病院・診療科について診療体制・歴史等
診療体制
当院は高度医療の提供・技術開発・研修を担う特定機能病院の承認を受け、東京西部地区三多摩の中核的医療センターの役割を果たしています。1次・2次以外に3次救急医療を有機的にカバーする高度救命救急センター、並びに総合周産期母子医療センターは24時間体制で運営しています。大学病院として臨床医学の教育・研究の場であると共に、地域医療機関との緊密な連携のもとに高度医療を実践しています。
許可病床数 | 1,137床 |
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外来患者数 | 1日平均 1,978人(2023年度 統計)(救命センターを含む) |
入院患者数 | 1日平均 748人 (2023年度 統計) |
医療関係職員(2024年4月1日現在)
医師 | 775人 | 診療放射線技師 | 69人 |
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研修医 | 102人 | 薬剤師 | 74人 |
看護師・准看護師 | 1,409人 | 臨床工学技士 | 37人 |
助産師 | 95人 | 理学療法士 | 26人 |
臨床検査技師 | 105人 | 作業療法士 | 13人 |
視能訓練士 | 20人 | 管理栄養士 | 22人 |
言語聴覚士 | 5人 | ケースワーカー | 13人 |
臨床心理士・公認心理師 | 5人 | 胚培養士 | 1人 |
遺伝カウンセラー | 3人 | 歯科衛生士 | 6人 |
歴史
1954年(昭和29年) | 1月 | 母体となる三鷹新川病院を開院 |
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1970年(昭和45年) | 4月 | 杏林大学医学部を開設 |
8月 | 医学部付属病院を開院 | |
1979年(昭和54年) | 10月 | 救命救急センターを開設 |
1993年(平成 5年) | 5月 | 新たに救命救急センター棟を開設し移転 |
1994年(平成 6年) | 4月 | 特定機能病院の承認 |
12月 | 救命救急センターが厚生省から高度救命救急センターに認定 | |
1995年(平成 7年) | 11月 | エイズ診療協力病院に認定 |
1997年(平成 9年) | 10月 | 総合周産期母子医療センターを開設 |
1999年(平成11年) | 1月 | 新たに外来棟を開設 |
2000年(平成12年) | 12月 | 新第1病棟を開設 |
2001年(平成13年) | 1月 | 放射線治療・核医学棟を開設 |
2003年(平成15年) | 6月 | 第2病棟増築(2病棟D棟) |
2004年(平成16年) | 3月 | 病院機能評価を受審し認定 |
2005年(平成17年) | 5月 | 中央病棟を開設 |
6月 | 外来化学療法室を開設 | |
2006年(平成18年) | 5月 | 1、2次救急初期診療チーム・脳卒中治療専任チーム発足 |
11月 | もの忘れセンター開設 | |
2007年(平成19年) | 8月 | 新外科病棟を開設 |
2008年(平成20年) | 2月 | がん診療連携拠点病院に認定 |
4月 | がんセンター開設 | |
2009年(平成21年) | 2月 | 病院機能評価を受審し認定 |
2012年(平成24年) | 2月 | 東京都認知症疾患医療センターに認定 |
10月 | 新第3病棟を開設 | |
2013年(平成25年) | 8月 | 第2病棟中央通りが開通 |
2014年(平成26年) | 3月 | 病院機能評価を受審し認定 |
2016年(平成28年) | 11月 | 外来治療センターを開設(化学療法室を拡充し名称変更) |
2018年(平成30年) | 4月 | 東京都難病診療連携拠点病院に指定 がんゲノム医療連携病院に指定 |
2019年(令和元年) | 3月 | 病院機能評価を受審し認定 |
2024年(令和6年) | 4月 | 杏林大学医学部付属杉並病院を開院 |
2024年(令和6年) | 4月 | 東京都難病診療連携拠点病院に指定 東京都アレルギー疾患医療専門病院に指定 |
2024年(令和6年) | 9月 | 病院機能評価を受審し認定 |
杏林の由来
その昔、中国の三国時代、名医といわれた呉の国の董奉は患者から治療代を受け取らず、その代わりに、病気の治った者に杏の苗を植えるよう求めました。 患者たちの植えた杏の苗は、いつしかうっそうとした林となり、多くの実をつけるようになりました。 董奉はこの杏の実と引き換えに穀物を手に入れ、貧しい人々に分け与えたということです。 この故事に因み、杏林は後世、良き医師や名医を表す言葉となりました。 杏林大学の名は、この故事に因んでいます。
組織図
組織図をご覧になられる方は下記よりPDFファイルをご覧下さい。