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【トピックス】被災地での医療支援活動を終えて(1)

 
 当院の岩畔哲也医師(高齢診療科)、新井健介医師(第3内科)、尾野敏明看護師(C-ICU)、戸来廣明看護師(2-2A)、の4名が先月31日(木)、被災地の医療支援のため岩手県立大船渡病院に向かい、今月7日(木)支援活動を終えて帰院しました。
 
 医療スタッフは片道660kmを7時間40分かけて大船渡病院に夕方到着、同じように支援に駆けつけた岡山大、自治医科大、藤沢市民病院などのスタッフと日勤・夜勤など勤務体制を組んで診療等にあたりました。入院患者は津波による泥水の誤嚥で肺炎を発症した患者が多く、ホワイトボードを使用して、入院患者数を医療者全体で把握する体制を取っていました。
一夜明けた2日目は岩畔・新井組は他の支援の医師2名とともに救急外来を担当、意識障害の高齢者男性や高熱を発した80歳代女性など1〜3次救急対応に忙殺され、昼食を取る暇もありませんでした。3日目は医師は夕方〜准夜勤および翌日日勤、看護師は夜勤の勤務につき、前日同様の患者対応に追われました。5日目の4月4日になると、同病院では一般外来がようやく再開され、救急外来では日中は感冒などが5〜6人、救急車は高齢者の重症肺炎・心房細動1名など4例の患者対応にあたりました。6日目になると同病院の常勤医師の言葉を借りると「だいぶ通常の状態に戻ってきた」ということでスタッフにも多少ゆとりが出、最終日に杏林組は当直勤務をして現地での6日間にわたる支援活動を終えました。
 
●当院医療スタッフの団長を務めた岩畔哲也医師
「病歴聴取をするたびに患者さんから壮絶な体験を聞くことが多々あり、被災者の方々のご心労を察すると本当に言葉が出ませんでした。テレビ、雑誌等を通して見る“東日本大震災”と実際に現場で見る“東日本大震災”には大きな隔たりがあり現地の看護師さんの中にも、震災から1ヶ月近く経った今でも、津波で家が流されテント生活を送りながら働きに来ている人、未だに電気ガス水道が復旧しない中、寒さに凍えながら夜を過ごしている方などいらっしゃいました。

岩手県立大船渡病院(外観)

岩手県立大船渡病院(外観)

岩手県立大船渡病院(院内)

岩手県立大船渡病院(院内)

救急患者の搬入

救急患者の搬入

患者さんも含めると身内・親族・家をなくした方々は本当に数多くいらっしゃいました。しかしそれでも尚、笑顔で振舞う皆さんの“心の強さ”には大変感銘を受けると同時に、ただただ頭が下がる思いでした。大変な環境の中で、助け合う相互幇助の精神を至る所で垣間見ることが出来ました。大船渡に住んでいて被災した親友の知人宅をお見舞い方々訪ねた際は、見ず知らずの僕達4人に、被災者であるにもかかわらず、貴重な食材を使って沢山おにぎりを作って下さいました。そんな悲惨で過酷な現状を目の当たりにすると、一方で物資豊かな地域での自己中心的な買い占め行動には疑問を感じずにはいられません。あのおにぎりの味と、ご夫婦の温かい心は忘れることはありません」

●新井健介医師(第3内科)
「実際に現地に行くと悲惨な状況に言葉が出ませんでした。短い期間でしたが、苦しい状況の中でも暖かく接して下さった現地の方々に大変感銘を受けました。一生に一度の経験が出来たと思います」
●尾野敏明(集中ケア認定看護師教育課程)
「病院スタッフも被災されている方がいる中で、皆明るく気丈に頑張っておられる姿に心打たれるものがありました。今回私たちがどれだけお役に立てたかはわかりませんが、これから被災地の生の状況を伝えていきたいと思います」
●戸来廣明看護師(2-2A)
「実際に被災地の光景を見た時は何も言葉が出ませんでした。実家がある八戸市も被災地であり、『微力でも自分に出来ることはないか』と精いっぱい頑張ってきました。被災者の皆さんは復興に向けて力強く生きていました。災害支援で向かった自分たちを温かく迎え入れてくださった病院スタッフの方々に感謝します。そして、これからも何らかの形で支援していきたいと思います」
(甲能病院長への医療支援活動報告から抜粋しました)

 尚、医療スタッフが活動を終えた7日(木)付けで、岩手県立大船渡病院の八島良幸病院長から当院の甲能病院長宛てに支援に対するお礼の手紙が寄せられました。

被災した岩手県立高田病院

被災した岩手県立高田病院

大船渡病院八島院長・渕向副院長先生とともに

大船渡病院八島院長・渕向副院長先生とともに