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総合政策学部の理想

干葉 洋               学部長
阿久澤 利明
      教務部長
黒田 有子
            学生部長
司会 武内 成 教授

日時 2002626()午後1時から3時まで
場所 G棟大会議室

はじめに

平成1441日に、杏林大学「社会科学部」は「総合政策学部」と学部名称を変更して、教育組織および体制の大幅な改革を行い、新たなスタートを切りました。現在は、1年生(1セメ・2セメ生)が総合政策学部、2年から4年生(3セメ生以降)までが社会科学部に所属しています。

また、同時に、学部長は田久保忠衛教授から千葉洋教授へ、教務部長は千葉洋教授から阿久澤利明教授へ、学生部長は栗田雄教授から黒田有子教授へ引き継がれ、学部の新たな執行部が形成されました。

ご父母の皆様におかれましては、様々なご期待やご不安があると存じますので、総合政策学部の執行部となられた先生方に、鼎談を行っていただき、総合政策学部の理想や担当者のお考えをご開陳いただきたいと思います。鼎談という形ですので、各先生方のお人柄が直にお伝えできるのではないかと期待しています。

なお、司会は、杏ジャーナル編集委員会の武内成教授にお願いいたしました。

総合政策学部の理想 

司会 いよいよ新学部が発足しました。学生のご父母の方々も、大いに期待を寄せてくださっていると存じます。と同時に、学部の事に関して、多少、ご不安も感じていらっしゃるかもしれません。そこでまず、総合政策学部という名称に変わった理由、そういったものから、学部長にお話していただきましょう。

学部長 折角の機会ですから、学部名称を、社会科学部から総合政策学部へと変更した経緯を掻い摘んで申し上げたいと思います。

我々は1984年に、総合的な視点から、与えられた問題を学際的かつ多角的に検討して、有効に問題解決を図ることのできる学生を育むということを基本的な目標として社会科学部を開設しました。

しかしここにきて、世の中の考え方もかなり変わってきました。つまり、現代社会が直面する様々な問題を広い視野から捉える必要性を社会に訴えるとともに、それに叶った多くの学生に学部を受験してもらいたいという観点からみると、「社会科学部」よりも、「総合政策学部」という名称の方が、今日的にはむしろこうした我々の目標に叶った人材を集めることができるのではないかという議論が、ここ1、2年の間に、学部内で起こってきました。

つまり我々の目的とするところや時代を考えると、「総合政策学部」という名称に変更した方が、より適切であると判断し、この度、学部名を変更することになったわけです。

さらに、単に名称を変更するのみではなく、この機会を捉え杏林大学に医学部や保健学部があるというメリットを存分に生かした環境福祉コースを増設するとともに、4つのコース間の垣根を少し低くし、かつコアの科目を今までより少なくすることで、より広く多角的な知識を持った人材を育むという目的を、もう一段階ステップアップすることを狙って総合政策学部の構想づくりを行った。

とはいえ、今後いろいろと乗越えなければならない課題がある事は当然です。現在、総合政策学部を設置している大学は、それほど多いわけではありません。我々は杏林大学の風土や学風を生かした特徴ある総合政策学部というものを、是非とも築き上げていきたいと思っております。

総合政策学部の基本的理念
Person to Person

司会 新しい学部を創るにあたって、理念といいますか、哲学というか、それ自体が変わるのかどうかを伺いたいと思います。社会科学部時代は「パーソン・トゥ・パーソン〜Person to Person〜」という、まあこれは私は教育の哲学だろうと思うのですが、その「パーソン・トゥ・パーソン」はどうなるのでしょうか。

学部長 社会科学部の創設当初から標擁していた「パーソン・トゥ・パーソン〜Person to Person〜」は、総合政策学部にとっても大切なキーワード、理念です。加えていまもうひとつ、学生一人一人が独自の専門性を育むという個性尊重型の教育方針という理念、この2つの理念が学部教育の軸であると、私は理解しております。これらの理念は、学部が創設されて以来、この18年間脈々と培ってきたものでありますし、絶対に変えてはいけない理念だと私は思っています。

ですから総合政策学部でも、その2つの基本的な理念を厳格に保持しつつ、それに何らかのものを添えていきたい。つまり、今までの社会科学部の理念がもつ特質を保持しながら、総合政策という新しい観点から考え得る新しい要素を取込んでいきたいと思っております。ですから、私はむしろ、今年度を社会科学部が19年目を迎えると同時に、総合政策学部の元年であるという記念すべき年度であると位置付けております。

司会 ありがとうございました。教務部長は、どのようなご意見をお持ちでしょうか。

教務部長 私も、社会科学部という学部の名前そのものが、総合的で、意味のわかりやすい内容を持っている、素晴らしい名称だと思っています。ただ、一般に対して広く与えるインパクトとなると、おとなしいような気がします。これによって学部を言い表す場合、理論的、学問的な表現に加えて、もう少しアクティブな、能動的な要素が必要だと思います。そうすると、理論をべースにして、社会に対し政策形成の面でより積極的に貢献しようという意味で、総合政策学部という名称の選択は、自然の結果、時代の流れの趨勢だと思うのです。基本的には、社会科学部という名前から得られるイメージを前提にして、総合政策学部は、その範囲を拡張し、実践という要素をも教育・研究対象に含めていることをアピールするものとして最も適切な学部名称だと思います。

