病院について当院のドクター紹介

病気と戦うには「自分は絶対良くなるのだ」と信じることも大切です。

12月のドクター紹介は、整形外科の市村正一教授の紹介です。
学生時代に夢中になったクラブ活動やヨーロッパ周遊旅行の思い出を伺いました。

市村 正一
 
名前 市村 正一 (いちむら しょういち)
血液型 O型
趣味 読書:特に時代小説や戦記ものが好きです。
旅行:時間があれば全国各地・海外も行きます。国内では特に北海道が好きです。
専門 脊椎・脊髄疾患、骨代謝性疾患
所属 整形外科 教授
プロフィール 昭和30年 新潟県新潟市に生まれる
昭和55年 慶應義塾大学医学部卒業
昭和57年 慶應義塾大学医学部整形外科助手
平成6年 米国ワシントン大学へsenior fellowとして留学
平成9年 慶應義塾大学医学部整形外科医長
平成10年 防衛医科大学校整形外科講師
平成15年 杏林大学医学部整形外科助教授
平成21年 杏林大学医学部臨床教授
平成23年 杏林大学医学部教授

■ 子供の頃はどんなお子さんでしたか?
 真面目な正義感の強い子供でした。小・中学校では生徒会長もしていました。運動も好きで、当時は校内の200メートル走の記録保持者でもありました。中学校では卓球をやっていたし、マラソン大会ではいつも上位で、体育の成績はよかったですよ。高校生で始めたスキーは今でも好きです。
 高校生の時に地球物理に興味を持ち、東京大学の竹内均先生(日本を代表する地球物理学者の第一人者)に憧れました。宇宙はとても神秘的です。その神秘的な宇宙の成り立ちに惹かれて東大の理科Ⅰ類を目指していました。ですが、現役合格はならず、予備校生活を送ることとなり、その予備校生時代に宇宙の神秘から人間の身体の神秘へと興味が移り、医学部を目指すことにしました。小さい頃から漠然と医学に興味があり、職業の選択肢のひとつではありました。

■ 学生時代の思い出を聞かせてください。
 学生の時は軟式テニスクラブに所属していて、週に4~5回はクラブ活動に参加していました。M5の時には部長も務めました。あの頃は授業の出席に関しては厳しくなかったので、科目ごとにノートを取る担当が決まっていて、そのノートをみんなでコピーして勉強しました。私はコピーをもらう担当で、授業をサボってテニスコートを取るために中野にある哲学堂公園に徹夜で並んだものです。夏は哲学堂公園にあった売店で、カキ氷にサイダーをかけて飲んでいました。懐かしい思い出の味です。夢中になりすぎて、光化学スモッグ注意報が発令されても、「なんか目がチカチカするな」と言いながら、テニスをしていました。私がM2の時にチームは東医体(東日本医科学生総合体育大会)の団体戦でみごと優勝、M6の時は第4位と、非常に強いチームでした。クラブの仲間はとても仲が良く、合宿も頻繁に行われ、長野や群馬、山梨などに行き、テニスだけでなく、冬にはスキーなどもしました。当時の仲間とは今でも毎年同窓会を開いて、昔話や近況報告をしています。

チームが優勝した時の思い出の1枚。長野県松本にて。

クラブのスキー旅行。長野県志賀高原に行きました。

クラブの会合にて。

   私がM2の時にストライキがあり卒業が半年遅れました。そのため、国家試験まで半年空いてしまい、旅行が好きだったこともあり、ユーレイルパスを使って後輩と一緒に25日間のヨーロッパ周遊旅行へ行きました。朝、起きたら目的地を決めて大きなデイバッグを背負って電車で移動します。目的地に着いたら、まず今晩泊まる宿を探します。ユースホステルや、学校が休みで空いているドミトリーなどを宿として安価で提供するところを紹介している本を片手に、カタコトのドイツ語で「今晩、泊まることができますか?」と電話をかけたものです。宿を確保したら、荷物を預けてあちこち観光しました。こうしてイギリス・オランダ・ドイツ・フランス・イタリア・オーストリア・・・各地を回りました。ドイツ連邦共和国のハイデルベルクでは、他のツアーで観光に来ていたテニスクラブの後輩たちと落ち合って一緒に回ったり、ローマからポンペイに行こうとして電車を乗り間違えてしまって、途中で降りて地中海で海水浴をしてまたローマに戻ったりもしました。旅行中は特段の事故や事件に巻き込まれることなく、とても充実した楽しい旅を送ることができました。

