大学ホーム外国語学部一般の方論文・翻訳コンテスト第4回翻訳部門(英語課題 → 日本語訳)講評

論文・翻訳コンテスト

第4回翻訳部門(英語課題 → 日本語訳)講評 教授 原田範行

 杏林大学外国語学部論文・翻訳コンテストは、今年、四回目を迎えました。翻訳部門のうち、英語課題の日本語訳には、全国から212通の応募をいただきました。力作揃いで、審査する側も襟を正す思いでした。応募された皆さんに改めて御礼申し上げます。

 今回の課題文には、アメリカ出身の優れた日本文学研究者として広く知られるドナルド・キーン氏の著作から、日本の近代文学の黎明期を扱った文章を選びました。作家や詩人はもとより、当時の読者の声までも聞こえてきそうな精彩に富む論述であり、正確にして抑制の効いた文学史記述の中にうかがえる新しい日本語、新しい日本文学の創造へ向けた人々の息遣いを存分に訳出していただければと思います。

 以下、具体的に重要な点を見て行きましょう。冒頭の“At the time of the Meiji Restoration”を、「時は明治維新の頃」や「時は明治」と訳した方が少なからずいましたが、ちょっと大げさですね。基本的には正確さを旨とする論述ですから、「明治維新の頃」と平明に訳すのがよいでしょう。課題文の2行目から3行目にかけて“such 〜that・・・”の構文があります。ここでは特に“that・・・”に関係詞節が付随していますので、「・・・なほど非常に〜」ではなく、英文の流れに沿って「非常に〜なので・・・であった」の方が正確に訳せます。この関係詞節の中に“had become acquainted with”という表現がありますが、“had been acquainted with”とは意味が異なりますね。Be動詞ではなく“become”が使われている点に注意しましょう。課題文3行目から6行目にかけての文の主語は“The creation”で動詞は“was stimulated by〜”です。「創造は〜による刺激によるものだ」でも結構ですが、「〜による刺激を受けながら生み出された」のように“creation”を動詞的に置き換えてみるような工夫があってもよいでしょう。英語の名詞には、動詞化すると適切な日本語になるという事例が少なくありません。それから、この文の中に“the thoughts and hopes of a new generation of Japanese”という表現がありますが、“the thoughts”で切れてしまっていた方が多くいました。定冠詞の“the”はもちろん“thoughts”と“hopes”の両方にかかりますし、of 以下もやはり両方にかかっています。“and”が結ぶものを正確に理解すること、これは英文翻訳の基本です。

 さて次の、課題文6行目から7行目にかけての一文は、今回の課題の最大の難所であり、また原文の最も面白い箇所と言えます。ポイントは“however”です。もちろん逆接の意味ですが、それならば、何が何に対して「しかし」なのでしょうか。言語改良や新しい文学の創造に意識的であった人々は確かにいました。しかし、そういう人々の主張や気持ちをよく表した『小説神髄』や『新体詩抄』が初めからたいへんなインパクトを社会に与えたというわけではない。その影響力が誇張されやすいのだ、と警鐘を鳴らしているわけです。この部分の前後関係が正確に訳出されていることが、優秀賞や奨励賞の候補作になる決め手の一つとなりました。次の8行目から12行目までの文は、長いものの、“Although”に始まる従属節と主節の関係等、概ね正しく理解できていました。ただ、最後の“the self-aware Meiji men”の訳には苦しんだようですね。“the”があるわけですから、これは既に説明済みの人々のこと。すなわち、時代の流れや要請に自覚を持った人々のことを指しています。またこの“Meiji men”の“Meiji”が前に出てくる“the Tokugawa era”と対比的になっていることにも注意してください。「自意識を持った明治人」のような訳は正確とは言えませんね。次の12行目から14行目の文のポイントの一つはやはり“and”です。文の中ほどの“and”が二つの等位節を結ぶものだという点は概ね理解されていたようですが、最初の部分で、例えば、「ヨーロッパの小説の翻訳や模倣作品、それに詩は」というようなちぐはぐな訳が目立ちました。言うまでもなくここは、「ヨーロッパの小説や詩の翻訳や模倣作品」ですね。しかし、この文と最後の文の最も難しいと思われるところは、これら二つのセンテンスがその前の部分とどうつながるのか、その脈絡を訳文に示す必要があるという点です。明治になってからも大半の人々は江戸時代の物語などに興じていた、「でも」、ヨーロッパの小説や詩の翻訳や模倣作品の出版は小規模なものであったので、出版社は読者の興味が涵養されるまで待つことができた、『小説神髄』でさえも最初は数百部しか売れなかったが、それでも新たな需要さえ生起すれば簡単にリプリントを出すことができたのだ、というのが原文の持つ脈絡です。ただ、この「でも」は、文中にありません。しかしそれでも、この「でも」のニュアンスを、最後の二つのセンテンスの訳文に、まさに原文と同じように忍ばせてほしいのです。

 優秀賞の奥津さんの訳文は見事なものでした。上述のポイントについてもほとんど問題がありませんでしたし、なんと言っても、先ほど申し上げました正確で冷静な記述の中にも新しい文学創造をめざした当時の先駆者の息遣いが伝わるような原文の性格を、よく反映した訳文に仕上がっています。武藤さんの訳文も優れた出来栄えでしたが、幾つか表現の彫琢に欠けるところがあって奨励賞となりました。

 翻訳は単なる言葉の置き換えではありません。原文の表現の意味と脈絡を正確に理解した上で、これを、語彙も文法も異なる別の言語で的確に伝えるというわけですから、一種の創造的行為とさえ言えると思います。翻訳を通じて、英語と日本語のそれぞれが持つ言葉の力とその豊穣さを存分に実感していただきたい、そしてできる限り厳密に正確に原文の意味を伝えることで、貴重な情報の伝達を促進していただきたい、今回のコンテストがそのきっかけになればと、審査員一同心より願っております。

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