そして、もうーつ加えるならば、これまで『社会科学部」というと、『社会科』の学部というように思われたり、『社会学』を勉強する学部だと狭く誤解されることがあった。つまり、総合的・学際的な社会科学全般を対象とする学部であるという実体が、社会に対して正確に今まで伝えられなかったと思われます。これが、学部名称を変更する二次的な理由だと思うのです。

ところで、私は、法律学(民法・労働法)を担当しています。この法律学における重要な原則に『法律不遡及の原則』というものがあります。つまり、今までのものとかなり異なった規則なり法律が新しく適用されると、それが今までの制度の適用を受けてきた人にとって不利になる可能性があるから、新しい制度は、できるだけこの既存の制度にもっぱら頼ってきた人に対して適用してはならないという原則です。

昨年のことです。講義の直後、ある学生が私のところへ来て言いました。『私は、社会科学部という名前が好きでこの大学へ入ったのだから、社会科学部の学生としてこの大学を卒業したい。』と言うのです。この発言を聞いて、私は、学部の制度の改変が、今までの社会科学部の学生に決してもろもろの不利益を与えるものであってはならない、という印象をその際に強く持った次第です。

特に、新しい学部名称への変更とタイアップして、今回、カリキュラムの改編が広範囲に行われました。そして、その移行措置として、社会科学部に配当されてきた科目は、そのまま社会科学部の学生が履修できるように残し、他方で新たに設置された科目も可能な限り履修できようになっています。こうして、社会科学部の学生には、制度の改変による不利益が及ばず、むしろ逆に新しい設置科目も履修できるという占…で、よりメリットが増えていることになります。ですから、社会科学部の学生諸君には、制度の改変による不利益が生じないよう、そしてできるだけその利益のためになるように、最大限の配慮がなされていると思います。担当される先生方のご負担もかなりのものがあるかと思いますが、やはり大学のための重要な改革ですので、これ克服していこうとする強い意欲が先生方に感じられます。

今年4月、学期始めのオリエンテーションで、234年生を相手に話をしました。社会科学部という学部名称と実体は決してなくならないと。『諸君の学部は、社会科学部から総合政策学部に変わったのではなく、また学部は旧社会科学部でもなく、現在も社会科学部として存在している。そして、社会科学部が総合政策学部へ承継され、徐々に移行していくのだから、諸君にとっての学部は、今までの社会科学部なのです。この移行の段階において、諸君にはまったくデメリットはありません。』と言いました。確かに学生諸君に不安がないとはいえません。しかし、それは、この先1年、2年、3年の経過を見ていけば、学生諸君にも彼らの学部がどう存続したのかが分かるはずだと思います。

司会 では、学生部長はいかがですか。

学生部長 はい、私も総合政策学部の理念ということについては、1984年の社会科学部創設時の理念が一貫していると考えております。つまり初代学部長の白石孝先生がおっしゃっていらした、規模の大きい大学では決して望み得ないパーソン・トゥ・パーソンの教育というきめ細かい少人数教育、ということと、それを継承された田久保前学部長が言っておられた心のこもった手作りの教育ということに変わりはないと思います。

しかし今回、学部名称の変更に伴い、第4のコースが増設され、さらに多くの専門科目が設置されたことで、カリキュラム構成が大幅に変更されましたが、私は、今はようやくスタートラインに立ったところであって、これですべてが完結したわけでは決してないと思っています。

確かに科目のメニューは多彩になったと思いますが、メニューが豊富であるということが、イコールよりよい選択を保障するものとは限らないともいえると思います。つまり、選択の結果についての個人差が大きくなるというリスクも、同時に伴うわけです。バリアフリーとかボーダレスというのは、確かにプラスの面も大きいのですけども、マイナスの面もゼロではない。私たち学部のスタッフにとって今後2年間は、いかにそのあたりのバランスを取っていくかということが、大きな仕事になるのではないかと考えています。

環境や福祉についての専門的な知識を身に付けて、その分野で活躍する道も開かれていれば、法律や行政の知識を身につけて、公務員を志望するという道、実際にビジネスで要求される実践的な技術をとりあえず習得しておくという道、あるいは国際情勢について幅広く学んで、海外に出て行って働きたいという夢を叶えようと努力する道もあります。間口が非常に広くなったわけですが、それだけに履修指導や個別指導という形で道筋を示すという事がますます重要になってきているのではないか。学生の多様な二ーズに応え得る、多様な科目が設置されているという事と、例えば法律なら法律について、ひとつのディシプリンを鍛えていこう、という2つの考え方のバランスがちょうどいいところに保たれて、初めて質の良い教育というのでしょうか、自主的な科目の選択が保障された教育に繋がっていくのではないでしょうか。ですから、両者の緊張関係というかバランス、これを点検していく事がカリキュラムの自己評価であるし、我々の仕事なのではないかと考えております。

司会 私も、社会科学部が出来上がった頃に、よく「社会科・学部」と言われましたね。学生たちもよくそういったことを話していました。就職活動のとき、会社を訪問して、『社会科・学部』と言われたとか。別に大学で高校でいう社会科を教えているわけじゃないですから、その点がはっきりと違うということを明確にしたかったという思いがありましたね。

総合政策学部という名称がいいのか悪いのか、学部名称に関しては、流行り廃りがあるようですが、慶鷹義塾大学の藤沢校舎の総合政策学部というものが出来上がる以前に、私どもで調査に行った事がありましてね。慶鷹の総合政策学部は、本学部の講座をかなり調べていたということです。これは白石先生から伺った話ですけども。ですから私に言わせれば、この総合政策学部という名称は、本当は我が学部の本来の名称だったのではないかという気がします。色々な考え方があるとは思いますが、教育にとって何より重要な根本理念、これは変わっていないはず。学部長がおっしゃったように、パーソン・トゥ・パーソンというのが基本なのだと思います。

