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助数詞のチカラ 浦田雅子

「A pride of lions」…返却された英語のプリントの片隅にペタンと押されていたスタンプだ。「ア・プライド・オブ・ライオンズ」聞いたことのない表現だった。英語好きの私は、早速先生に聞いてみた。すると「一群れのライオンってこと。英語の「ものの考え方」ってところね。他にA tower of giraffes なんていい方もあるのよ。」と教えて下さった。「英語にもおしゃれな教え方があるんだ。日本語には、〜本とか〜匹とか〜個とかいろいろあるけれど、英語にもあったんだ。」これが、私が助数詞に興味を持ったきっかけだった。

数日後、偶然にも私は家で「数え方でみがく日本語」という本に出会う。「二匹の犬」と「二頭の犬」ではイメージされる犬の大きさが違ってくる。オニは一匹、それとも一人と数えるのかなど、数え方に関するエピソードが次から次へと紹介され、私はすっかり「助数詞」のとりこになってしまった。

ところで私の学校では中三から高一へ進級する時期に論文を作成することになっている。テーマは自分が興味を持ったことなら何でも自由。そこで迷わず「日本語における助数詞の役割」を研究することにした。まずは、手始めに自分が一体いくつの助数詞を知っているかをリストアップしてみた。身のまわりの物から食べ物、乗り物など「九十六個」浮かんだが、実際日本語には約五百種類の助数詞があるということを知り驚いた。

次に日常の中で何気なく使っている助数詞がいかに多くの情報を伝えているかということを調べてみた。例えば「チョコを一粒もらった。」と「チョコを一枚もらった。」では思い浮かぶチョコの形状が明らかに違う。ぶどうも、木になっている時には「一房」スーパーで買う時には「一パック」食べる時は「一粒」…スイカを「一個食べた」と「一切れ食べた」ではその量に大きな差がある。助数詞一つで、伝わる情報がこんなに違うのだからおもしろい。それをうまく利用して「一塗りで春の唇」といった口紅のポスターや、「一枚で秋の装い」というブラウスの広告など、口紅・ブラウスといった主語がないのにそれを連想させてしまうのだから助数詞恐るべし。

こうして論文を書いていく上で私はもっといろいろな国の助数詞が知りたくなって、世界の国々に目を向けてみた。幸い母が日本語を教えるボランティアをしているのでその教室に来ている生徒さんに各国の助数詞のアンケートをお願いした。その結果、マレーシア、韓国、中国にも量詞(助数詞)があることが分かり、特に中国では、日本と同じく五百種類もの助数詞があるということを知った。

続いて、日本の助数詞の現状について私のまわりの幼稚園児から八十六才までの七十人の協力を得て「モノの数え方のアンケート」を実施した。内容は犬やカレーライス、車など比較的一般的なものから、メール、プリクラ、三味線、ヒット(野球)、口紅など年代や性別による差がはっきりと出そうなものの数え方を、約三十問質問した。その結果、箪笥を「棹」と正しく数えられる十代が八人中三人もいたり、メール、プリクラの数え方を十代では一メール、一プリといった新しい数え方をする人もいて助数詞も、進化していくのだと分かった。

「助数詞なんていらない」「きちんと使えなくても、全部『個』『つ』で数えればよい」という考え方もあるかもしれない。確かに助数詞を敬語のように使いこなせなくても相手に失礼になることはない。ただ、助数詞の選択が正しく出来ないとセンスの悪い日本語になってしまうと思う。例えば犬を「個」と数えればぬいぐるみと思われてしまうかもしれないし、犬に対する愛情が感じられなくなってしまう。一枝の桜、一ひらの雪、ドラエモンは一台ではなく一人と数えたいし、人魚姫も一人…同じ「数える」のなら、日本語のもつ美しさや繊細さを十分にいかした数え方をしたい。今回、論文を書いてみて気づいたことは、助数詞は日本語のもつ大切な「文化」であり魅力のひとつだということ。長い年月を経て、中国語の量詞などからの影響を色濃く受けつつ独自の助数詞を形成してきた。日本語の変化に伴い助数詞は姿を変え、今の形が成り立っている。だからこそ今を生きる私たちは今までに形成されてきた助数詞を知り、その上で「今」にあうものにしていく必要があると私は考える。まず第一歩として、助数詞の存在理由、そのチカラ、そして魅力を知ることが大切だ。助数詞をきちんと使うことは日本語を母語として使う者にとって当たり前なことでなければならない。そのためにも、日々の生活のなかで助数詞を意識して使うことを心がけたいと思う。

まだまだ私の知らない助数詞の魅力があると思う。私と助数詞の旅はまだまだ続く。
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