残念ながら遠くからしか見ることができなかったが、それでもこの目であの自由の女神を見ることができて感動した。
そして私が個人的に最も行ってみたかったのが、”グラウンド・ゼロ"。何もないあの土地に、貿易センタービルという巨大なビルがあったのだと思うと胸がいっぱいになった。周辺のビルの被害もひどく、半年以上たった今もなお、修復作業が行われていた。二度とあのような悲劇が起きないでほしいと心から願った。
ニューヨークと言えば五番街ということで、最後にショッピングを楽しみ、あっという間に1日は過ぎた。本当にかけ足で過ぎた、ニューヨーク訪問。しかし、その中で感じたこと、得たものはたくさんあって、私はそれを一生忘れないだろう。
この研修がこれからも続き、多くの杏林の学生が同じように貴重な体験をしてほしいと思う。
第3セメスター大湾成恵 「スミソニアン博物館」
スミソニアン博物館といえば、ヨーロッパ以外で見ることのできる唯一のレオナルド・ダ・ビンチの絵画『ジネブラ・デ・べンチの肖像』くらいしか知らなかった私にとって、初めてスミソニアン博物館を見た時には本当に驚きました。
地下鉄の駅名で「スミソニアン博物館」とあるくらい、広く合計で16の博物館と美術館から成り立っていました。
私の目当てはその中の「ナショナル・ギャラリー」だったのですが、1つの建物ですら1日で見きれないほど広くたくさんの作品がかざってありました。日本の博物館とは比べられないくらい量も質もすばらしいものです。
私のおすすめはもちろんレオナルド・ダ・ビンチの作品です。絵画にさほど詳しくない私でも感動させられてしまうような作品です。透けるような白い肌に、絹のような髪の毛、真剣な眼差しには絵画であることも忘れ見入ってしまいました。
しかも、うれしいことにスミソニアン博物館はすべて”無料"で公開されているのです。
おかげで、何度も足を運ぶことができ、たくさんの素晴らしい作品に出会うことができました。