大学ホーム外国語学部一般の方論文・翻訳コンテスト第3回英語課題 → 日本語訳

論文・翻訳コンテスト

英語課題 → 日本語訳 湯浅絵理佳

私は自分自身が「名前障害」であると考えている。名前を思い出すとき、それは私が最も苦労するときだ。新年を迎えた後、1月の半ば頃には最も激しい症状が私を襲う。クリスマスや正月休みが過ぎると、それまでの忙しいシーズンの間でさびついてしまった脳に、まるで油を差したかのような感じがする。私は人の名前を思い出せなくなるので、人との付き合いのなかで起きる厄介な災難を避けるためのかぎは、単に、「そのごまかし方を知ること」だということを学んだ。

ありがたいことに、3人の子供達は、私の症状を理解してくれている。彼らは、学校の先生やクラスメート、友達とその母親達、サッカーのコーチに家庭教師、塾、ダンスや合唱団の指導者に加えて、全ての仲間の名前を私の耳元でささやくエキスパートなのだ。

私の夫はすぐさま名前を思い出すことができる。私が、彼の会社の同僚や仕事仲間、高校、大学、大学院のときのクラスメートに彼の親戚、そして彼の友達の名前ですら思い出すことが出来ないと、彼はかなりいらついてくる。彼が「昨日の夜、だれそれと夕食を食べたよ。」と私に話せば、私はごく自然に「あら、そう。彼らは元気だった?」と答えるだろう。

犬を飼い始めるまで、私はごまかしが上手くいっていると思っていた。しかし、1日2回の犬の散歩の間に、ぴーちゃん、シェイクスピア、アインシュタイン、それに、フレディー君などという名前の犬に出くわして、どの犬が何という名前なのか思い出せないのではないかということが、今になって心配で仕方がない。私は記憶が3月までに戻ってくることを願っている。しかし、そのときにはもう、春愁によってなんとなくけだるい、そんな時期になってしまっていることだろう。

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