社会的ニーズへの対応

司会 さて、他方において現在では、社会科学部が創設された当時とは、かなり違った環境条件があります。それは、例えばイー.ラーニング(e-learning)という言葉で表されているように、情報化、IT革命ですね。こういう方向があるように思います。教務部長は、総合政策学部のカリキュラムの中で、IT化の方向というものを、どのようにお考えになっているのでしょうか。

教務部長 学部の専門科目には、専門共通科目・基本科目・発展科目とがあります。今回のカリキュラム改編の中での大きな特徴に、専門発展科目を9つの『群」(AI)に分けたことがあげられます。

今までは、国際政経・経営情報・法律政治という3コースごとにそれぞれ関連する専門科目を配置してきましたが、このコース履修という枠を一部取り払い、専門発展科目として相関連するものをグループ化して9つの『群」に分けて配当しました。これが、先ほど黒田先生が指摘されたバリアーフリーというものに通じるもので、今までは他コース履修として他のコースの専門科目を履修するのに上限がありましたが、今回の改革で、一定のコースに属しながらも、学生諸君の志向に合わせて、元来他の.コースの専門科目とされたものも無制限に履修できるようになりました。

武内先生のお話は、IT関連の科目の充実ということですが、IT関連科目は、少なくとも12科目配当されています。そして、そのうちの9科目が、先ほど申しましたI群の専門発展科目へ配当されています。今後ITがどのような形で発展していくかという将来性の問題はありますが、今現実にITの必要性が指摘されている時代ですので、やはり大学としてもそれに対応していかなければならない。ですから、社会・経済的な要請に対応する大学・学部であるという観点からしましても、その要請にかなった科目が自信をもって配当されているといえます。そして、実際にこの学部のスタッフも、ITに関する科目を支えるのに足る実力を備えた先生方が揃っていると思います。

司会 このIT化は、時代の要請だと思いますね。それに対応するために、教育の場では、色々な試みをやっていかなければならないわけです。そこに、またーつ重要な問題があります。つまり学生部長がおっしゃったように、学生と先生の関わりという面が、非常に重要になってくると思うのですね。例えばインターネットやパソコンを通じて教育が出来る、と簡単に言われるわけですが、本当にそれほど簡単なものなのかどうか。その点ははっきり申し上げておかなければならない。

某大学で耳にした話ですが、インターネットでビデオを流す、先生が待機していまして、メールで学生がやって来たら、すぐに反応する、答える、と。インタラクティブといわれるような取り組み方があるわけです。しかしあれだけで本当の教育というものができるのかどうか疑問です。この点はパーソン・トゥ・パーソンを調う我が学部とは、矛盾するようなところがあるかもしれない。つまり時代の要請ということと、教育の根本というもの、これら教育にとって非常に重要な2つの要素が相矛盾するような事もあります。どの辺りで等号をとっていくのか、非常に難しい問題だと思うのですね。何か学校へ来なくてもいい、というような発想をする学生もいれば、先生方の中にもそういう考えをもっている方もいるらしいですが。これはやはりおかしいと思うのですね。そこをもう少し明確に打ち出していく必要があるのではないか。学費を支払って、わざわざ大学へ来るわけですから、学生が相応の何かを、身につけることができなければならないと思うのですが、そういった事に関して、学部長はどうお考えですか。

学生と教員との基本的な関係

学部長 それは教育の根幹に関わる極めて大切な事柄で、今、武内先生がおっしゃったことにまったく同感です。我々が社会科学部とか総合政策学部の特質をいう場合に、「総合的」とか、「国際的」とか、「多角的」とか、「ボーダレス」などというキーワードをよく使いますが、これらの語は、転々に語呂合わせに用いるのではなく、慎重にそれぞれの意を捉えていく必要があると思います。学生にもよく言っていますが、社会科学を勉強するには、他方の自然科学や人文科学とは違ったアプローチが必要です。我々が何かを研究する場合、研究対象とその位置づけに係る事柄に重大な関心をもつ必要がある。その研究対象は時間とともに変化し、同時に我々の価値観および対応の様も変わってゆきます、、お互いに変わるものが、対象を捉え、研究していくわけですから、物事を判断するためには色々な観点での知識が必要となります。しかも深い知識を自分のものにする過程で、様々な無駄を可能な限り多く経験しなければならない。自動販売機のように、必要な知識だけを効率よく吸い取って、ただ間に合わせの知識があれば良いというものではない。社会科学の研究に必要となる要素、要因を称して、我々は総合的とか多角的と言っているわけです。

この考え方のもとで考えられたーつがPerson to Personです。つまり物事を大局的な観点から判断できる人を育てたいと念じて採用された、我々にとって極めて大切なーつの教育理念と考えています。それゆえ、社会科学部から総合政策学部に名称が変わっても、Person to Personと社会科学部が長年育んできた個性尊重型の教育という2つの基本理念は、今後も絶対に堅持していくべきものです。社会科学部で培ってきた理念は、当然総合政策部にも継承されるべきものです。ですから片方で、環境・IT・グローバル化などといわれていますけども、新しい意味でのテクノロジーはもちろん採り入れていかないといけないとは思いますが、それが学部教育にとって第一優先事項とは考えていない。やはりこれまで社会科学部が最も大切にしてきたこれらの理念を大切にする、つまり有益な無駄を沢山経験していただきたい。

