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講演概要:分析!西郷隆盛の手紙

2013年9月14日開催:八王子学園都市大学いちょう塾・杏林大学公開講演会


杏林大学総合政策学部 教授
松田 和晃(古代日本の仏教文化と宗教制度に関する史料の分析)




    ○講演概要

    江戸城無血開城の談判で知られる西郷隆盛と勝海舟は、その後も西南戦争で西郷が没するまで親交を続けていますが、この両者間で交わされた書簡で伝存するものは案外に少なく、西郷から勝宛の書簡として知られるのは、(1)元治元年九月十一日、(2)慶応元年四月六日、(3)慶応四(明治元)年三月十四日、そして(4) 年不明の十月三日の日付を持つもの、の計4点しかありません。
     そこで(4)の書簡の年紀を推定するために、改めて原本を確認してみると、従来知られていた書簡本文のほかに、封筒と勝海舟自筆のメモが付属しており、それらを調査した結果、この書簡は、維新後に薩摩藩が沼津兵学校からフランス式軍事訓練の指導者を招聘した時の、明治三年のものとわかりました。これは封筒の宛名書に「安房」という勝の旧幕府時代の受領名が用いられていることと矛盾しますが、勝と西郷の間でだけは維新後も旧幕臣という意識が持続していたらしいことが覗え、大変興味深いものです。
     この書簡は、勝から西郷へ届けられた書簡への返信という形式をとっていますが、もとの勝からの書簡には肝心の応招者リストが添付されていなかったらしく、西郷は再送を頼んでいます。このリストに記載されていたはずの人物を調べると、八王子千人同心の原胤列が含まれていることがわかりました。残念ながら原胤列の業績を記した墓誌は発見できませんでしたが、墓誌の内容を収載した書物によれば、原家14代の胤列は幕府時代よりフランスの兵式を学んで准歩兵頭に抜擢され、維新後は沼津兵学校に遷ったのち、薩摩への招聘をうけて兵制改革に尽力したそうです。
     約150年前、勝海舟の手により最後の八王子千人同心の名が記された「姓名書」が西郷のもとに届けられていたらしいことは、八王子市民のひとりとして誇らしくも思えます。



    2013年9月14日 八王子いちょう塾・杏林大学公開講演会
    『分析!西郷隆盛の手紙』


    杏林大学 広報・企画調査室




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