病院について当院のドクター紹介

麻酔をかけるだけでは駄目です。麻酔科医の仕事は多岐にわたります。

11月のドクター紹介は、麻酔科の萬 知子 教授の紹介です。
おてんばだったという子供時代やテニス部に所属した大学時代の思い出などを、お話いただきました。(2010.11)

萬 知子
名前 萬 知子 (よろず ともこ)
血液型 A型
趣味 水 泳:週末にジムで泳いでいます。2~3年前に水中ウォーキングから初めて、今はクロールが出来るようになりました。下手ですが、マイペースに泳いでいます。
読 書:最近、明治維新、昭和初期の歴史に興味を持ち、司馬遼太郎や城山三郎などの小説を読んでいます。その他、勝間和代さんや齋藤孝さんなどの、ベストセラーになっているビジネス本も読んでいます。
料 理:時間が無いので週末に一気に作ります。できるだけ、野菜を中心に手作りのものを食べるようにしています。得意料理は煮物、夏は必ずゴーヤチャンプルを作ります。
専門 麻酔、集中治療、高気圧酸素治療
所属 麻酔科教授
集中治療室室長
プロフィール 昭和34年 大阪府天王寺区に生まれる。
昭和53年 慶應義塾女子高等学校卒業、昭和59年 慶應義塾大学医学部卒業、昭和63年 同大学院(臨床麻酔学専攻)卒業後、国立東京第二病院(現東京医療センター)、都立大塚病院麻酔科勤務後、平成11年 英国マンチェスター大学病院臨床見学、平成13年 国家公務員共済組合連合会立川病院勤務、平成15年 杏林大学医学部麻酔科講師、平成18年 同助教授(准教授)、平成22年4月 同教授、現在に至る。
<資格>麻酔科標榜医、日本麻酔科学会指導医

■ 子供の頃は、どのようなお子さんでしたか?

大阪の藤井寺市で小学校1年生まで過ごしました。写真を見ていただければ一目瞭然かと思いますが、自宅の街頭に登るようなおてんば娘で、勉強よりも運動の方が好きな活発な子供でした。
2歳年下に弟がいるのですが、私にべったりで、いつも子分のようにくっついていました。ある日、庭で育てていたパセリを食べさせようと「これはアイスクリームよりも甘いんだよ」と嘘をつき食べさせました。弟は私のことを信頼していましたので、本当に食べて、泣きだしたことがあります。もともと関西人の血が流れていると自分では思っているので、できるだけ面白おかしくしようと決めていました。けれど、一見活発に見えるのですが、実は内弁慶でした。人見知りで初対面の人と話すことなど出来ませんでしたし、学校で手を挙げて発言するなど絶対に出来ない子供でした。 友達と一度仲良くなってしまえば、打ち解けて写真のようになるのですが、そうでなければほとんど話しませんでした。

 幼稚園の頃 弟と自宅の庭で遊んでいるところです。

■ それでは、引越しをしなければならなかったときは大変だったのではないですか?
小学校2年生からは、調布にある多摩川住宅に引っ越してきました。 当時、多摩川住宅はまだ出来たばかりで、何十棟もの住宅が田んぼの真ん中に建てられていました。
引っ越してきた初日は、もう泣いてしまって何にもならなかったようです。けれど、友達が出来てからは大丈夫になりました。近くには公園がたくさんありましたので、学校が終わると毎日毎日遊んでいました。昔は「勉強しなさい」とは誰も言いませんでしたし、自分自身も無頓着で成績が良いとか悪いとか、考えたことがありませんでした。そのため、本当に良く遊んでいて、小学校の6年間は家で勉強をしたことがほとんどありませんでした。そのため、成績は悪かったと思います。

けれど、学校では背が低かったので常に一番前の席に座っていましたから、授業は全部聞いていました。一番好きな科目は算数でしたが、これは、算数だけは何も覚えることが無くて、その場で考えれば何とかなるので好きでした。逆に、練習しなければならないことが苦手でしたので、漢字が書けませんでした。算数も昔は簡単でしたので、授業を聞いているだけで出来たのでしょうが、本人は気に入っていて卒業文集にはなんと『数学者になる』と書いてありました。今となっては、よくそんな大それたことを言ったものだと思ってしまいます。

■ 習い事や部活動などはされていましたか?
両親は、勉強のことは何も言いませんでしたが、父が音楽関係の仕事をしていたこともあり、ピアノは小さな頃から習わされていました。それから、小学校の時に何を思ったのかバイオリンを習いたいと言い出して、習わせてもらいました。どれも遊ぶことが忙しくろくろく練習はしませんでしたが、バイオリンだけは大学でもオーケストラ部に所属しました。