それからもうーつは、これも学部創立以来言われていた事ですけども、学生と我々スタッフ、それにご父母との三位一体という考え方、つまり、学部教育は我々だけの都合でやるわけではないし、学生だけの都合でやるわけでもない。三者が「なるほど」と思うものを培っていかなければならない、と思っています。学生が様々な社会科学の分野で適切な判断ができるような能力を身につけられるよう、我々三者が一体となって、この4年間培っていきたいと考えています。

司会 教務部長はいかがですか。

教務部長 はい、Person to Personという学部の理念が、具体的に学部教育にどのように反映されているかといいますと、たとえば1セメから2セメのプレゼミナールにそれが典型的に表れています。これは、先生が、10人またはそれ以下の学生諸君と向き合って授業をします。学生対教員の比率からいうと101という関係ですが、実際には11の対応を目指し、さらにさまざまな先生がこのプレゼミを全員体制で担当しています。

それからあともう一つは、4セメでの基礎演習(基礎ゼミナール)5から8セメまでの演習(ゼミナール)、そしてこの演習を基盤とする卒業研究です。ゼミは、234といった各学年ごとに、多いゼミで15人くらいの学生が所属しています。そのゼミは、非常に入念な教育がなされているという面はもちろんですが、さらにそのゼミの先生とゼミ生との間に、縦社会・横社会による運命共同体が形成されるということに特徴が見られます。これは、学生が大学を巣立って、社会の中で一応の地歩を占めて活躍するようになっても続く共同体です。ですから、担当の先生は、ゼミ生がキツイというときでもダメだと強く叱り飛ばすと同時に、ゼミ生を大変可愛がる。多くの先生方が、それを実感されていることと思います。

他の大学を見てみますと、半期ごとにゼミが変わってしまうところがある。また、それこそ、90分間のゼミだけで終わりにしてしまうところもある。この学部では、ゼミの履修が時間割上1コマ・90分なのですが、実際のゼミ活動の時間は、その時間割から隠れてしまっていて、週数時間、あるいは78時間を超えるゼミが存在するわけです。ゼミは、大学におけるかけがえのない、重要な教育・学生生活の場であり、学部も、先生も、そして学生諸君もこれをたいへん意義のあるものとしてとらえています。これこそが、またPerson to Personの理念が具体的に顕れたものであり、学部の誇りとするところだと思います。

司会 確かに私もつくづく思うことなのですが、最近は忙しくなってしまって、学生と関わる時間が少なくなった。我々が若い頃、というのは18年ぐらい前になるのでしょうが、あの頃は忙しかったけれど、今以上に学生に接していたのですね。そういう時代の学生ほどゼミの事を大切に思う。私の場合は、就職部長を長く務めていたものですから、そのときには本当に学生との時間、学生と接する時間が短かったですね。そうするとOB会をやっても、学部時代に接触の時間が少なかった卒業生は、あまりゼミになじみがない。本当に教育というものは難しいと思うのです。

学生の中には適当な方がいい、と思っている者もいるとは思うのですが、やはり夜の8時、9時まで勉強した頃の学生ほど、未だに何か事あるごとに連絡がある。本当に嬉しい事だと思います。まあ、どのような時代になろうとも、この教育の基本的な関係というものは、それほど変わるものではないのではないかと思うのですが、学生部長はそういう点についてどうでしょうか。

昨今の学生の気質と支援体制

学生部長 はい、私も教育や教育の理想に関して、この学部のスタッフの先生方は、本当に素晴らしいものをもっていらっしゃると思うのですね。それを一生懸命堅持しようと、日々努力していらつしゃると思います。しかし時代が変わるとともに、学生も変わってきました。つまり世の中も変わってきて、先生方が素晴らしい理想を掲げても、それが一部の学生の二ーズとミスマッチするという場合もあるということを、無視してはいけないのではないかと、このごろ感じています。ゼミはもちろんこの学部の教育の核になるものですし、中心になると思うのですが、私はそこに至る前の1年生や2年生の学生を見ておりまして、相当迷っている、揺れているという姿に接して、色々と考えさせられることがあります。

今は、大学の勉強よりも、むしろもっと刺激を与えてくれるものがたくさんあると考えている学生も増えております。例えば医学部のような学部では、実習一つ一つが将来の職業に直結していて、学生全員の目標が一致している。しかしこの学部は、国家試験の合格といった共通の目標をもつような学部と違いまして、これまで縛られてきた偏差値からは解放されたけれども、今度は間口が広い。文系学部では、まず知的好奇心を養う事が必要ですし、自分で目標を設定して、それに到達するように自分自身をコントロールしなければならない。当然のことではありますが、そのことに結構困難を感じている学生が多く見受けられるのですね。特に新入生に関して、個人差があっても、総合政策学部のカリキュラムや科目履修のモデルを見て、何をもって到達点と考えるのかというような、一定の方向性を示す必要を感じさせる学生に何人か出会っています。例えば学生の中には、大学に馴染めないうちにアルバイト先に馴染んでしまったとか、高校時代の友人関係の中に居心地のよさを見つけてしまったとか、あるいは第一志望に不合格になってしまつたという意識をずっと引きずったまま最初の1年を過ごし、2年目になって慌てているといったケースも見受けられます。23年前のことですが、いくつかの単位不足で留セメスターになった学生と話す機会がありました。その学生を見ますと、決してやってできない学生ではないのですね。むしろ取得している科目を見ますと、難しい科目でも良い成績を取っているので、「あとは本人の自覚と意志の強さだけですよ」と言いましたところ、私がはるかに見上げるようなその大きな男子学生が、大粒の涙を床にボロボロ落として、「朝大学に行こうと思って家を出て、頭ではわかっているんだけど、気がつくと足が自然と高校の友達のいる遊び場に向って行ってしまうのです」と、切々と訴えているのです。そいうことがあるのです。でもその学生は、その後進級をクリアーしまして、自分で通関士の資格を取るという目標を設定して、頑張って卒業していきました。

