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オノマトペとしての日本語 野村美穂

日本語の魅力はたくさんあるが、私は擬音語や擬態語が豊富であるところが大きな魅力であると考える。世界のいたるところで話されている言語と比べてみても、その数はとても多い。

たとえば、「かたい」ということを表した語は、「かちかち」や「ごつごつ」、「ごりごり」などがあり、「やわらかい」ということを表した語は、「ふわふわ」、「ぐにゃぐにゃ」や「ぷよぷよ」などがある。少し考えただけでも、すぐにたくさんの語を思い浮かべられる。この他にも、動物の鳴き声をまねた言葉や質感を表した言葉など、数えきれないほどの擬音語や擬態語が存在する。

そのうえ、擬音語や擬態語は自分でつくることができる。説明のしにくい状態や他の言葉では言い表しがたいことを伝えるときに、擬音語や擬態語を使うことがあるだろう。一般によく使われている言葉より、自分なりの言葉のほうが伝わりやすいこともある。そうして、擬音語や擬態語は限りなく増えていくのである。

また、魅力は数だけではない。幼い子どもでも親しみやすく、コミュニケーションもとりやすい。世代をこえて分かりあえる言葉である。実際に、おじいさんやおばあさんが小さい孫に擬音語や擬態語を使って話している場面をよくみかける。

たしかに、幼稚な言葉かもしれない。厳粛な場では使いづらいこともあるだろう。しかし、擬音語や擬態語を使うことで表現が広がり、イメージがよく伝わる。時と場合に応じて言葉を選びさえすれば、まったく使えないということはないだろう。

擬音語や擬態語は、他の言語にはあまりみられない。世界語、国際語と言われている英語でもそうである。雨が降っている様子を表した「ざあざあ」や「しとしと」という言葉は、辞書で調べてみても「激しい雨」や「細雨」などの別の言葉に置きかえられており、なかなかニュアンスは伝わらない。日本人が感じたことや耳にした音を日本語で表現しているので、翻訳することは難しいのだろう。

このような日本語独特の表現に、私たち日本人はもっと誇りを持つべきである。言葉はコミュニケーションの手段であるだけでなく文化でもある。何でも欧米化していくのではなく、日本の文化を大切にし、後世にきちんと伝えていくことのできる日本人となるべきである。

もちろん、欧米の文化を見習うことは決して悪いことではない。しかし、アメリカやイギリスなどでは、擬音語や擬態語は幼稚な言葉とされており、あまり好まれない。擬音語や擬態語には、見たり聞いたりしたそのままの感覚がこめられており、しかもその感覚がしっかりと表現されている素直で素晴らしい言葉であるのだから、それを自然に受けとめる日本の文化はやはり大切にするべきであると考える。

私たちが幼い頃から使ってきた身近な言葉は、擬音語や擬態語である。私たちは、これらの言葉に誇りを持ち、日本の文化として大切にしていくべきである。

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