教職員の声

北村 一真 外国語学部英語学科 講師

平成24年9月に文部科学省主導のプロジェクトである「グローバル人材育成推進事業」に採択されて以降、杏林大学では従来にも増して国際的に活躍できる人材の育成に向け注力しています。私も外国語学部に身をおく一教員として、微力ながら大きな目的に向けて何ができるか、いかに責任を果たすことができるかを日々考えています。

今の日本社会の趨勢に目を向けると、国家的なプロジェクトもしかり、また、世界的展開を目指す大企業の動向もしかり、明治の開国以降も日本が続けていると揶揄されてきた精神的鎖国を打ち破り、この国が本当の意味で地球規模に展開していく段階の過渡期であるかのようにも思えます。それに伴い、グローバル化や外国語教育といったものに対しての人々の関心も未曾有の高まりを見せているように感じられます。一方で、このような変革の際に等閑視してはならないのが、肥大化したスローガンが当事者の想定外の方向へと一人歩きしていってしまう危険性です。今まさに、日本の中で大きく時代が動こうとしているからこそ、私たちは「グローバル」や「国際化」といった言葉の皮相の意味に踊らされるのではなく、それが真に何を意味するのか、あるいは意味しなければならないのかを考える必要があるのではないでしょうか。

例えば、グローバル化が進む中で、語学力並びに留学経験がこれまで以上に重要となる、という言説には説得力があります。しかし、このような「分かり易い」言説は、個々の語の定義が曖昧なままだと、時に資格試験偏重主義や留学至上主義のような極論の温床となることも看過できません。グローバル化とは経済的、人口的観点から国家間の相互依存が一定度のレベルに達し、国家の枠を超えて互いに利害関係の調停を行う場面が一般の市民にまで及んでくる状態を指すと考えられます。そのような時、国際共通語を使えることは確かに求められるかもしれませんが、それは単に「英会話」や「中国語会話」ができるレベルの語学力ではありません。自国と他国の文化的相違、背後に横たわる歴史、そしてさまざまな社会的慣習の違いを理解し、双方にとって利益が得られるような交渉が行えるだけの語学力です。換言すれば、言葉を武器として活用できるだけの、思考力や素養こそが求められる、あるいはそういうことができる人材をこそ「グローバル人材」と呼ぶべきなのです。

こういったことを勘案すれば、外国語学部教育の花形である資格試験のスコア向上や留学プログラムも、実際には日常の教室での地道かつ継続的な指導に支えられているという現実が見えてきます。「留学」や「グローバル」といった言葉の響きに対する学生の憧憬を受け入れながら、それがイメージ先行のものとならないよう、その可能性の広がりと奥深さ、そしてまた、そこに伴わなければならない様々な技能を伝えていけるよう丁寧に指導していくこと、これこそが私たち教員の役割だと思っています。

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