大学ホーム外国語学部一般の方論文・翻訳コンテスト第4回英語課題 → 日本語訳

論文・翻訳コンテスト

英語課題 → 日本語訳 武藤 奈月

 明治維新の頃、日本の文学の質は全体として非常に低い水準に落ちていたので、西洋文学を解する作家であれば誰もが変革の必要性を感じていました。1880年代には、伝統的な文学は疲弊し、新しい世代の日本人の考えや希望を表すことはできないという信念に基づき、新しい種類の詩や小説の創作が促進されたのです。しかし、『小説神髄』や『新体詩抄』のような作品の中に見られる一般大衆への影響を強調するのは安易でしょう。これらの本は後の作品への影響を与えましたが、その直接的な影響は、日本文学を変えようとする熱意を持った少数の作家に限られ、大部分の読者は、江戸時代の小説や近代的な自我を持った明治の人間が拒絶した類の詩を楽しんでいました。また、西洋の小説や詩の翻訳や模倣は、少数しか出版されなかったため、書店は大衆が新しい文学の趣向を受け入れるまで、入荷を待つことができました。坪内逍遥の『小説神髄』も、最初はわずか数百部しか売れませんでしたが、需要が生まれたとき、すぐに再版することができたのです。

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