大学ホーム外国語学部一般の方論文・翻訳コンテスト第4回論文「メールの日本語」

論文・翻訳コンテスト

メールの日本語 駒形 麻波

 最近の日本は、携帯電話を持つ人が多い時代となりました。情報社会の発展からの影響もあります。私達のような若い10代の人も携帯で連絡を取っています。その中でもメールのやりとりは、日常茶飯事となっていると思います。メールはいつでも連絡しあえて、伝えたいことをいつでも伝えることが出来てとても便利です。昔でいう手紙のようなものではないでしょうか。しかし使い方次第では、私達の日本語をどんどん壊していく原因の一つでもあるかもしれないと私は考えます。

 最近の若い人の言葉使い。カタカナと平仮名がまじった、私たちが使っているようなお遊びまじりの言葉が多いこの頃です。日本語は、漢字と平仮名で構成されている丁寧な言葉が想像されます。昔と現代では、使い方が違う言葉も多く見られます。メールでも、日本語だけど日本語ではないような言葉を使う人が多いです。若い私達が使っている言葉はほんとうの日本語ではないと、大人に批判されることも多くあります。そこで私は「正しい日本語とはどのようなものか。」ということに興味を持ちました。

そもそも「正しい日本語」とは何かという疑問があります。「正しい」とは何をもって正しいという基準が出来ているのでしょうか。ネットを使い調べてみることにしました。一つは方言との兼ね合いです。「超むかつく」という言い方は日本語としておかしいと言ってマスコミに取り上げられ始めたのは、一九九〇年代後半のことです。現在でも大人も子供も関係なく使われている言葉であります。また、「食べれる」「見れる」のいわゆる「ら抜き言葉」は本当の日本語ではないと考える人もいるようです。実はら抜き言葉が方言として定着している地方が多いため、使う人の割合が大きいと思います。私達も使う言葉の一つです。

  前の理由から、こういった表現を「言葉の乱れ」というならば、方言を認めないということだと言えなくもないと思います。また、「言葉の乱れ」=「若者の言葉」というイメージが取り付いているのが事実です。確かに、若者が使う言葉は少し荒いところもあるので、大人からすれば「間違った」日本語に聞こえるのかもしれません。

  しかし悪いことばかりではないと考えます。新しい日本語が増えます。私達の間でのコミュニケーションが深まります。若者が使っている言葉は、流行だと思います。間違った言葉とは、少し違うと私は思います。言葉は生き物のようなものです。使い方も時代と共に変化していくのではないでしょうか。それが一般的になったら正しい使い方になっていくと思います。なのに、自分が育った時代のときだけの言葉が絶対正しい、と思い込んでいる大人の人が多くいるようです。若い人たちが使う言葉をほんとうの日本語ではない、と批判するのは少し違うと思います。もっといろんな面で感じていって欲しいです。でも私達の言葉使いが乱れていることも事実です。目上の人にはきちんとした敬語を使う、あたりまえのことです。しかしそれが出来ていません。学校の先生に対して、先輩に対して、敬語を使えていたとしてもそれが本当に正しい敬語なのかと言われれば、答えることが出来なくなります。やはりここで、日常からの言葉使いの欠点は出てしまっていると思います。だから大人に「間違った日本語」と言われても仕方がありません。私達には使い分けが必要です。それがなかなか出来ず、苦労していますがこれから社会に出ていかなければならないので甘えている暇もないです。もっとめりはりをつけた言葉使いにしていきたいです。

  このような言葉がそのままメールへと使われています。仲間同士だけでのやりとりに関しては、何もいうことは無いと思います。なぜなら、お互いが言葉を理解しあっているからです。私は仲間同士なら、関係なく自由な日本語を使っていいと思っています。少しふざけあってみても、笑えて冗談の範囲なら許せるのではないでしょうか。しかし、その言葉で相手が傷つくなら話は別です。言葉のとらえ方は人によって違います。大人と私達でも違う様に、一人一人でも違います。そこを頭において、自分が正しいと思う日本語、メールをしていくべきだと考えました。

  「正しい日本語」答えはないと思います。どこからが正しくて、どこからが間違いであるかの基準だって誰にも分かりません。時代の流れと共に変化していることは事実です。それは悪いことではないのです。ただ使う場面を間違えなければいいのです。これからも日本語は日々変化し、私達と同じように成長していくのでしょう。

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