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【トピックス】 熊谷奨学金設立にあたって

外国語学部英語学科教授 熊谷文枝


 1988年4月杏林大学外国語学部の設立と共に、私はアメリカから帰国し、教授として赴任いたしました。着任奉職して以来、キャンパスとともに時を送り、杏林大学での時間は21年が過ぎました。来年3月末で、定年退職いたします。今は、感慨深い思いで一杯です。このたび定年に当たり、退職金全額を杏林大学に寄付し、「熊谷奨学金」を設立していただくことになりました。その経緯を簡単にお話いたします。
  1970年8月、フルブライト留学生として、私の小学生のころからの夢であったアメリカ留学生活が始まりました。「ほんの一年、何でも見てやろう」と言う気持ちではじめた旅でした。それが、約15年にもおよぶとは、思いもよりませんでした。1970年当時、交換レートは、1ドル360円で、アメリカに留学するのは、いろいろな意味で大変でした。

 

 アメリカでの勉学、なかでもアメリカの大学院で博士号を取ることはアメリカ人にとっても並々ならぬ努力が必要です。英語を母国語としない私が、社会学を専攻し、博士号を取ろうと決心したのですから、その道のりは決して平坦ではなく、むしろいばらの道のりでした。その苦労の数々は、言葉では言い尽くせません。社会学は、その時間の多くをディスカッションやディベートに費やします。そして、その結果を報告書として提出します。そこからも、外国人留学生の苦労がお分かりいただけることでしょう。
 しかし、幸いに留学六年弱(1976年5月)で、社会学博士号を取得することができました。そして、アメリカの大学で教え、また、研究生活も送ることができました。決して容易ではないアメリカでの勉学生活を、まがりなりにも成功させることができたのは、まず勉学全期間を通じ終始奨学金を授与されたこと。それから、アメリカ人の先生方、仲間の学生、ホストファミリー達の心温かいホスピタリティーにめぐまれたこと。この二つのおかげでした。挫折を体験したことは数え切れないほどあります。しかし、そのつどアメリカ人の親切心に支えられ、初心を貫くことができました。
  当時、「この恩返しは、どのようにしたらよいのだろうか」と悩みました。すると多くのアメリカ人から、「あなたが、恩返しができるようになった時に、その気持ちを表してくださればよいのです」と言われました。今、私にはそれができる時が来ました。
  そこで、「熊谷奨学金」を設立していただき、毎年二人の学生に、各人50万円(一年に計100万円)の奨学金を給付したいと考えています。外国語学部の特質、私のアメリカ留学の体験、私の専攻分野の社会学・比較文化社会論等に関心のある外国語学部三年生の日本人学生二名に毎年奨学金を給付したいと考えています。この奨学金が、学生の語学研修・短期留学の一助となることを期待します。また、高校生も「熊谷奨学金」を一つの勉学目標とし、杏林大学・外国語学部受験に関心を持っていただければ幸いです。


− 赤井孝雄 外国語学部長の談話 −
  杏林大学外国語学部は創設以来、外国語の習得を通じて、言葉の持つ創造性とコミュニケーション能力を追究するとともに、異文化の垣根を越えて相互に理解し共存できる国際人の養成を目的としてきました。そしてこの目的を達成するために学部独自の外国語習得プログラムを始め様々なプログラムを用意しています。なかでも海外留学・研修は重要なものと位置づけその拡充に努めてまいりました。現在、年間約100名の学生がこのプログラムを利用して異文化を体験していますが、さらに多くの学生諸君に海外留学・研修プログラムを活用してもらいたいと考えております。一方で、経済的な理由からこのプログラムを断念せざるを得ない学生がいることも事実です。
  この度、ご自身奨学金の恩恵に浴された熊谷教授より、経済的な理由から海外留学・研修プログラムに参加することがままならない成績優秀学生に対して、奨学金給付のお申し出を頂きました。長年学部教育に貢献された先生のご意志を尊重し、先生の名前を冠した熊谷奨学金を設立して、外国語学部のさらなる発展のために活用させて頂きたいと考えております。

2008.12.4