バイオリンの発表会(小学生)

ピアノの発表会(小学生)

中学校では、最初公立に進学したのですが、途中から和光学園という自由な校風の学校へ転校しました。そこでは、部活というよりも行事が一年中忙しく、行事が部活動のようなものでした。文化祭や体育祭はもちろん、企画からすべて生徒が行います。夏には館山で3キロと6キロの遠泳があり、そのための練習もありましたのでとても忙しくしていました。中学生時代はその思い出しかありません。

これではまったく勉強していないように思われてしまいますが、さすがに中学に入ってからは「これではさすがにちょっと将来が・・・」と自分で気づき、塾に通わせてほしいとお願いして、それで多少は勉強をするようになりました。特に中学3年生になると、勉強をしなければいけないという自覚が生まれて、受験をして慶応女子高に進学しました。

■ 高校時代の思い出を教えてください。 
高校では、ESS(英語会)のクラブに入って、スピーチコンテストに出たり、文化祭で英語劇をするなどの活動をしました。 私自身は一度も外国へ行ったことが無かったのですが、周りに帰国子女の子が多く、みんな英語ができるので、それに刺激を受けて、高校の交換留学制度でハワイのプナホウ高校に6週間の留学をしました。 このプナホウ高校というのは、アメリカのオバマ大統領が卒業したプナホウ大学の付属高校なんです。歳も同じくらいですし、もしかしたら同じ頃にハワイにいたのかもしれないと思っています。
私が留学した頃、ハワイの方々はあまり日本のことを知りませんでした。ホストファミリーに「日本にはテレビとかあるのか?」と聞かれ、日本はすごく未開発な国であると思われているようでした。初めて海外に行き、こんなにも意識が違うのかと、驚いた思い出があります。
この時に一緒に留学をした友達は、いまでも仲良くしていて毎年集まっています。
医学部に進学した人もいますが、経済学部や文学部に進学した人が多く、彼らと話をするのが楽しみなんです。医学部に進学すると、経済音痴になったり社会音痴になりがちですので社会情勢を良く知っている彼らの話を聞くのがとても面白く感じます。逆に彼らは彼らで、医学の話を聞くのが楽しいようです。

ハワイプナホウ高校で友人と。

■ 医師になろうと思ったきっかけは? 
理数系が好きでしたので理系の学部に進もうと思っていました。それから、何かの仕事に就けるような勉強がしたいと思っていましたので、最初は工学部への進学を考えていました。

慶応女子高校は、慶応大学に進学するのに成績で学部が決まります。高校時代はそこそこ勉強もしていましたので、先生から「医学部に行ける成績だ」と言われたのがきっかけで、医学部進学を考えるようになりました。
いろいろ考えましたが、当時は今以上に男女差別が厳しい時代でしたので、普通の会社に出て仕事をしても、キャリアを積むのが難しいかもしれないと思いました。医学部は、将来は医師になると決まっていますし、医師だったら他の分野よりも男女差別が少ないのではないかと思ったことが、医学部進学を決めた一つの理由です。

■ どのような学生生活を送りましたか?
もともと活発なタイプでしたが、高校の3年間は運動をしませんでしたので大学ではテニス部に入りました。 テニスをしたことが無かったからという理由と、当時はテニスブームで誰でもテニスをする時代でした。
また、文科系ではオーケストラに入りバイオリンを弾いていましたし、英語会にも入りました。

忙しく活動していましたが、3つの中で結局一番熱心にやったのはテニス部でした。
医学部では、テニスコートはもちろん、校庭もありませんでした。そのため、自分で神宮外苑のテニスクラブの会員になり練習をするしかありませんでしたが、ほぼ毎日、早朝と授業が終わってから練習していました。その成果か、東医体(東日本医科学生総合体育大会)で、2年と3年の時には準優勝、4年生では3位入賞を果たしました。

関東医科歯科の個人戦でも、シングルとダブルスで準優勝しました。この時のダブルスの相手ですが、優勝したのが女子医科大学の長澤さんという方でした。実はその方、長澤前学長のお嬢さんだったことが数年前に判明し、とても驚きました。長澤前学長の瑞宝重光章の受勲と退任祝賀会の会場で再会でき、懐かしく昔の思い出を語り合うことが出来ました。

