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体験談あれこれ
理事長 松田 博青

時折原稿を依頼されて何を書いて良いか困る事がある。締切りは迫るし、気ばかりあせる。大体こんな時は、何か高尚な理論や思想を書かなければと力むからで、自分の原稿など誰も期待していないのだと思いつくと気が楽になる。それでも尚、我が身の安全をはかるには、誰も反論出来ない自分の体験談が一番無難だ、と自分で勝手に納得して過去1年以内の記憶をたどり、お茶を濁す事とした。

(1)今年の5月初め、娘が「(TOEICの)申し込みを2人分しておいたわよ」といきなり言い出した。娘は10年前英文科を卒業しアメリカの大学に2年余り留学した経験があり、私にだけは負けたくないと言う。

こちらは博士論文の試験を
30数年前に受けて以来、試験と言えばモーターボートの免許試験以外受けた覚えも無い。勿論このテストの準備をする余裕も無く「どうにかなるだろう」と試験場に出かけた。受験者の9割以上は20代の男女で、改めて日本の青年男女の英語に対する意欲に感心したり、自分の様な年配者をやっと見かけると彼はどういう理由で受けているのだろうと考えたりした。試験時間は2時間、聞き取り、読解併せて200題、いくつかの答の中から正解を選ぶ方式であった。結果は娘は800点を越え、私は765点で、娘は体面が保てたと喜び、私はうぬぼれを承知で言えば自分の英語力が如何に落ちたかを思い知らされた。因に一昨年の日本の個人受験者の平均点は561(990点満点)の由である。

最近になって文部科学省は、英語教員の目標をこの試験の場合
730点以上に置くと言い出し、「今更遅過ぎる」「何もしないよりはましかも知れない」と両方の思いである。

(2)昨年の9月、ニューヨークのテロ事件後間もなく同じニューヨークに住む息子夫掃に第2子が生まれた。病院の出生証明書の提出によりアメリカ政府は(出生地主義の政策)直ちにこの子にアメリカのパスポートを交付した。ーカ月後曾祖父母の度重なる要請により息子達はこの子も連れて一時日本に帰国する事にした。ニューヨークの日本総領事館は「外国で出生した日本人の子供が、本籍地の市役所で戸籍が作成されるまでには23ケ月を要する」の一点張りである。結局総領事館は「仕方が無いから渡航証明を出してやる」息子は「これは往復有効か?」「勿論そうだ」の返事を信じて成田に戻った。ところが入国管理官は「冗談じゃない。これは日本に来る時だけ有効でニューヨークに戻る時は無効である」と言う。外務省領事部に私がこの件を尋ねると「個人的意見だが向こうに戻る時はアメリカのパスポートを提示してアメリカ人として日本を出国したらどうか」と。

当日、案の定成田での出国手続きの際、息子達
4人は別室に連れ込まれ根掘り葉掘りの事情聴取の末やっとアメリカパスポートに「日本人として出国させる」の印を押しギリギリで飛行機に間に合った。アメリカ人の弁護士はこれを聞いて「フランスの場合は2週間だよ。日本外務省はコンピューターを使っていないのか、使っていても英語から日本語への変換にーケ月以上かかるのではないか」と大笑いしていた。この事件を知り合いの新聞記者が月刊誌に、私と息子の実名入りで書いた処、現地日本総領事館では「戸籍は法務省も関係しているのに何で俺達だけが悪者扱いされるのだ。一体松田と言う奴はどういう奴だ」と大変な物議をかもした由である。

先日この子の日本パスポート取得の為に市役所に戸籍謄本と住民票の申請に行った処、前者はあるが後者の記載は無いと言う。私は戸籍が出来れば住所も同じだから当然住民票もあるし、その上パスポート取得の為に住民票が必要なのにと思っていたのだが、市役所の理屈は出生時に現地の住所を総領事館に届けているのであろう。だから帰国後パスポートを提示すれば住民票を作成すると言うのである。まるで鶏と卵の論争の様に思ったが、結果は市役所の言う通りでこちらから送った戸籍謄本だけで日本のパスポートが交付された。泣く子と役所の理屈には勝てないと言うのが感想である。

(3)チップはアメリカでも一つの習慣であるが、日本人の中にはチップの基準額がどの金額なのかよく解らず飲食代ではなくて、これに税金を加えた総合計額を基準としている人も多いように見受けられる。また、ここ数年ホテルのレストランによっては、チップの欄がウェイターの分とキャプテンつまりウェイターの親方の分と2ケ所記入させられる事がある。先月或るホテルで食事を済ませ伝票にサインをする段になり、ウェイターに「キャプテンはどこにいるの」と聞くと「今日は休み」と言う。それならば「彼にチップを払わなくても良いではないか」と言った処「それはあなたの自由」との返事。「物言えば唇寒し」とはこの国の話であるが「物言わねば懐寒し」とは彼の国の話である。

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