杏林大学50周年記念

杏林学園創立50周年へ「地域から世界へ、進化する大学」

  • 学校法人杏林学園の母体 東京三鷹新川総合病院 杏林大学医学部付属病院の前身である三鷹新川病院が、この地に開設されたのは、昭和29年1月のことです。昭和38年には、三鷹新川病院が「総合病院」と称することが承認され、病院名を東京三鷹新川総合病院と改称しました。その後、本学医学部が開設されたことを受け、昭和45年8月1日正式に杏林大学医学部付属病院として再出発しました。
  • 学校法人杏林学園を設立 杏林学園短期大学を設置 昭和40年頃から、衛生検査技師養成のための短期大学設立の気運が高まり、諸準備を進め、昭和41年1月25日付で学校法人杏林学園設立と杏林学園短期大学の設置が文部大臣から認可されました。この杏林学園短期大学は、昭和47年に校名を杏林短期大学に改称、その後時代の要請と社会的要求に応える目的から、昭和54年度には衛生技術学科を、臨床検査技術に、また保健学科を新設して、併せて杏林大学保健学部へと発展的吸収を遂げました。
  • 杏林大学創設 杏林大学医学部・戦後初の認可となる 昭和45年3月17日、杏林大学医学部の設置が正式に認可されました。これは、戦後初の医学部の認可であり、この年同時に認可されたのは、川崎医科大学・北里大学・本学の私立3校と、秋田大学の国立1校で、マスコミにも大々的に取り上げられました。
ちなみに、これ以後は数年に亘って医科大学新設ブームが続くことになります。
  • 看護専門学校のあゆみ 当初は進学コース2年制で発足 医学部付属看護専門学校は、昭和46年4月に「杏林大学付属高等看護学校」という名称で、進学コース2年制の看護学校として開設されました。その後、昭和50年4月に3年課程に学則を変更して再出発を果たし、今年で39年目を迎えています。現在の名称は、昭和54年4月に保健学部が新設されたことに伴い、制定されました。
  • 杏林大学保健学部開学 現代治療及び予防医学の一大殿堂へ 昭和54年に臨床検査技術学科及び保健学科(のちに健康福祉学科と改称)の2学科でスタートした保健学部は、パラメディカル・予防医学その他の関連部門の重要性から、専門技術者の育成に注力、平成となってから、看護学科、臨床工学科、救急救命学科、作業療法学科、理学療法学科、診療放射線技術学科と学科の新設を重ね、現在では8学科を擁する本学の中で最も学生数の多い学部となっています。
  • 杏林大学社会科学部開学 のちに、総合政策学部へ 保健学部と並んで八王子キャンパスに開設された社会科学部は、自然科学に属す医学部や保健学部とは学問領域を異にする純然たる人文社会科学部として、昭和59年に開設されました。平成14年には、総合政策学部に改称。急激に変動する社会にとって指標となる総合的な政策の立案、実施が求められている現在、広範囲の理論の蓄積を前提としながらも、実践的な問題解決に対して、十分な判断力、行動力のある人材を養成しています。
  • 杏林大学外国語学部開学 総合大学への道 昭和63年4月、活発化する国際化時代のニーズにこたえて外国とのコミュニケーションの基本的手段である外国語−その中でも、最も広く世界に通用している英米語および重要な国際語となっている中国語−に堪能な人材の養成をめざして開設されました。これにより、杏林大学は医学部・保健学部(自然科学領域)・社会科学部(社会科学領域)・外国語学部(人文科学領域)が揃い、複合大学から総合大学へと発展を遂げることになりました。
  • 杏林学園創立50周年へ「地域から世界へ、進化する大学」 杏林学園は2016年に創立50周年を迎えます。井の頭新キャンパス開設を契機に杏林大学は、グローバル教育、地域との連携などに一層力を入れ、医学・保健医療系と人文・社会科学系が連携した総合大学として次の50年、100年に向けた新しい歩みを続けてまいります。 新キャンパス(井の頭キャンパス)の概要

杏林学園のあゆみ

  • 1954年
  • 1966年
  • 1970年
  • 1971年
  • 1979年
  • 1984年
  • 1988年
  • 2016年

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