中竹俊彦 遊び部屋(I) 自然シリーズ (00 I-2) 生物 (1)シジュウカラ

鳥の世界(I-1-2) シジュウカラ(四十雀 その2) 2008.10.05

                                      中竹 俊彦

前書き

 前号で窓の外に見えている「栃の木」に取り付けた巣箱(画像1)のことに触れた。昨年はこの巣箱の借家人がヤマガラで、今年はシジュウカラである。その巣箱に営巣したシジュウカラの巣は、経過と結末がどうなったのか、前号の続きとして、ここに記録することにした。

 じつは、すでに平成20年も秋を迎えた10月に入って、外では早くもシジュウカラの来年度の入居のために、秋の訪問が始まっている。したがって、巣箱を提供した家主の私としては、次の「入居契約」に訪れるはずのシジュウカラ(四十雀)、または、ヤマガラの「一番(ひとつかい)」のために、巣箱内の大掃除をして、期待しながら次の観察に備えようということである。

 そこで、窓の外に見えている巣箱は、大掃除の前に、今年どういう役割を果たしたのかが問題になってきた。まず先に、栃の木に架けた巣箱で観察できた経過を記録し、きょう10月5日に取り外して掃除した結果、想像していたことが現実となって、生物界一般の「真理」を見る思いが迫ってきた。ここで私は何を言いたいのかというと、人間だから自分勝手な事を仕出かしながら、自分の在るがままに「物事に対する見方、考え方」を持つ以上は、それがいつも「自然」を自分の心に中に置いていることなのか、気になる。観察者の私としては、徹底して考え方を繰り返し、反芻して、自分の在り方(存在)が自然に反していないかと自問自答することになる。

 以下、反省を込めながら、本文へ(以下の画像は前文から再掲。新しい画像は忍びなくて掲示できない)。

経緯

 私がリビングの窓から6メートル先にある「栃(トチ)の木」に架けた巣箱は、今年もシジュウカラの営巣が進み、巣立ちの出来事も無事(?)に済んだように思われて、ひととおりの目的を果たした、と思いつつ夏を経過し、林にもクリやドングリの季節が来た。

(画像2) テラスの巣箱では、9個ものタマゴがあったのに!
(画像1) シジュウカラ仕様の巣箱(出入り口の直径は27ミリ)
 画像1の巣箱では、ベランダの巣箱と一見同様に、順調に自然の「営み」が進んでいた。画像2は、ベランダの巣箱で見た前号に掲載の9個のタマゴ。ここは巣箱の広さが結果的にはちょうどよい具合になった。ところがである、栃の木に架けた画像1の巣箱では、こうはうまくいかなかったらしい。

 「うまくいかなかったらしい」と言うのは、10月5日までは、窓から遠目での観察だけで、巣の中がどうなって終わったのかも「巣立ちの跡」を観てからのことになる。経過を観察中に観た微妙な「出来事」と巣箱の「開錠」の結果をつなぎ合わせるしかないから、ここから私の勝手な「物の見方、考え方」である。

 さて、画像1の窓から見える栃の木の巣箱には、ベランダの巣箱よりも約1週間遅れで2家族めのシジュウカラを観察することになった(08.4.24撮影)。ところが、こちらは営巣作業がたった1日で終わってしまい、運び込む巣材の量が妙に少なかった気がしてきた。

 また、産卵がいくつだったのかは確認できないまま、「巣作りを諦めたのかな」、と思われるほど「巣篭もり」も早くて、抱卵したらしい。一昨年の栃の木と今年のベランダのシジュウカラ家族の巣作りは、ずいぶん多くのコケと「犬の毛」を運び込んでいたので、底に敷かれて出来たマットは、巣立ち後も7センチくらいの厚みが残っていた。ところが、今年の「栃の木の家族」の営巣の様子は、たった1日で動きも静かになり、なぜか簡単に終わってしまったように思われた。

 やがて、ヒナが孵ったらしい親鳥の働きになり、餌の運び込みが繰り返されていた。親鳥がくわえて来る青虫は、いくぶん大きめになってきたが、忙しさが「ベランダ家族」と比べて時間の間隔が開いている。ヒナの数が少ないのかな、という予感がしてきた。

 というのは、時期的にベランダの家族よりもやや遅く始まった巣作り、たった1日という短時間での作業終了(らしい)、餌の運び間隔がゆっくりなど、要領が良過ぎるというか、事柄をつなぎ合わせていくとどうやら「巣が簡単、産卵数が少ない、ヒナが少ない」という洞察に至る。

 そして、いつの間にか巣立ちの日がきて、餌をくわえたままの「ヒナへの呼び出し」があって、間もなく巣立ちが完了したかに思われた。

 けれども、翌日も観ていると「あれ、また餌を運んで巣に入るぞ!」という状態になって、まだヒナが残っているらしいと思われた。巣立ちが遅れたのを見捨てていないのか、どうか。それから何日間かにわたって、それ(給餌の延長)が続いたのか分からないまま、巣立ちへこぎつけたのかさえも観察できずに今日(10月5日)の「巣箱の大掃除」となった。