ですから非常に悩んでいる学生、あるいは行き詰まっている学生に対して、何らかのきっかけを与えることをしなければならない。もちろんゼミに入る事は、とても大きなひとつのきっかけになるのですが、それ以前で、少し挫折を感じているような学生にどのように対処すればいいのかということを、私はとても重要なことと考えております。ご両親は、大学を卒業してほしいとお子さんにおっしゃいます。おっしゃるのですが、本人に迷いのようなものがある場合もあります。大学生になれば子供は手がかからなくなりますが、親御さんにはそれでも目を離さないで欲しいと思います。目が届かないところに行っても、心は離さないで欲しいと思う事があります。

私の担当科目は英語なのですが、人物紹介のパラグラフを書くという課題を課すのですね。そこでは私の予想に反して、家族の事を書く学生が結構いるのです。その中に、「大学生になって東京で一人暮らしを始めて、月に1度父から長い手紙を貰う」ということを書いた学生がいるのですね。今まで一緒に暮らしている時には、そんなことはなかったのだけれど、別々に暮らすようになってーヶ月に1度長い手紙を書いてくださる。そのお父様はお子さんと何か新しい関係を築いている、とても素晴らしいことだと思いました。本人はまだそれに対して、なかなか返事を書けていないと言っていましたが、お父様の気持ちを十分に受け留めて、それに応えようとしているんだな、ということがわかりました。ですから、こちらが語りかけたり、あるいは働きかければ、学生はそれを十分に受け入れるものはもっているのだということを感じさせられています。

学部長 先ほど武内先生から、Person to Personを、どのように教育の場で具体化しているか、実行しているかというお話がありました。その点について阿久澤先生がおっしゃつたプレゼミとゼミの他、23年前から学部として工夫した点がいまーつあります。

我々の学生時代もそうでしたが、大学に入学してー、2年生の頃に関わる科目は、ほぼ英語、第二外国語、保健、体育、そして教養科目です。そのときの学生には、黒田先生がおっしゃったような迷いがあって、ある程度悩んだ後、ゼミに入る。学生を我々がゼミに受け入れるときには、ある程度良かれ悪しかれ個性が固まってしまっているケースが多い。入学して間もなく悩んでいる学生に、何とか我々専任スタッフが直接学生と真の会話ができるようにならないものか。

1、2年生がもつ悩みをクリアーするために設置したプレゼミが、このような考え方のもとに組み立てられたもののーつであることは、すでに述べたとおりです。もう1つは科目に関係するものです。縁があって杏林大学に入ってきたのだから、通常の授業でも杏林大学の専任の先生となるべく接する時間を多くしようとした。つまり1、2年、特に1年のフレッシュマンの時期の語学担当者などにはできるだけ専任のスタッフを充て、非常勤の先生は、2年生の担当か、あるいは専任のスタッフを補完とする形で担当を割り当て、今お話にあったフォローがこれまで以上に、かなりできるよう工夫した。こういった支援体制は、なかなか制度の上では見えてこないところですけれど、この点は我々が自負できる工夫点だと思います。

学生部長 そうですね。今学部長がおっしゃった点は、時問割でも確認できます。概ね水曜日にプレゼミナール、英語を火曜日と木曜日、第二外国語を月曜日と金曜日に配当する事によって、月曜日から金曜日まで毎日、大学に通うよう学生にモチベーションを与える。そうすることで、バスの通学時間が長く苦痛に感じる学生も、足繁く大学に通い、大学との心理的な距離を縮めるように時間割の面でも工夫がされていると思います。

司会 昔、黒田先生の英語の授業に出たことのある私のゼミのOBなのですが、先生に英語の単位を落っことされてしまった。だから3年生の時に履修していたのでしょうね。「黒田先生の前で、恥をかきたくない」と、言って勉強していました。学生には、ああいったことも必要なのでしょうね。私は後から感激した事があります。それに、最近は色々と状況が変わってきました。例えば、大学に女子学生が増えました。以前とは大分違うことですよね。私のゼミは、怒鳴り散らすので有名なのですが、怒鳴ると泣いてしまうのは男子学生。女子学生はぐっと堪えて「こん畜生」という顔をして睨み返してくる。以前とは、こうした違いを感じるわけです。

今少しお話に出たアルバイトの話について、本当にもったないと思うことがあります。それはアルバイトをしないとやっていけないという現状があることです。私のゼミでは、昔からアルバイトは禁止としてきた。それは勉強をまず第一にして欲しいということがあったからですが、あるとき女子学生に叱られましてね。「先生、こんなに経済状態が苦しいとき、親からの援助で全部やっていくわけには行かないんです。自分たちが欲しいものは、ある程度自分で稼がなきゃいけない」と言われ、あーなるほどなあと思って、それでは解禁しなければしかたがないか、ということになったのです。それからもうひとつ、名前をいうとびっくりする様な所でアルバイトをしている学生がいます。女子学生ですが、20円ぐらいの給料を稼ぐ。その20万円でお父さんに6万円、お母さんに6万円の小遣いあげているという。僕はびつくりして、うちの子どもたちに、思わずこの学生の話をしたことがあります。その学生は、高いヒールの靴を履いて、何か違和感を感じるような学生でしたが、本当に親孝行な学生.だと。やはり姿かたちだけで人を判断してはいけないとしみじみ思ったことがありました。

