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【トピックス】薬剤師ボランティアに参加して  被災地支援報告(2)

医学部付属病院薬剤部長 篠原 高雄


 今回、東日本大震災に対する東京都薬剤師会(以下都薬)の災害ボランティアとして、福島県福島市に3月23日から26日までの4日間参加しました。

 3月22日、日本薬剤師会より「福島県に一般用医薬品(以下OTC薬)が大量に搬入されるので活動を開始しなければならない。急を要する」として都薬に要請があり、杏林大病院では予め数名がボランティア申請を行っていたため1名参加して欲しい旨の依頼がありました。福島県は原発事故の影響があることや福島県薬剤師会(以下福薬)との連携、それに日赤医療班、医師会医療班との交渉、薬相談ブースの開設などがあるため、ベテランの方が良いとの理由で私が参加することになりました。

 翌23日、千代田区神田錦町の都薬会館に朝6時頃集合して同僚の自家用車に同乗し、4名で出発しました。東北自動車道走行中にラジオで緊急地震速報が数回にわたり鳴り響き、震源地が福島県で震度5強との情報があり、とても不安な旅立ちでありました。高速道路は矢板インターから先は通行止めになっていましたが、緊急通行車両証が発給されているため再び高速道路に入ることが出来ました。

 那須高原を過ぎたあたりから道路の改修工事が行われており、郡山付近では道路がうねっている所や段差があちこちにあり、地震の凄さを改めて実感しました。また被災地域はガソリンが不足しているので手前の安達太良SAで満タンにしておくようにアドバイスを受け、まず福島県立医大病院前の福薬会館事務局で挨拶とこれからの説明を簡単に聞き、その後前日搬入されたOTC薬や衛生用品などを避難所へ運ぶため帝北ロジスティック笹谷(倉庫)へ向かい、OTC薬の感冒薬、解熱薬、胃腸薬、下痢止め、目薬、シップ薬、消毒薬やカットバン、電池などを車に積み込んで11時頃に避難所に到着しました。

 福島県では地震そのものによる被害は岩手県や宮城県ほどではありませんでしたが、地震と津波と原発事故とのトリプル被害に見舞われていました。

 福島市内の2か所の大規模避難所(あづま総合運動公園体育館 約1000名とパルセ飯坂 約600名)では、南相馬市や浪江町などからの被災者を受け入れており、その避難所で都薬からの4名が2か所に分かれて、お薬相談ブースの開設、診療前のトリアージ業務(重症者は医師の診察を勧め、軽症はOTC薬で対応など)、医師会医療班や日赤医療班で不足した医療用医薬品の提供と調剤、近隣保険薬局との連携などを行いました。2か所の避難所は、電気、水道が通っていたのでトイレなどの衛生状態もよく、比較的恵まれた環境だと感じました。

 高齢者が多く、ちょうど慢性疾患の薬(高血圧、糖尿病など)がなくなる時期で、その医療用医薬品の調達が大変でした。保険薬局に在庫のありそうな薬品は医師が院外処方を手書きで発行し、在庫のない薬品は福薬会館の事務局に連絡して翌日の朝にその薬品を車に積んで避難所へ持って行き、自分で調剤する運用を毎日取りました。医療用医薬品の在庫が少ないので、処方は7日分までとしました。
被災者の方は着のみ着のままで避難されていて現金をあまり持参していないため、受診を我慢する人やお薬相談にもお金がかかるとか思っている方も多く、災害時は受診も薬代も自己負担金は無いことを説明するとほっとされていました。

 交通手段が車しかないのですが、ガソリン不足のため各スタンドの前は毎日2kmにわたり給油待ちの渋滞が続いていました。待っている間にガソリンがもったいないので車の中で練炭を炊いて一酸化炭素中毒で亡くなられた方がいたそうです。私たちも仕方なく3日目に高速の方が空いているため一番近い安達太良SAまで行って補給して来たりもしました。

 避難所にいる南相馬市や浪江町などの方々は、地震と津波の被害で行方不明者が多数出ていますが、原発事故による避難区域内なので行方不明者の捜索が進んでいない状態で、不安が募っていました。また、原発もまったく予断を許さない、先が見えない状況が続いているため、うつ気味で睡眠障害の方が多くいました。私たちが出向いて声をかけると、被災した時の状況など薬に関係のない話もたくさんしていただき、「足を伸ばしてください」と言っても正座して受け答えをされていました。東北の人は礼儀正しく真面目で我慢強いという印象を受けました。

 福薬が被災して人出が不足していたこともあり、医師会医療班、日赤医療班や近隣保険薬局と連携不足で何回か多少のトラブルもありしましたが、地元福薬の役員と外部からの私たちとで、1日2回、朝と夕にミーティングを行うことにより少しずつ運用を改善していくことが出来、被災者の方たちに頼りにされる活動をして引き継げたと考えています。

 最後になりますが、被災された方々が一日でも早く安心して元の生活に戻れることを心よりお祈りしております。

2011.04.15