 昨年のヤマガラ(2007)のヒナ達は無事に巣立っていったが、育つ途中で巣箱の中を観察することはできなかった。

 今年のシジュウカラも巣箱の中を観察することは出来ないので、観察のために上記のベランダへも2個めの設置となった次第。

 さて、心待ちすること20数日後、タマゴの殻をくわえて出て行く親鳥の姿を見て、ヒナ達が孵化したことが分かった。

結果

 巣箱の屋根をそっと開けてびっくり。それは、前回(シジュウカラ その1)と同様な感想表現ながら、しかも全く異質のびっくり。なんと、巣の中央部には死んだヒナが1羽と,巣のヘリに卵のままの1個が残されていた。

 そのヒナの大きさと羽毛の具合は、育っている様子がちょうど画像3のヒナ達と同じような大きさのヒナで、状態もこちら向きになったままのシジュウカラではない「ナキガラ」。口を開けたまま、息絶え、夏を越してミイラ化したものを観た。タマゴは「無精卵」の乾燥状態だった。これでは、孵化しない。有精卵はヒナになる必須の条件というもの。死んだ雛は、こちら向きになっていたので、最後の餌をもらう前に息絶えたのかと想像される。

 死んで残されたヒナのマット(巣材)は厚みも薄く、犬の毛も画像3と比べるまでもなく極端に少なく、まるで「せんべい布団(ふとん)」とはこのことかと、人間世界を思わせる。まるで、都心のビル陰に薄い「敷布団」を敷いて、その上に丸まって横たわる「屋根なし」か、「ダンボールハウス」の住人さながら。

 想像では、親鳥が「ジュウカラの高齢出産」だったのではないか。ここで、前述のように巣作りの初めから観てきたことが一連の出来事となって結びつくことになる。残されたままの無精卵と、ヒナの「ナキガラ」も、生物界においてはヒト(人間)も全く同様で、育児完了までの営みの成否は、「加齢現象」と全く無縁ではないらしい。9羽も育った前例は、いかに幸運に恵まれたヒナ達であったことか、観察を見比べてみて今になってよく分かってくる。

画像3 ベランダの家族で、給餌をこちら向きで待つヒナの段階
 再掲するが、今になって思い出される画像4は、巣立ちの前日、この日までは「体の方向」が向こう向きとこちら向きに2通りで育ってくるが、餌をもらったら後ろ向きになり「糞」をしてから眠る。互いにエサの順番に向きを譲り合っているだけ。ヒナ鳥が平等に、順番に向きを変える証拠が、自然をよく知った観察でならば読み取れる。親鳥は2、3分おきにエサを運んでくる。

 一方、シジュウカラの「巣立ちの朝」は、ある好天の朝、突然のように決まる。親鳥が巣箱の中にエサを運ばず、外で鳴き声を響かせる行動になる。

 ついにその朝がやってきた。全員が緊張の表情で巣箱の出口を見詰め、「新世界」へ飛び出す順番を待つ(画像5)。

画像4 巣立ちの前日、この日までは「体の方向」が向こう向きとこちら向きに2通りで育ってくる。この意味は、給餌の順番待ちの「協力態勢」である。  画像5を改めてみると、前文で記したように、ヒナたちは全員がこちら向きになって、巣立ちの準備態勢がヒナたちの決断で決まる。

 カラスなど天敵がいる自然界との戦闘開始の様な、緊迫した状態。このあと、巣からの飛び出しが約3分間続いた。

 またもや、考え方の流れとして、前文から再掲する。

 これら最後の行動を親鳥が確認して、しんがりのヒナの最初の止まり木を見届けると、すぐに巣箱を覗きに来て、全員が巣立ったことを確認する。おそらく数を数えられないので、ヒナ鳥の声を聞いて居場所を確認し、親鳥が移動を開始すると、全部のヒナが親鳥の後を追って、ケヤキの大木の茂みへ移動していった。そこはケヤキの小枝が多くて、カラスが追ってこられない茂みで、シジュウカラなどの小鳥の新天地であり、自由な行動範囲になる。

 おそらく、シジュウカラのヒナ達は夢に見た、自由な世界が、そこにあったのだったろうか。

 巣箱をかけた私は、前号で巣箱を掃除し、出した巣のマットの上に大きさの比較としてドングリを置いてみたりもした、と記した。ドングリの大きさはヒナの頭大であった。

 少年時代の養鶏(ニワトリ50羽くらいの世話係)の経験で、夢精卵の観察では、玉子(この場合、卵とは言わない)を光にかざしてみると何時も透明感があり、日が経ってヒナが生まれても後に残った玉子は、殻を割ってみても、腐っているか乾燥卵でしかない。

きょうはシジュウカラの無精卵で干からびた1個のタマゴ、そして「ナキガラ」となったヒナがひとつ残っていた。これらは、嘆かわしくて、画像にはできないという気持ちを前述した次第。

 さて、ベランダの巣箱からは9羽の巣立を観たものの、「栃の木」の巣箱では何羽の巣立ちがあったのか、全く分からないで終わった。今となっては、巣立っていったヒナと親鳥の再来を期待して、巣箱をまた架けることになったが、果たしてこれで私の「行い」はよかったのだろうか。結論は、思い悩む必要はない、と悟ることにしよう。

前号にもどる)。

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