大学ホーム国際協力研究科現代を読み解くために国際協力研究科ができること日本語研究のおもしろさ

日本語研究のおもしろさ

「なぜ」の大切さ

 あなたは日本語についてはよく知っている、日本語はしっかり勉強したと思っているのではないでしょうか?

 たとえば、フツカは「今日は3月フツカです」「この仕事はあとフツカで仕上がる」のように暦の日付を指す場合にも日数を指す場合にも使えるのに対し、ツイタチの場合は「今日は3月ツイタチです」のようには使えても「あとツイタチで仕上がる」のようには使えないのはなぜでしょうか。ミッカ、ヨッカ、イツカにもフツカと同じくやはり日付と日数の両用法があるのですが、ツイタチの場合は日付の用法はあっても日数の用法はありません。日数を指したい時には代わりに「あとイチニチで仕上がる」のように言わなければなりません。
 また、「白線内への立ち入(い)り禁止」と「白線内に入(はい)ってはいけません」というように、我々は「入る」をある場合はイル、ある場合はハイルと読んでいますが、両者に意味の違いがあると思って使い分けているのでしょうか。「気に入る」もキニイルであってキニハイルではありませんが、イルとハイルをどのように使い分けているのでしょうか。両者はどこが違うのでしょうか、考えてみたことがありますか。
 普段知っているつもりの日本語にも案外知らないことが多いのに気付くのではないでしょうか。「なぜ」と思うこと、実はこれがとても大切なのです。

解明課程の楽しさ

 まず、上に述べたツイタチですが、この語はフツカ、ミッカ、ヨッカ、イツカなどとは成り立ちに違いがあります。そのことに気付いたでしょうか。つまり、ツイタチ以外はいずれも「二」「三」「四」「五」という数を意味する要素と「日(か)」という要素が組み合わさってできている語であるのに対し、ツイタチは「月」+「立」という構成で、〈月が立つ〉という意味です。ツキがツイに変化していることもあって分かりにくくなっていますが、このようなツイタチの構成上の特徴が他の語との用法上の違いになっているわけです。
 また、イルとハイルとでは、イルの方が古くからある語で、これに「這(は)ひ」を前接させた「這ひ入(い)る」からできたのがハイルです。ですから、ハイルは当初文字通り〈這うようにして入る、苦労して入る〉というニュアンスを含んでいましたが、徐々にイルと同様の意味で使われるようになり、両者の違いが感じられなくなるとイルの代わりに用いられるようになりました。つまりハイルがイルの領分を浸食して行ったわけで、イルからハイルへの新旧交代が起こったということになります。ただ、どんな場合にも新旧交代が起こったわけではなく、その当時すでによく使われ定着していた複合語や句などの中では従来の形であるイルがそのまま継続して用いられることが多かったために結果としてイルとハイルの両形が併存することになりました。「入(いり)江」「郷に入(い)っては郷に従う (/え)」のような昔からある語句の中では今もおおむねイルが用いられていますよね。
 この他、たとえば現在「尊(貴)ぶ」にはトウトブとタットブの二種の訓があり、同じく「尊(貴)い」にもトウトイとタットイの二種の訓があるのですが、このことについて考えたことがありますか。これらの二種の訓が誕生し存在しているのはなぜでしょうか。また、贈り物をする時によく「くだらない物ですが」と言い添えますが、この「くだらない」はどこから来たのでしょうか。こういうことにもそれぞれ理由・事情があります。一度考えてみて下さい。
 このようなことを解明する過程はとても楽しく興味深いものです。大学院では解明の方法をぜひ身に付けてもらいたいと思います。

知ることの喜び

 日本語の特徴の1つとして「いらっしゃる」「参る」や「おっしゃる」「申す」のような敬語の多いことがよく指摘されますが、これは相手側を敬い自分側はへりくだるという日本の文化・日本人の習慣と深い関わりがあります。
 また、日本語にはイネ、コメ、ワラ、メシなど米に関する語や「鯖」「鰯」などの魚に関する語がたくさんあります。成長するにしたがって名の変わる魚もあり、「鰯の頭も信心から」「腐っても鯛」など魚にまつわる表現も少なくありません。逆に麦を主食にしてきた地域の言語では麦に関する語が多く、牧畜・肉食を続けてきた地域の言語では幼獣・成獣の別、雌雄の別などによって、さらには肉の部位によって種々の語が使い分けられていることが少なくありません。
 薩摩芋は琉球芋とも唐芋(カライモ、トウイモ)とも呼ばれますが、これらの名称からはこの芋が中国・沖縄・薩摩を経て伝来したものであることが推測されるのです。
 このように、言葉からは民族の生活や文化などを知ることもできます。

 

 大学院では〈解明して知る〉、この喜びをぜひ味わってもらいたいと思います。「なぜ」と疑問に感じたことについて、どのような資料をどのように用いて解明するのか、いかなる方法で答えを導き出すのかを学んでほしいと思います。そうして身につけた研究の手続きや方法はあなたにとってかけがえのない生涯の宝となるはずです。

 真の日本語力・日本語研究力を養い、それを十分に活かしたすばらしい活躍を期待します。
このページのトップへ

PAGE TOP