トピックス
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論文・翻訳コンテスト 課題・受賞作品
■課題 論文部門
次のテーマから一つ選んで、2,000字以内(日本語)にまとめてください。
1、 「国際化」ってなんだろう
2、 言葉の感動体験
3、 行ってみたい国−旅のプランを考える
4、 世界に知らせたい日本の美しさ

■課題 翻訳部門
次の1、2から一つを選び、1は英語もしくは中国語に、2は日本語に翻訳してください。
1、 それでも会いたかった
それでも近付きたかった
間違っているとわかってても
他に方法なんてわからなかった
もっとあなたを知りたかった
もっとあなたと喋りたかった
〈Sherrie、One (新風舎:2004)より〉
2、  When we came to Madrid, we being all of us strangers to Spain, were willing to stay some time to see the court of Spain, and to see what was worth observing; but it being the letter part of the summer, we hastened away, and set out from Madrid about the middle of October: but when we came to the edge of Navarre, we were alarmed at several towns on the way, with an account that so much snow has fallen on the French side of the mountains, that several travelers were obliged to come back to Pampeluna, after having attempted, at an extreme hazard, to pass on.
 When we came to Pampeluna itself, we found it so indeed; and to me that had been always used to a hot climate, and indeed to countries where we could scarce bear any clothes on, the cold was insufferable; nor indeed was it more painful than it was surprising, to come but ten days before out of Old Castle, where the weather was not only warm but very hot, and immediately to feel a wind from the Pyrenean mountains, so very keen, so severely cold, as to be intolerable, and to endanger benumbing and perishing of our fingers and toes.


受賞作品の紹介


●論文部門優秀賞
課題 2  言葉の感動体験                          
穏土史佳

 私にとって言葉というのは人と人を結びつけるための道具であり、人間関係を構築する上で重要な役割を果たしてくれるものです。言葉次第で相手を傷つけてしまうこともある一面、たった一言で相手を絶望のふちから救い出すこともできます。
 中学入学後、英会話の外国人の先生と話したり、英語の授業を受けたりするようになり、私は次第に「外国に行ってみたい」という思いを強く持つようになりました。

 ある時、優勝の副賞に外国のサマースクール参加がついた英語のスピーチコンテストを見つけ、何としてでも夢を叶えたいと一次審査のエッセーを提出しました。幸運にも一次審査を合格し、東京で開かれる二次審査に出場できることになりました。二次審査は、全国から選ばれた17名が壇上でエッセーに沿ってスピーチし、その後4人の外国人審査員と質疑応答をした上で、優秀な男女1名ずつを選ぶというものでした。
 スピーチコンテストに向けて必死に練習を始め、学校の英会話の先生にも猛特訓してもらいました。多少心配はありましたが、自分なりに頑張ったつもりでした。学校の英会話の授業でも大体の事は聞き取れるし、何人かの先輩から、「英語得意じゃないし話すのも苦手だったが学校卒業して大学に行ったら実は結構他の人よりも話せた。」と聞いていたので、大丈夫だろうとタカを括っていました。
 しかし、実際本番になり、他の人のスピーチを聞いたとたん、そんな自信はガラガラと音をたてて崩れ落ちてしまいました。他の出場者は、帰国子女やインターナショナルスク-ルに通っている人たちばかりで、みんな英語がペラペラだったのです。スピーチを聞きながら「なんでこんな場違いな所にいるんだろう」と心細くてずっと震えていました。着々と自分の番が迫って来る中、今度は、次第に「みんな帰国子女とかで英語を話せて当然で、そんな人たちにわたしが勝てるわけないじゃん!不公平よ!」と腹がたってきました。
 とうとう、私の番が来て、震える足で壇上にのぼり、私は恐る恐るスピーチを始めました。無理矢理笑顔をつくり、泣きそうになるのを堪えながら、凍りついた口元から、ひたすら単語を紡ぎ出していました。
 同じ広島から来た少年を視界の隅にとらえ、たぶん彼は同郷と思われるのを恥じているだろうと申し訳なさと恥ずかしさで一杯でした。頭が真っ白で言うべきことが、所々、抜けながら悪夢のスピーチが終わりました。
 続く質疑応答でも審査官の方々の言っている事が分からず焦ってしまい、逃げ出したい気分でした。質疑応答が終わり、席に戻りただただ呆然と椅子に座っていました。
 いつの間にか全員のスピーチは終わり、結果発表へと移りました。結果は当然のように他の人が優勝でした。私は、悔しさと情けなさで泣きそうになっていました。
 そんな私のもとヘコンテスト終了後、一人の審査官の先生が来て手を差し出し、「You have a nice smile.」と声をかけて下さったのです。「残念だったね」ではなく、「君の笑顔はすてきだよ。」と。あんな悲惨だった私の中の発表から、その先生はちゃんといい所を見つけてくれたのです。そのたった一言で私は救われた気がしました。「全然ダメだったけど挑戦して良かった。」「もっと頑張ろう。」と思うことができました。