東医体3位入賞の時。

神宮外苑でテニス練習中

■ 麻酔科を選ばれた理由は?
麻酔科は、どのようなことをしているのか一般に知られていないので普通は選ばれることが少ないのですが、私は麻酔科を選びました。
私たちの頃は初期臨床研修がありませんので、6年生が終わったらすぐに専門を決めなければなりません。そのため、6年生の学生実習がどこの科に進むのかを考える場でした。最初、麻酔科はまったく選択肢に入れていませんでした。ただ自分の性格上外科系がいいとは思っていました。

当時、慶応で外科に入局した女性は63年の歴代の中で3人しかいませんでした。その中の一人が宇宙飛行士の向井千秋さんです。当時は内藤千秋さんとおっしゃたのですが、女子ロッカー室でお会いしたときに、いろいろなお話を伺いました。

その後、実際にいくつかの診療科を回り、耳鼻科か婦人科にしようかとも悩んでいたのですが、目移りしてしまいなかなか決まらずにいました。そのような時に、あるとき外科の先輩から「麻酔科も良い科だよ。自分がおこなったことが短時間に完結して、全身管理をする重要な診療科なんだ」と言われました。

今は、初期臨床研修があるので体験して自分に合うと思えば入局してくれますが、当時は見学だけですので、そのよさを実感するのはなかなか難いものでした。あまり目立たない診療科でしたし、いくら医学生でも素人と同じですので、麻酔科が実際に行っていることがわからず、そんなに重要だとは思っていませんでした。けれど、外科の先生がそう仰るのなら重要なのだろうと思い、説明会に行ったところ、そのまま入局することになってしまいました。
説明会で教授と話す機会があり、「君、麻酔科に入局して大学院に入りなさい」といわれ、「はい」と答え、入局してしまったという感じです。なんとなく、入局の流れが既に出来ていたような感じでした。

■ 実際に麻酔科医になり、どのようなことを感じていました?
最初のうちは、良い麻酔をしようと思っていました。
良い麻酔とは、一言でいうのは難しいですが一つは「痛みの少ない麻酔」です。それは前々から考えられていましたが、昔は今と異なり手術が終わり、麻酔が覚めると、患者さんはみんな痛みを感じるものでした。それは当たり前だったのですが、その姿を見るのがとても辛いと感じていました。患者さんが痛みを感じないよう、何かうまく出来ればと思い、最初はそこを目指していました。

今では、患者さんは手術が終わると痛みを感じずに起きられることが多くなりました。昔と全然違います。それは手技も変わりましたし、お薬も変わりましたし、考えも変わったからです。
以前は、麻酔の一番の目的は手術を行うことでした。 全身麻酔薬は痛みを止める作用が少ないといわれており、実は痛みを感じているけれども麻酔薬で眠っているため意識がないというものでした。
けれど、今は患者さんが眠っているうちから痛み止めをきちんと使うようになり、術後の痛みの管理も考えるようになりました。麻酔をして手術をして、目が覚めれば良いとされていたものが、麻酔の目指すところが快適さにも向いてきました。

■ そのようなことから疼痛管理の治療を行う、ペインクリニックができたのですね。
そうですね。昔は麻酔科の外来など、もちろんありませんでした。やはり痛みのことに関してきちんと管理をしなければという意識をもった麻酔科医が多く出てきた結果なのだと思います。

私が麻酔科を選んだときから、随分と麻酔は変わりました。
麻酔は外科手術で必要なため発生した学問でしたが、次第にペインクリニックができました。
麻酔科医というと、みなさんは手術前にお薬を打って寝かせてくれる医者というイメージしかないかもしれませんが、実は手術室の中でも、患者さんの呼吸も見ているし循環も見ています。そのような術中の管理を術後や重症患者さんの管理にも生かそうとして、集中治療を専門にする麻酔科医も増えてきました。
私は集中治療室の室長も兼務していますが、手術後、痛みだけではなく、呼吸管理や循環管理をいかにうまく行うかによって患者さんの経過が大分良くなることもわかってきました。 そのようなところに興味のある人は、麻酔科でも集中治療を選びますし、ペインに興味のある人は緩和を選ぶなど、麻酔科でもいろいろな範囲が広まってきています。いまや、麻酔科医は麻酔をかけるだけでは駄目なのです。

