大学ホーム外国語学部一般の方論文・翻訳コンテスト第4回翻訳部門(中国語課題 → 日本語訳)講評

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第4回翻訳部門(中国語課題 → 日本語訳)講評 教授 ・ 満江

 今回の中文和訳部門には13名の応募があった。全体的にみて、年々翻訳のできばえの水準は高くなっているように感じる。今回の課題文は、例年に比べて特に難しくなったわけではないと思うが、案外、応募数は少なかった。中国の農村や兵役がテーマだったので、日本の高校生にはわかりにくい部分があったのかもしれない。

 優秀賞に決まった広瀬 華歩里さんの訳文は、全体にこなれた印象で、日本語としての破綻は少なかった。奨励賞は、葉 ヨさん。やはりこなれた訳文であったが、一部に原文から離れた訳文が見られたので広瀬さんに少し譲ったにすぎない。また、劉 笑舒さんの訳文は、よくできていたが、一部に日本語としての文法に誤りがあったので、選に漏れることとなった。

 以下、具体的に述べる。例えば、

の和訳は、「私たちは黒い土に顔を向けて空に背を向け、支払うものはあまりに多く、得るものはあまりに少なかった。」くらいに逐語訳できるであろうか。広瀬さんの訳では、「私たちは太陽の光を背に身を粉にして尽くしているのに、得られるものはこれっぽっちしかない。」としている。「身を粉にして」は、やや原文と離れる。葉さんは「私たちは天に背を向け、黒い田畑と向き合い、一生懸命働いても得るものはほんのわずかだった。」と、広瀬さんの訳と方向的には似通った訳文になっている。両者とも工夫の跡が見えるが、原文の対句表現を生かすとすれば、この場合、逐語訳のほうがいいのではないか。

また、

は「とても熱いものが(こみ上げて来て)私ののどを詰まらせ、私の顔は涙でいっぱいになった。」とでも訳すだろうか。広瀬さんは「一筋の熱い液体が私の喉元につまり、私の顔は涙の粒でいっぱいになった。」と訳し、葉さんは「熱いものがこみあげて顔中涙だらけになった。」と訳している。広瀬さんの訳はより逐語的であり、葉さんの訳は意訳になっている。ここは「液体」をそのまま液体と訳すより、「(熱い)もの」と訳すほうが日本語としては自然であろう。

という部分は、広瀬訳では「海や山並み、兵営を書いていたが、実際、私は一歩ずつ無意識のうちに故郷へ帰っていたのだろう。」とあり、葉訳では「波とか山々とか兵営とかのことを書いていた。しかし、実は知らず知らずのうちに少しずつ故郷のことを書いていたのだ。」とある。広瀬訳は原文に忠実であり、葉訳はやや意訳となっている。これはどちらがより優れるということはできないが、意訳はときとして翻訳者の主観が入り、正しい解釈であればいいが、誤訳になる危険もはらんでいるゆえ、やはり基本的には原文に忠実な訳を推したい。

以上、具体的な訳を講評した。中国語の特徴として、古典以来、修辞的には対句法を用いることが多いので、現代日本語に訳すとき、日本語として自然な訳を優先するか、それとも中国語の対句表現に忠実なことを優先するか、悩むところである。翻訳の難しさはそのようなジレンマにあるのだが、評者としては、ケースバイケースであるにしても、なるべく原文に忠実な訳を心がけるべきかと思う。やはり何といっても中国語の原文なのであるから、中国語の特徴を尊重した訳にこそ、原作者の個性が生きるであろう。

この中文和訳の機会を通じて、高校生が一層中国に興味を感じ、中国を理解し、日中の文化の相違点と共通点とをより深く考えるきっかけとなれば、評者としてこれに勝る喜びはない。

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