 言葉はたった一言であっても人をどん底につき落とすことも、温かい気持ちにもどん底な気持ちにもすることができます。そんな言葉の重みについて分かっていながらも、自分が辛い時に何気ない一言で相手を傷つけてしまうなどと、日常には自分の発する言葉によって様々な事が起こります。
 でも、あの日、私を力付けて下さった審査の先生のように、私にも相手を元気づけたり幸せにできるような言葉を、かけることができるようになったら、すごく素敵だなと思います。これからは、自分を磨きながら、人と人をあたたかくつなぐことのできる言葉を大切にして生きて行きたいと思っています。


●翻訳部門優秀賞
課題 1
菅沼あずみ
Still, wanna see you
Still, wanna walk next to you
Nothing is gonna happen from now
But I just couldn't stop myself
Still, wanna see your inside
Still, wanna talk and laugh with you
That's what I wanted and still now...


●論文部門奨励賞
課題 2 言葉の感動体験
三枝えりか(みつえだえりか)

 「言葉」。当たり前の様に毎日耳にし、口から発する。例えば他の国の人と「言葉」で話す時、私達はその国の言葉を学んで勉強しなければすぐには話せない。私も他の国の人と話したい。話せたらいいなーと思う。けれど「言葉」を使えない人も世の中にはいる。

 私はある日そんな人に出会った。アメリカ人の幼い男の子。普通なら私がもっと英語を勉強して英語で会話するか、彼が日本語を話せるなら日本語で会話しただろう。
 日本人の私とアメリカ人の彼の場合、コミュニケーションをとる方法は「日本語」か「英語」という「言葉」で話す2つの方法のどちらかだ。しかし私達の間に「言葉」はない。言葉がいらない程通じ合ってるとかそんなキレイなものではない。彼は耳が聞こえない。手話でしか相手とコミュニケーションがとれない。ましてや昨日今日知ったばかりの私に心を開く訳もなく、彼と「言葉」を交わすには日本語を教えるでも、英語を猛勉強するでもない。私が「手話」を覚えるしかない。私はまだそんなに英語が出来る訳でもないから紙に書いて言いたいことをすぐ伝えられる事も出来ないし英語が上手かったとしても紙でコミュニケーションをとるのは何故か自分の脳のなさを感じる。
 かつてから外国人と話して友達になりたいと思っていたし手話を覚えれば心を開いてくれるのではないかと思った。それから、手話の方が国境を無視してもっと深く知り合えるのではないかとさえ思った。
 私はとりあえず近所の本屋で手話入門の本を買って日常会話くらいは出来るようにしようと考えた。ヒマさえあればパラパラめくり少しずつ覚えていった。買ってから何日も経っていたある日、普段はいつも読み飛ばす‘まえがき’に目を通した私は一気に魂が抜けた気分になった。‘「手話」だって外国と日本では全く違っています。’
 今まで周りに手話を使っている人なんて一人もいなかった私は、そんな事も知らなかった。彼もいくら日本に住んでるとは言え、家族は皆アメリカ人で、アメリカンスクールに通っていて、もちろんアメリカ式の手話を使っていた。日本とアメリカの手話はそれぞれの文化や考え方からきていて全く違った動きになっている。
 例えば「犬」という動作ひとつとっても、手で耳を表現し、自分が犬になる様な日本式と、犬そのものではなく、飼い主のポーズをとるアメリカ式では全く違ってくる。私はここで初めて「国の違い」という壁にぶつかった。だけど悩まなかった。手話という「言葉」は文字という決められた記号ではない。体で表わす動作だ。一生懸命伝えようとすれば伝わるに違いない。日本式もアメリカ式も関係なく体全体で表現すれば分かってもらえるかもしれない。
 とにかく早く‘会話’がしたい。だから、アメリカの手話を覚えるなんて気の遠くなる事はやめた。出来ないと思ったのではなくて、早く彼と接したかったからだったと少し美化しておきたいけど。
 その日から私は少しずつ彼に話し掛けてみた。少しだけ覚えた日本の手話であいさつをしてみた。‘私と友達になりませんか?’それが彼に話し掛けた第一声。当然まともな返事が返ってくる期待はしていなかったけど、どんな反応をするか、私が君と話したがってるのを少しでも理解してくれるか試してみた。困った顔をするのかシカトされるのか理解出来ない手話で返されるか、きっとどれかだろうと思った。
 ‘私と友達になりませんか?’彼は5秒くらいジーっとした。(シカトかよ、なんか反応してよ)せめてそう思った。すると突然彼が動いた。けど手話をする様子じゃない。ポケットからアメをひとつ私に差し出した。(ん?これは伝わったのか?伝わらなくてアメでごまかしたのか?)
 とりあえず受取ってみた。彼は笑った。そして私に飛びついてきた。彼の笑った顔を見たのはこれが初めてで、さすがにごまかすために抱きつくまではしないだろう。私は彼に受け入れてもらったんだと確信した。その日から私達は友達になった。正直アメリカの手話などひとつも覚えていない。身振り手振り、紙にカタコトの英語、表情。けど一生懸命だった。
 いつのまにか彼も表情豊かになっていて顔を見ただけで何を考えているかスグに分かる。映画だって遊園地だって動物園だって、耳が聞こえなくたってすごく楽しい。彼の笑顔がそう言っていた。だからいつのまにか本当は耳が聞こえてるのではないかとつい疑ってしまう時もある。
 私はある日わざと彼に自分の好きなバンドのCDを聞かせた。耳が聞こえないのを分かってて意地悪な人だと嫌われるかもしれないと思ったけど聞かせてみた。彼の指と足が動いている。リズムに乗ってる。スゴイ、その音楽と同じリズムをとってる。すると彼が紙に書いた。‘nice’。私はそのバンドのライブに連れていった。ノリノリに乗っていた彼が帰りに声を発した。「ハンクー」・・・thank you.
 私が今までで一番嬉しかった「ありがとう」