また、最近は、術前外来も始めました。これまでは重い合併症を持つ患者さんが手術を受けられるときに限って、主治医の判断で特別に麻酔科術前外来に依頼が出され、麻酔科医が外来で、患者さんへ手術中の麻酔やその危険性などについての説明をしていましたが、これからは通常の麻酔管理についても、全ての患者さんに術前に説明をするという取組みです。いきなり全ての患者さんに行うことはできませんので、まずはトライアルで婦人科と協力し、婦人科の手術を受ける患者さんに外来で説明をしています。術前まで活動範囲を広めていますので、麻酔科医の仕事は非常に多岐にわたっています。

■ イギリスに留学されたときのお話を教えてください。
入局と同時に大学院に入りましたので、学位をとるための研究は終わっていました。イギリスへ留学したのは、夫がオンコロジスト(腫瘍の専門家)で、マンチェスターにある有名な病院に研究留学に行くことになり、私も一緒に行くことにしたのです。子供2人も小学生でしたので、連れて行くのにちょうど良い時期だとも思いました。子供たちは英語が全く話せない状態でしたが、地元の学校に通い、子供は子供なりに馴染みますので、とても楽しんでいました。英語に耳が慣れているので、帰国後も英語に関してはそんなに嫌がりませんでしたので、留学は子供にとって一番よかったのかもしれません。

私はマンチェスターの大学病院を紹介してもらい、麻酔科の臨床現場の見学を1年間させてもらいました。
初めて外国の手術室に入りましたが、日本との違いはいたるところにありました。
ひとつは、コスト管理の意識が非常に高いということです。基本的に医療費の自己負担がほとんどないためかもしれません。しかし一方では、EBMの意識も高く、たとえば、術後鎮痛をきちんとすれば早く治る、ということが1990年ごろ認められた後は、各病院はたとえ人件費などのコストがかかっても、急性疼痛管理チームを新たに作り出しました。マンチェスターでは看護師さんが中心で行っていました。また、イギリスは国の方針か、国民性かわかりませんが、長時間の手術はあまりありません。手術が長引いて17時になると、次に予定された手術は翌日以降に延期になるなど、日本では考えられないようなこともありました。医師は自分自身も大切にし、適度に休みを取ることも忘れません。これには日本との大きな違いを感じました。

■ マンチェスターはどのようなところですか?
イギリスの北東部にあります。産業革命で栄えたところでその名残の紡績工場もあります。また近くにはピークディストリクトと呼ばれる荒野やピーターラビットの作者で知られるビアトリクス・ポターで有名な湖水地方などに国立公園や国定公園がたくさんあって、ハイキングをするのに非常に良い場所があちこちにありました。週末には家族でよく歩いていました。
また、チャットワース、ハドンホールなどの、名所旧跡が沢山残っているので、そのような所にもよく出かけました。実際に目の当りにして、「歴史を学ばなければ」と思い立ち、イギリスにいた頃も少し歴史の勉強をしました。

イギリス休日WALKING。家族と。

WALKING中にこんな子たちによく出会います。

■ 杏林大学病院に思うことは。
非常に働きやすい職場です。職員のみなさんとコミュニケーションが非常によく取れて、会議でも正直にきちんと言いたいことが言えて、率直に話し合いができます。
それと、皆さんの良い病院をつくろうという意識が同じ方向を向いているのが、非常によく感じられるので気持ちよく働けます。

また、我々の分野は主治医として患者さんに接する機会はほとんどありません。医師は患者さんの病気が治って、感謝されることが喜びとなる人が多いのですが、われわれは良い医療のベース作りに徹しています。これは、自己満足かもしれませんが、このベースをしっかり作ることで、病院全体が良くなるのだと、考えています。なかなか見えにくいところですが、しかし、杏林ではそのようなところが非常に高く評価されているので、とてもやりがいがあります。

■ 最後に、患者さんへのメッセージをお願いします。
私は麻酔集中治療分野で仕事をいていますので、患者さんやご家族とお話しする機会は少ないのですが、患者さんとよく接している主治医と協力してより良い医療を心がけています。 患者さんに感謝される主治医の先生が、一人でも多くなるよう協力して頑張りたいと思います。



座右の銘

自分が与えられた環境でベストを尽くす

物事が出来ないのを環境のせいにする人もいますが、そのような人は環境が変わってもダメだと思います。環境をよくしてくれというには、その環境でベストを尽くしてから改善を講じるのが順序だと思っています。

一隅を照らす

うまくいかないことも結構あり、嫌になることもあります。そのような時に同級生が教えてくれた言葉です。「少しでも役に立っていればいいんじゃないの?」と。この言葉は手帳に書いていつも見ています。

萬先生の診療科詳細は、右のリンクをご参照ください。


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