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異国で触れる日本の心

                                                                                                                助教授 内藤 高雄

平成十三年四月一日より平成十四年三月三十一日までの一年間、在外研修の機会をいただき、フランス南西部の都市トウルー(Toulouse)に留学致しました。総合政策学部発足という大事な時期に一年間、学園を留守にすることは心苦しいことではあったのですが、奉職して十二年目に巡ってきた貴重な機会でもあり、今後の研究・教育活動に役立てるよう、出来る限り多くのことを身につけようと旅立ちました。

トウルーズは人口約八十万人、パリ、リ
ヨン、マルセイユに次いでフランス第四の都市ですが、町の中心部を世界遺産のガロンヌ川、ミディ運河が流れる落ち着いた、美しい街です。赤煉瓦の建物が多く、夕日が街並みに染まる様が美しいこの街は、フランス国内では〃バラ色の街"と呼ばれ、フランスが誇る航空機産業エアバスの根拠地として、またわれわれ日本人には四年前のサッカー・ワールドカップ・フランス大会で、日本代表チームがアルゼンチンと記念すべき初戦を戦った街としても有名です。

私の専門はフランスの会計制度、とりわけ一九二〇年代から一九五〇年代にかけての制度形成過程です。したがって留学先としてフランスを選んだ訳ですが、滞在する都市は様々な研究機関が集まる大都会パリではなく、地方都市トウルーズを選びました。それは知識を吸収するとともに、地に足をつけて、フランスの、そしてヨーロッパの文化に肌で触れたかったからです。トウルーズでの留学生活は、指導を受けたフイリップ・デイオ(Philippe DIOT)授を初め、多くのトウルーズの友人達のおかげで、すばらしい、そして充実したものになりました。

ところで、根っからのスポーツ好きの私は、フランスの地で何か新しいスポーツを覚えたい、それもフランスならではのスポーツをと思っていましたが、留学十日目には何故か柔道着に身を包み、道場にいることになってしまいました。実はフランスでの最初のニケ月間、生まれて初めてホームステイに挑戦したのですが、そのステイ先の夫婦は三年前から柔道をやっていました。何気ない会話から、「おまえは柔道をやったことがあるか?」と問われ、「高校の時、体育の授業で二年間やったことがある」と答えたところ、よくわからないうちに私の分の柔道着を用意され、車に乗せられて、道場に連れていかれてしまいました。

かくして二十年ぶりに柔道をすることになったものの、受け身ぐらいしかやったことがない私は、あまりのレベルの高さに驚くばかりでした。後になってわかったことですが、フランスでは柔道、柔術、空手、合気道などがとてもさかんで、街の至る所に道場がありました。しかしこうなった以上はやるしかないと腹をくくりました。別にだれも私のことを日本代表だとは思っていないだろうけれども、日本男児たるもの、一旦はじめた以上はしっぽを巻いて逃げ出したとあっては民族の誇りを傷つけてしまう、などと大それた事を考えていたのだから、自分の事ながらあきれてしまいます。

しかしながら、フランス語に混じって「はじめ!」「待て」「袈裟固め!」「十字固め」などの言葉を聞くのは実に新鮮なものでした。しかも日本で教えられた柔道と異なり、フランスのそれはテクニック中心、寝技、締め技の練習にかなりの時間を割きます。戸惑いながらも「日本では柔道はスポーツではなく、生きるための道である」と偉そうに主張したのだから、今から考えると恥ずかしくなります。でも柔道の先生アレックス(Alex)からフランス語で説明を聞き、わからなくなると日本語が分かるジャン(Jean)に助けてもらう練習はとても楽しく、帰国までの1年間、日の丸と嘉納翁の額の飾ってある道場で毎週汗を流しました。

柔道をやるぐらいだから当然メンバーは親日家です。浮世絵、茶道など日本の伝統的文化にも興味を持っており、私のゼミナールの学生や友人が送ってくれた手ぬぐいや浴衣、風呂敷などのプレゼントにとても喜んでくれました。三月の帰国直前には現地で知り合った多くの友人が、送別会をたくさん企画してくれたのですが、柔道のメンバーもサヨナラ練習の後に送別会を開いてくれて、持ちきれないほどのプレゼントをもらいました。彼らとは再会を固く約束し、帰国の途につきました。

異国の地で触れる日本の心、フランス文化の中で育まれる伝統的日本精神、日仏友好にほんの少しですが貢献できたかなあと満足しています。