さて、パーソン・トゥ・パーソンという基本的な理念だけは変えるべきではなく、その理念を実行するための手段として、実際に色々な講座を設置しているわけですが、反面、何をどのように履修したらよいのかわからないといった、高校の延長線上で大学に来ている学生が大変多い。その分、教務委員会は大変だろうと思いますね。学生に、どのようなことをどのように判断して履修しなさいと指導していくか。様々なモデルケースを作っておられるようですが、どうでしょうか。学生の科目履修状況はどうですか。まんべんなく間違いなく履修していますか。

教務部長 4月の履修登録の前に、約3日間かけて、履修相談が行われます。とにかく少しでも、たとえつま先ぐらいのほんの些細なものであっても、何かわからないことがあったら相談に来るべきだ、そのままにしておくと大きな失敗につながるからと、その履修相談を学生諸君に徹底させてしています。かなりの数の学生が履修相談に来ています。

あと、教務委員会を構成する先生方が、ものすごいエネルギーを投入して多面的に教務・学務関係の問題処理を分担して行っています。もうひとつ、職員の方についても、他の大学では、職員によっては学生に対して高圧的な対応をとる場面も見受けられますが、杏林大学での学生への対応を見ていると、非常に柔らかい、と同時にきちっと必要な事柄を説明しています。相手が納得するまで、『これは、こうですよ。こうなんです。』というようにして、何度でも繰り返し説明している。私から言うのも僭越ですが、杏林大学には非常に優秀な職員の人が揃っているのではないかと思いますし、それは、実際に、職員の方々が学生諸君に直に接する窓口なのですから、たいへん大事なことではないかと思います。

司会 私の大学院ゼミには、他の大学から入学した学生がおります。ときどきその出身大学で作成された論文を見せてもらったりするのですが、「君、ここの入試、よく通ったね。僕なら落とすよ」と言いたくなるような論文もあるのですよ。そういう意味では、杏林は他の大学よりも遥かに良い教育をしているということを自負しています。決して自画自賛ではなく、確かに良い教育をしている。若い先生方が、8時、9時まで残って学生と一生懸命やっている。教育というものは、何時から何時までというように終わるものではない。時には早く切り上げてもいいではないか。時には長く、とことんやってもいいではないか。私は、教育とはそういうものだろうと思うのですね。本当に親御さんが心配していらっしゃることは、そういうことだろうと思います。

入試に関する基本的な方針

司会 話を入試の方に移して行きましょう。他の大学は今、大変なことになっています。今までのところ、我が学部は本当に幸運だったと思います。時代の流れで学生の数が減っていく、だから何でもいいから入学を、という大学のなんと多い事か。私が講義を頼まれて行っている大学では、本当に受験生のレベルが落ちてきている。受験生が定員に満たないから、合格にせざるを得ないということなのです。こういう大学に比べると、これだけ受験生が集まってくれることを、やはり諸先輩方に感謝しなければならない。この学部で教育を受けてよかったから、自分の子どもたちも入れたい、ということにならないと本当に良い大学にはならないと思います。

学生部長 本当にそうですね。下の子も、孫も、というように。

司会 そう、孫も。本当はそうなってくるべきだと思うのですが。入試に関する考え方や今後の試みについて、学部長から色々お話を。

学部長 入試については、ここしばらくの間、我々の学部だけでなく多くの大学が同じような状況にあると思います。総合政策学部の入試の種類も全体で13種類もあり、いろいろな選抜方法を採っているわけですけれど、一番重要な問題は、学部としてのレベルを落とさずに、いかに定員を充足するかということだと思うのですね。数さえ揃えば良いという考えはまったく採りません。その点幸いにも、場所的条件にも関わらず、さらに宣伝に力を入れたということもないにも関わらず、受験生に恵まれたということは、光栄なこととと思っています。

全国的に見ると、約500校の大学の中で、約3割程の大学は定員割れをしております。東京にあるから有利、という話も片方にありますけれど、東京にあるとはいえ、定員割れを起こしている大学もあります。この問題は今後4年くらい経つと、更に顕著になってくる事は十分承知しておりますので、色々な相矛盾する要素をも混ぜながら、適宜積極的に対応していきたいと思うわけです。

この問題への対応は、学部長がこう考えるから「右向け右」ということでは解決せず、専任スタッフ全員で知恵を出し合って解決していかなければなりません。まず、学部のレベルを下げないようにすることも最大限に努力しなければなりません。そのためカリキュラムの仕組みをどうするか、学生が卒業してからのキャリアサポートなどをどうするか、という問題をも含めた現実的な対応をしていかなければいけません。今ある指定校制等の推薦入試も、色々とひと工夫ふた工夫しなければならないと思っています。さらに学部名称が変わって、今は色々な意味での肉付けをして行く段階ですから、その段階を踏まえながら、その成果を明らかにすることによって、学生からも、これは快適になったということを実感してもらうことが、長い目で見て学部が安定・発展していく方法だと思っています。こうした工夫をすることによって、いい受験生を集め、そしていい卒業生を社会に送り出すべく、入学時、在籍時、卒業後のケア全てを有機的に考えるという、学部を挙げた取り組みを行わなければならない、と思っています^、すでにこれまでに様々な工夫をしましたが、今後とも専任スタッフに、いろいろお願いしながら考えていきたいと思っています。

