大学ホーム外国語学部一般の方論文・翻訳コンテスト第4回論文「スポーツイベントの魅力」

論文・翻訳コンテスト

スポーツイベントの魅力 松林 早紀

 今私たちの周りには様々なスポーツイベントがある。例えばオリンピックや学校の体育祭や球技大会、幼い頃近所の人達と公園に集まってやったラジオ体操もそれに含まれると思う。一口にスポーツイベントといっても、国を背負った選手同士が競うものから、皆で集まって楽しく運動する事が目的のものまである。私は、自分が「参加する」スポーツイベントと「観る」スポーツイベント両方に魅力があるのではないかと考える。
 「参加する」スポーツイベントでは第一に、他の人とスポーツをすることによって、スポーツをより楽しめるという魅力があると思う。私自身、運動が得意で大好きという訳ではない。しかし、そんな私でも一人ではなく他の人達と一緒にスポーツをしていると楽しいと感じることができる。
 さらに、そう感じるのは、一緒にスポーツをする人が友人でも初対面の人でも、誰であろうと関係ないのだ。それは、スポーツイベントでは他の人と普段とは少し違うコミュニケーションがとれるからだと私は考えている。
 例えば、初対面の人や日頃あまり交流のない人とは、いきなり会話をしようとしても話題に困ったり会話が上手く弾まない時がある。しかしスポーツイベントでは体を動かしながら、楽な気持ちで声をかけ合ったり励まし合うなどして、少しずつお互いの距離を近づける事ができる。また、親しい友人との場合ではお互いに新たな一面を発見したり、普段とは少し違う仲間意識を感じる事ができる。
 スポーツ自体だけではなく、他の人との交流もより自然に楽しめるという事もまた「参加する」スポーツイベントの大きな魅力である。
 一方で「観る」スポーツイベントには、普段の生活にはなかなか無い、特別な感情や気分を味わえるという魅力があると思う。スポーツを観ていると、自分の応援している人はもちろん、全く知らない人の懸命なプレーにとても感動する事がある。その反対にとても惜しいプレーに悔しい思いをしたり、時には不可解だと思う判定に腹を立ててしまうこともある。自分は観ているだけのはずが、目の前の光景に異常な程、感情移入してしまうのだ。後になって我に返ると、日頃自覚している自分との差が大き過ぎて思わず恥ずかしくなってしまう時も多い。でも私はその毎に、「こんな自分もいるんだ」と自分の新たな一面を発見できたような気分になる。
 私は、周りの人達と同じものを一緒に応援することによってさらに、その瞬間だけ感情や気分を共有することができると思う。
 また、私たちが「観る」事でスポーツイベントに参加している時、当たり前だが「観られる」事でそのスポーツイベントに参加している人達がいる。スポーツイベントにも様々あるから、その一つ一つによって「観る」人の目的や、熱心さは違う。だから「観る」人にとっては世界新記録よりも友人や家族の活躍、全く知らなかった人の一生懸命な姿の方が大切な事のように思える時もある。つまり「観られる」人の重圧の大きさや披露した事のレベルの高さに、「観る」人の感動は必ずしも比例しないと私は思う。それでもプロの選手や一流の技術を持った選手はやはり人々から無条件に凄いと思わせる。私はそれは、実力を付けて、有名になる程その人の苦労を他の人が知る機会が多くなるからではないかと考えている。
 私たちはスポーツイベントの中で結果だけではなくその人に苦労や努力の跡を見つけた時に心を動かされるのである。また「観る」人がそれを見つける事ができるのは、「観られる」人をスポーツの世界の中で皆同じ人間だと感じることができる事が理由だと思う。
 普段の生活の中で私は、国や環境、その人の性格など様々な事によって他の人との違いをたくさん感じている。それでもスポーツを通して発見した、自分や他の人の新たな一面、人間離れした技を披露したオリンピック選手の嬉し涙や悔し涙に「みんな同じ人間なんだなぁ」というという事に改めて気づく事ができる。それこそが、皆に共通するスポーツイベントの最大の魅力ではないだろうか。

 
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