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既成概念を超えた研究対象へのアプローチで新たな発見を

文学から中国政治が見えてくる

 台湾映画『海角七号』が、日本でも2009年暮れより公開されました。内容は、60年前の日本統治下の日本人の青年教師と台湾人の女子生徒との悲恋と、現代の若者の物語を重ね合わせたラブストーリー。日本人が見れば、そこに政治的意図はまったく感じられません。ところが、中国政府は、この台湾映画を当時の皇民化政策の影響が残っているとして、内容の一部をカットし上映しました。カットした個所は、日本語が使われている場面のようです。台湾の現総統もこの映画の中国での扱いに苦慮したことがその発言からわかります。まさに、日本人には理解しにくい中国と台湾の、政治と文化をめぐる複雑な関係が垣間見えた事例といえます。

 私の専門は、中国の現代政治。知識人、とりわけ近現代の作家たちが、作品によって政治に挑戦し、ときに弾圧・粛清を受ける現象を研究しています。そのため私は、中国の近現代文学を中心とする文化を通して、政治を分析するという手法をとっているのです。

 最近は、台湾の政治・文化も研究対象に加えました。1949年の国民党政権誕生以来、中台間の政治的対立は、両者の文化的正統性をめぐる対立という側面も持っているからです。そのことは、先ほどの台湾映画の例を見ても明らかでしょう。

 日本人の学生には、政治を研究するのに、なぜ小説を題材にするのかと驚かれます。確かに、政治と文学の関わりが薄い日本では、考えられない分野といっていいでしょう。

 一方、中国からの留学生にとっては私の研究はまったく違和感がないようです。むしろ彼らには日本では政治的弾圧によって殺されるより、個人的理由で自殺する作家のほうが多いことを納得させるのに苦労します。

政治とのぶつかり合いから面白い作品が

 現中国共産党政権による文学への弾圧は、1949年以降何度も繰り返されていますが、その端緒は新中国成立前の1930年代に遡ることができます。国民党を批判していた魯迅を中心とする左翼作家のグループは、当時の共産党と関係を深めていきますが、魯迅の死の直前、両者の間に大きな対立が生まれたのです。この事実は、後に魯迅が毛沢東によって「神格化」されると文学史の中で語りにくくなります。しかし49年以降、魯迅の弟子であった作家たちが次々と批判され姿を消していったことは、魯迅の文学観が、実際に政権についた共産党にとって邪魔なものになっていたことを、はっきりと示しています。

 中国政権は、その政治的路線をたびたび変更してきましたが、文学に対する態度も、ときに「自由化の方向」に転じます。弾圧一辺倒では、近代化政策を進める上で知識人の協力が得られなくなり、結果的に政権の脆弱化につながる恐れがあるからです。

 こうした時期には、直前の出来事の見直しの中で過激な思想、文芸理論が復活してきます。これがいつの間にか現政権の批判に回るため、またこれを弾圧する。中国は、そうした波を繰り返してきているのです。

 文学に対する最大の弾圧は、1966年から10年間続いた文化大革命に伴って起こりました。しかしこの時に辛酸をなめた多くの作家たちが、その後の文革の見直し政策の中で名誉を回復すると、80年以降に彼らによる激しい文化大革命批判が噴出しました。

 ところがこの頃になると、中国政府は改革開放政策を進めており、表立った弾圧・粛清を行なうわけにはいかなくなっていました。そこで代わりに一時期、国外への追放という手段がとられるようになります。中国を離れた作家たちは、中国社会、政治に関する情報を得られなくなるため、数年で書く題材がなくなる。事実上、作家生命を絶たれるわけです。

 これに対し作家たちは、ここまでは書いても大丈夫、これ以上書いてはまずいと、巧みに政治権力との距離を計算しながら、一党支配に挑戦し続けます。そして、政治とのぶつかり合いやかけひきの中から、まず映画の分野で大変面白い作品が生まれるようになりました。

 では、現在の中国の文学を取り巻く状況は、どうなっているのでしょう。インターネットの浸透によって、政府による情報の規制は非常に難しくなり、これに、欧米や日本からの翻訳文学の流入が加わって、国民の価値観は多様化。村上春樹の全集が中国で出版され、多くの若者たちに読まれているというニュースは、記憶に新しいところです。

 作家にとってこれは、ある面では書く題材が増えたことを意味しています。しかしその分、これまでのような政治権力とのぶつかり合いから生まれる作品は少なくなりました。中国の文学は、大きく質を変えつつあります。

 といっても、むろん自由に書けるようになったわけではありません。一時期、社会性をもつベストセラーになった本が、しばらくすると批判の対象になるといった現象が起こっているのを見ると、中国政治の基本的な体質は変わっていないことがわかります。

 今後チベットやウイグルなどの民族問題を扱ったルポルタージュ文学は、いずれ書かれることは間違いないでしょう。しかし少数民族の心情や、中央政府による抑圧支配の真実が明かされるそれらの作品が、弾圧されることは確実でしょう。一方でそれは、作品が「面白い」ことの裏返しになります。当然インターネットを通じて流出し、海外で翻訳されば、中国政府としては頭の痛いところです。

 学生諸君が中国の政治そのものに留まらず、日本と中国のこうした政治、文化風土の違いにも興味を持って、それぞれの研究テーマを見つけてくれると嬉しいです。

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