例えば、日本製麻ですか、卒業生が上場会社の社長になるという話があります。そういうことを我々学部の誇りとして、このような第二、第三の卒業生を世に輩出できるようにしてゆきたい。このような取組みの積み重ねが、定員割れとか受験生の減といった問題を本質的にクリアするのだと思います。私はただ受験生を増やす論理だけの話で妥協すればいいとは決して思ってはいません。

司会 つまり、魅力のある学部とは何かということだと思いますね。本当にパーソン・トゥ・パーソンという言葉に尽きるのだろうと思います。今だからこそ、こうした基本的な教育の理念を皆で主張していかなければいけない。今、若い先生方が必死になってやっておられるけども、もつと先生方が競争をして、よりよい教育をしていくような方向にもっていく。それが結局、入試でよい学生が入ってくることに結びつくのだと思います。中には勉強したくない学生もいるわけですが、そうした学生をどのように教育するか。大変な事だろうと思いますが、心のこもった教育というものは、必ず学生の心に響くものだろうと思うのですね。

しかしそうはいっても、教育というものは、大学だけで出来るものではない。やはりご家庭でもしっかりやってもらいたいということもあります。私は、去年キッコーマンで行われた講演会の司会をやらされました。話をしていまして、少しムカッとしたことがありまして。「大学は何をやってるんだ」と言われ、「大学が何をやっているんだ、じゃなくて社会は何をやっているんだじゃないか」と文句を言い返したことがあります。やはり全部が考え直していかなければならない。大学だけが教育の責任を負わされるのはどうかと思う。家庭も同じ、会社も同じです。皆で考え直さなければならないと私は思うのですが。そこで、黒田先生にお伺いしますが、学生部長として学生に期待する事は何ですか。

学生部長 私たちは、基本的な理念であるパーソン・トゥ・パーソンという教育を堅持しているわけですが、現在は、目先の流行り廃りに惑わされないで、オーソドックスで良質な教育の伝統を継承していくということが、とても難しい事だとも思うのですね。それを継承しようとしながらも、例えば資格を色々取りたいといったような細かい二ーズに対応していかなければいけない。あるいは検定試験の合格者を沢山増やさなければいけないとか。今は、そういった色々なことに目配りをしなくてはいけないという状況が生じてきています。

 しかし、グローバリゼーションとかITといったキーワードが示す事象は、現に私たちが直面していることなのであって、大学教育の目標そのものではないということを、はっきりさせなければいけないと考えています。つまり今の流行でいえば、英語が出来てコンピューターも使うことができるようになればいいと簡単に考える人がいますが、それはあくまで前提に過ぎないのであって、教育目標のコアというものはまた違う。この国の将来を担う人材として、ただ英語とコンピューターを使うことができればよいというものではなくて、20年後の状況を考えたとき、こうした技能は前提にはなるけれども、日本人としてこの国をどのようにしたいか、ということを自分の頭で考えることのできる人材を育成しなければなりません。そして同時に、他の人の気持ちや立場を理解するイマジネーションといったものを培うことが、単に技能を身につける以上に大事な事なのですね。ですから目先の事にあまりとらわれすぎると、実はそれ以上に大切なものを見失ってしまうことになるのではないかと思います。例えば外国語を学ぶという事は、自分の中にもう一つの世界を増やしていくということです。そういう意味では、英語を始め、第二外国語や第三外国語についても、それに接することによって自分の世界を広げ、イマジネーションを豊かにしてもらいたいと願っています。外国語を学ぶ最大のメリットは、ただ単に会話が出来る、使えるだけではなく、自分の国と母国語とを客観的に見ることが出来る、あるいは自分の国と母国語を良く知って、意識する事が出来るということなのですね。そういうことも十分に、学生に伝えていくことのできる教育をしなければいけないのではないかと思います。ですから目先の二ーズヘの対応も同時進行しなければいけないところが辛いところではありますが、それだけに捉われてはいけないということを強く感じています。

司会 先生のおっしゃる通りだと思います。パソコンができる、英語ができるというのは、所詮、手段に過ぎないわけですよね。やはりきちんとした考え方を持っていないと。哲学をもっているかどうかと思うのですね。今教育に求められているのは、,今ほど情報が氾濫する中で、自分の目というものをどう作るか、どのようにして学生たちに自分の考え方を持ってもらうか。そういう取り組みがいま一番重要になっているのではないかと思いますが。私のところへは、毎日色々な情報のメールが30通ぐらい来ます。その中は情報であふれています。その中から、いかなる情報を取り出すかというのが、自分の目だと思うのですね。本当にこういう時代の中で、何を選ぶか、何を考えるか、そういう教育を学生のお父様お母様は、望んでおられるのではないかと思います。この頃の学生は、どちらかというと皆で真似をすれば怖くない、「赤信号、皆でわたれば怖くない」という発想が強い。本人は個性があるつもりでも、傍目から見れば個性がほとんど見えない戸、皆同じ格好をして、中身で目立とうという意識がない。しかし個性がない時代だからこそ、本当は中身が要求されていると思うのですね。阿久澤先生はいかがですか。こういった問題をどうお考えですか。

教務部長 そうですね。学生が持っている魅力や能力を培い、できるだけ引き出す、また気づいていない自分を引き出すのが教育の基本だと思いますから、やはり大学がなすべきことは、小中高の生徒ではない、これから社会に出て行く学生に対して、何を教えるか、何を経験させるか、何を考えさせるかという教育であるべきだと思います。

