病院・診療科について禁煙のススメ

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 <「すみません、タバコを下さい。全部きらして目がまわりそうですタイ」。彼は肺細胞の一つ一つで味わうかのように深く吸い込んでから、吐出した煙りの行方をぼんやり見つめていたが、やがて我にかえったように警部補の顔に視線をうつした。>
 これは、日本の推理小説史上でとりわけ重要な位置を占める鮎川哲也の『黒いトランク』の一節です。喫煙は、ニコチン依存症という病気であることをよく表しています。すなわち、喫煙するとニコチンが数秒で肺から脳に達し、快楽ホルモンであるドーパミンが放出されて快感が得られるのです。血中ドーパミンの半減期は30 分くらいであり、通常は1 時間近く経つとニコチン渇望によって次の1 本が吸いたくなります。まるで、覚せい剤などの薬物中毒とそっくりではありませんか。
 喫煙に健康障害がなければタバコはユニークな嗜好品といえるかもしれませんが、ご存知のとおりそうではありません。煙りの中には、精神依存性のニコチンに加え、酸素の運搬を妨害する一酸化炭素(CO)と発がん物質を含むさまざまな化学物質に富んだタールという3 大有害物質が含まれているからです。ニコチン、CO は動脈硬化の原因にもなります。また、タールは呼吸器系のがんのみならず、すべてのがんの約1/3 にも関与しています。最近、タバコ病ともいわれる慢性閉塞性肺疾患の死亡率の増加も注目されています。そのため、40 歳で男女ともに喫煙者は非喫煙者よりも平均余命が4年近く短いことがわかっています。
 このニコチン依存症の治療は禁煙以外にありません。その最大のハードルは、禁煙後数日間続く離脱症状です。どうしてもそのハードルを越えられない人には、ニコチンパッチ、ニコチンガム、薬(チャンピックス)などのすぐれたグッズがあります。忙しい人には、インターネットや携帯電話による禁煙プログラムもあります。
 付属病院では禁煙治療に保険が使用できます(個人によって異なるのでご相談下さい)。このようにして、たとえ何度失敗しようと、再チャレンジすることが重要です。

(大野秀樹:医学部教授 衛生学公衆衛生学)

杏林大学新聞 第3号より抜粋