生協で購入した学生パス。

イタリア・ローマ

ドイツ連邦共和国・ハイデルベルクで合流したクラブの後輩たちと。

ハイデルベルク。一緒に行った後輩と。

フランス・ベルサイユ。

ドイツ・ミュンヘン。

■ なぜ整形外科を選んだのですか?
 私が医師になった頃は、整形外科を専門にする医師が少なく、まだこれからの診療科でした。今でこそ、骨折したら整形外科と思いつきますが、当時は大きな病院にしか整形外科はなく、「ほねつぎ」とか民間療法に頼っていた時代でした。しかし、これから必ず必要となる専門科であると思いましたし、自分が整形外科診療の全体のレベルを上げてやる!という志で整形外科を選びました。
 それと、整形外科の特徴でもありますが、他の外科系の診療科は内科系の診療科と併診することが多いですが、整形外科は初診から検査、手術、術後フォローアップまで単独の診療科で患者さんを最初から最後まで診ることができます。また、他の診療科と比べて治療の結果が早く、そしてはっきりとわかるところもいいですね。自分の身体に不安や痛みを感じている患者さんに、レントゲン画像やCT画像などをお見せして、早く診察結果を示すことができるし、手術や治療で、骨がくっついたとか痛みがとれたとか、患者さんが結果を見てわかる・感じてわかるところが良いところだと思います。ですが、逆に結果がはっきりとわかる分、必ずしも予想した結果よりも悪い場合などはとても辛いですね。

■ 留学先ではどのように過ごされましたか?
 米国シアトルにあるワシントン大学に1994年~96年の2年間、家族と一緒に留学させていただきました。現地では一軒家を借りて過ごしたのですが、野生のリスがいたり、お隣りで飼っている馬が庭に入ってきたりと、おおらかなところでした。近所に大きな湖がたくさんあって、そこに架かっている浮き橋を車で通って毎日通勤していました。米国は外国人の多い国ですので、子供の学習環境も整っていて、通常の授業の他に、英語を母国語としない子供たちのために英語を教えてくれるプログラムもありました。子供の学習能力は素晴らしいもので、大学の研究室で研究に没頭している私よりもヒアリングが優れていて、「お父さん、こう言っているんだよ」と教えてくれました。やはり、他の国の言葉を習得する一番の方法は、その国に行くことですね。
米国では飲み会というとホームパーティーが主流でした。日本のように仕事終わりに仕事仲間と居酒屋に行くということはなく、週末に誰かの家でパーティーが開催され、家族と一緒に参加することが一般的でした。とても楽しかったことを記憶しています。

子供たちとグランドキャニオンで。

シアトルの家の近所の公園で。

■ 最後になりますが、患者さんへのメッセージをお願いします。
 特に高齢の患者さんに伝えたいメッセージなのですが、病気と戦うには「自分は絶対良くなるのだ」と信じることも大切です。手術や治療は一人ではなかなか難しいこともありますが、「この困難を克服してやる!」と意欲的に頑張っている姿を見ると、家族や周りの人も自然と応援してくれると思います。



座右の銘

継続は力なり

ひとつのことを続けることが、後に大きなことを成し遂げることに繋がります。例えば、若い医師なら専門分野のうちのひとつをテーマに研究を進めます。医局の中では自分が一番詳しいぞ、と言えるようになったら、次は病院の中で一番、次は多摩地区で一番、次は都内、関東、日本、アジア、世界!と継続することが成功への第一歩です。ひとつのことを継続していると必ず誰かが見ていてくれて、「この人は地道にいつも頑張っているな。今度の発表はこの人にやってもらおう」とチャンスが巡ってきます。その時にきちんと期待に応えられると、自分に自信がついてもっと頑張ろうという良い相乗効果が生まれます。何でもいいからひとつ、続けられるといいですね。



市村先生の診療科詳細は、右のリンクをご参照ください。

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