それから話は随分と変わるのですが、私が担当するゼミでも新年会をやります。私は群馬に住んでいますので、ゼミ生諸君がはるばる群馬まで来てくれるわけですが、彼らを迎えた我々家族が共通に感じる印象は、『すれてなくて、本当にいい学生さんばかりだね』という感想なのです。これが杏林大学以外ですと、もっともっとすれていて、あるいは人のいないところを探し出して、そこをうまくすり抜けて通って行くような学生もいるわけです。まあ、これも大事な処世術なのかも知れませんが。そういう、根っからの素朴さがあり、おとなしい、性格の好ましい学生が学部のゼミにいる。もちろん、私のゼミだけではなくて、学部全体の中にいる、と実感しています。それは、おそらく学生の性格や気質が個々の家庭環境・家庭生活を反映しているでしょうから、とりもなおさず親御さんや保護者の教育というものが、そこに表れているのだろうと思います。ですから、今度は大学としても、学生が社会へ出たときに、杏林大学社会科学部・総合政策学部で4年間学んだ、これが杏林の学生であり卒業生なのだと、その学生の良さが社会の中に顕れるような、そういう教育が必要だと考えています。親御さんや保護者の方々と一緒に、あるいは、ある程度親御さんや保護者の方々になり代わって、大学が学生を教育し、将来十分社会の中で活躍できる、立派な、しかも人間的にも魅力のある社会人に育てることがこの学部の使命だと思っています。

司会 学部長はいかがですか。

学部長 その点に関して、私は先ほど、社会科学を勉強するには愚直なまで無駄を可能な限り経験してもらいたいとお話しましたが、少し補足させていただきます。具体的に申しますと、私のゼミナールでも、他のゼミと同じように卒業論文を課しています。200字詰原稿用紙400枚以上をオブリゲーションにしております、.学生の自由にするとすぐ楽で手っ取り早い結論を求めてしまうので、私は敢えて2部作成することを要求しています。2部というと、学生は必ずコピーかワープロで打つことを考えます。しかし私はコピーもワープロも認めていない。手書きにさせます。学生にとってみれば、このオブリゲーションはまったくの無駄に見えます。2部作成を要求するのは、ひとつは私が保管し、もうひとつは本人が持って卒業するためです。卒業したら、私の研究室に保管している卒論を、将来子どもさんに自慢する為に買い取りなさい、買い取ることができるような社会的な立場になりなさいと話します。この他、私にはもうひとつの狙いがあります。2部以上手書きで書く作業をやってみた者は必ず言います。「今年は、冬休みはありませんでした。正月もずっと書いていました。手が痛かったです。でもやってみると、あれほど満足感を得たものはなかった」と。私が言っている無駄というのはこういうことなのです。

橋を渡る前に、あれだ、これだと言っている様を、傍目には無駄なことをしていると思っている人がいますが、これは大きな間違いです。橋を渡ってみたら、無駄だと思っていたことが、実は無駄ではなかった、と思えるような体験をできる限り多くさせてあげたい。私はこういった無駄を数多く出来るのが、大学の4年間だと思っている。社会に出てこんなことやっていたら人に負けてしまいますが、親の保護下の温室の中で、なんだそんなことをやっているのかと言われながらも、いわゆる「愚直さ」を存分に学ぶことができるのです。これを絶対体験させてあげたい。それを体験してみて、何かを得ることができれば、いわゆる我々がいう手作りとか、Person to Personの教育は、必ず成し遂げられるはずである。私は、色々と形は違っても、学部でこうした精神を育てていくという目的を達成し得るための色々な方法を、多くのスタッフと相談していきたいと思っております。

司会 情報を簡単に取ることのできる便利な時代、そのまま写してくれば、誤魔化しも効く時代。これではいけません。私もレポートは全て手書きを要求します。これは決して嫌がらせをする年齢になったからではなく、学生の為だと思うからなのですね。自分の手で書く。これを1回でもした方がいい。パソコンなどというものは、会社に行けば嫌でも使わざるを得ない。それを使えるとしても、手でも書けなければならないという事を教えなければならないですね。

総合政策学部の将来の方向性について

司会 それでは最後に、将来の方向性についてのお話を学部長からお願いします。

学部長 私が最初に『社会科学部から総合政策学部へ』という経緯でお話ししたような内容で学部運営を進めてゆきたいと思います。これから肉付けしていくべき事柄が非常に多いと思いますので、今日発言した内容を元にして、みなさんと共に考え、実行に移していきたいと思います。やはり最終的には複雑な社会現象を、総合的、多角的に判断することのできる学生を育てるということが基本にあり、そのために普段の教育とカリキュラムとを、どのように変革・発展させてゆかなければならないかを検討していくことになるだろうと思います。それから最後にこのキャンパスで自慢できることをもうひとつ申し上げたいと思います。それは学生が教員や職員に、ごく自然に挨拶をしてくれるということなのですね。「おはよう」というと「おはようございます」と返って来る。当たり前のことではあっても、他の大学ではあまり見られない。一般的常識や専門的知識を習得するだけではなく、併せて豊かな人間性を育んできた、これまでのいい部分も絶対に守ってゆきたい。ですから私などにしましても、すました先生顔をするのではなくて、通りすがったときには、「おはよう、こんにちは」と言い、その挨拶が返ってくるように、これからも語りかけていった方がいいのではないか、このように思います。

司会 本日はお忙しいところ、いろいろとお話を伺いました。どうも、有難うございました。

(構成原田奈々子助教授)