大学ホーム外国語学部一般の方論文・翻訳コンテスト第4回論文「メールの日本語」

論文・翻訳コンテスト

メールの日本語 諏訪部 春菜

 今年になってから、私は非常に気持ちの悪いメールを受けとってしまった。
 知らないメールアドレスの人から、三通ものメールがきていた。文面は、男性がうったような文章で、性的なことがつづられていた。
 身震いがした。しばらくの間、メールの着信音が鳴る度に、体が強張ったのだった。
 メールの日本語は、とても恐ろしい。
 言うよりも、気が楽なので、簡単に人の悪口や不快に思うことをメールの文章として送ることができる。
 きっと、私にこのようなメールを送った人も、ここまで人が傷つくということを考えずに、メールを送ったんだろうと思う。
 メールだと、相手がどんな表情でその文章を読み、どんな気持ちになるかということが分からない。だから、メールを送る前に、その文章が、相手を傷つけないかを考え、相手の気持ちになって、文章をうたなければいけないのだ。
 メールを受けとった人も、送ってきた相手がどんな表情でメールを送っているのかが分からない。お互い様なのだ。
 ここで、一つ、例を出す。
 ある男性が女性へ、「好きです。」というメールを送ったとする。
 この女性は、メールを受けとってどんな気持ちになるだろう。
 たった四文字の日本語だが、同じ言葉でも、手紙と、メールと、直接言うとでは、彼女が彼から受けとる想いの大きさも全く違ってくるだろう。また、彼女が相手の気持ち以上に不安に思うことは、それが彼自身なのかということだ。
 メールなら、誰がうっても、同じゴシック体の文字でしかない。だから、彼以外の人が、彼の携帯電話やパソコンを使って彼女へ文章を送ることもできるのだ。
 もっとひどい話になると、彼の嘘ということも考えられる。
彼が彼女の反応をおもしろ半分で見たいがために送った。考えられないこともない。
 もしも、彼の気持ちが嘘ならば、彼女は完全に気持ちをもて遊ばれたことになる。
 たかが、メールによって文章化された日本語だが、こんなにも人を一人悩ませてしまうこともあるのだ。
 この後、彼女が彼にどんな返事をしたかどうかは、私にも分からないが、少なくとも、彼女が複雑な気持ちになったのは確かである。
 メールで自分の純粋で真っ直な気持ちを相手に伝えるのは本当に難しいと思う。心を動かされるメールが届いても、どうしても半信半疑になってしまうからだ。電子機器で作られる日本語に、大切な人への気持ちをこめるのは、きっとできないのだろう。
 でもなぜか、悪口などのつづられたメールを受け取ると、非常に心に残る。相手にとても深い心の傷を負わせてしまう。
 メールで喧嘩をしてしまうと、なお相手を傷つけてしまうことがある。
 口に出しては言えないことも、メールなら簡単に送ることができてしまうからだ。
 私は、メールのゴシック体は、なんだか冷たい気がする。その冷たさが、文章をも冷たくしているのだろう。
 そのメールとのやりとりのせいで、一つの人間関係が崩れることは、よくあることだろう。
 メールというのは、人とのコミュニケーションをとるのに、時に必要になるものである。自分が送る文章が、相手を傷つけないか、とか、どんな思いをするかなどを考えて送らなければならない。
 そして、最も重要なのは、メールに頼りすぎないことである。
 きっと今、直接相手を目の前にして、気持ちを伝えられる人がどんどん減っていると思う。直接、言えなくなったら、後悔してしまうことだってあるだろう。
 そんな思いをしないためにも、自分の声で、自分の言葉で、そして、相手の目を見て気持ちを伝えられるように、みんながなってほしい。ここまで書いて、自分も自分の言葉を大切にしていきたいと改めて思った。
 たくさんの人が、直接を大切にするようになったら、日本語はもっと素敵なものになるだろう。
 いつかその日がくるのを信じている。

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