●翻訳部門奨励賞
課題 2
田城久留美

 私たちがマドリードに着いたとき、われわれ全員がスペインは初めてだったので、しばらくの間スペインの宮廷を見たり、価値のあるものを観察したりして滞在したかったのですが、もう夏も後半だったので、私たちは急いで回り、10月の中頃にマドリードを出発しました。しかし、私たちがナバーラの端にたどり着くまでに、途中のいくつかの町で警告されたのです、それは、ピレネー山脈のフランス側では雪が大量に降っていて、ものすごい危険を冒してまでもその山脈を越えようと思って、試みたけれど、何人もの旅行者がパンペルーナに帰ることを余儀なくされたという説明でした。
私たちがそのパンペルーナに着いたとき、我々はその警告がまさしく本当だということがわかりました。そして、暑い気候やまさに何も服を着ないでもいられる国々に慣れていた私にとっては、その寒さは耐えられないものでした。また、たった10日前に古き都カステリア、そこは暖かいだけではなく、非常に暑い気候でしたが、そこから来てすぐに、耐えられないほど非常に鋭く、あまりに厳しく冷たいピレネー山脈からの風を感じ、指やつま先の麻痺や腐敗の危険にさらされるというのは、驚きというより苦痛でした。


●翻訳部門奨励賞
課題 1
築野真紗子

Even so I wanted to see you
Even then I desired to near you
Yes, I knew I was foolish gone
But how else could I have done?
Treally wanted to know you better
My heart desired to talk with you together


●翻訳部門奨励賞
課題 2
築野真紗子

 私たちはマドリードに着いたとき、みんなスペインでは異国人なので、まずはやはりスペインの宮廷を見学して、その後何かおもしろい所はないかとぶらぶらと時間をつぶすつもりだった。
 しかし、もう夏も終わりで多少気の焦りもあり、気がつくとわれわれは10月の半ばにはマドリードから出発していたのだ。ナバラ地域の外れまで来たが、途中までのいくつかの村での警告によると、山脈のフランス側で大雪が降ったらしくとても危険だと言うことだった。その極致の自然の危険を目前にし、前に進むのを諦めざるを得なく、パンペルーナまで引き返してきた旅人も何人かいたそうだ。
 われわれがそのパンペルーナに来たとき、先ほどの言葉をまさに痛感した。私においてはことの他、常に暑い気候に、そしてほとんどなにも身に付けなくてもいいくらいの国に慣れており、その寒さには閉口した。そしてまた、暖かいと言うよりはむしろ暑いくらいだった旧カスティリャ地方から出てきてほんの10日余りしか経っていないと言うのに、こんなに急に、この強烈な厳しい風にさらされるのは驚きであるよりも耐えられない苦痛であった。もう手足の先は凍えきっていた。


●翻訳部門奨励賞
課題 1
三井麻衣
Still crazy for seeing you,
being closer to you.
I guess I'm blind,
but I can't see the other way.
I'm hungry for knowing you more,
talking with you more.


●翻訳部門奨励賞
課題 1
吉田知世
I did want to see you.
I did want to be close to you.
I knew it was wrong.
But I couldn't come up with other ways.
I wanted to have known you more.
I wanted to have talked with you.


●翻訳部門奨励賞
課題 1
藤橋あやか
Still I wanted to see you.
Still I wanted you to notice me.
Though I knew I could not be your number one,
I could not find the way to forget you.
I wanted to feel you close.
I wanted to spend more time with you.

2006.2.3
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