受験生サイト サークル紹介 学生支援ポータル 学納金サイト  [在学生・保護者専用]

大学ホーム>ニュース&イベント>【トピックス】被災地を訪ねて 被災地支援報告(3)

【トピックス】被災地を訪ねて 被災地支援報告(3)

杏林大学医学部付属病院小児科 細井健一郎


 東日本大震災で被災された多くの方々に心よりお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方に対しまして、お悔やみ申し上げます。

 私は、震災から2週間経った3月25日から4月1日まで、被災地のひとつ、岩手県大船渡市にある岩手県立大船渡病院小児科において医療支援活動を行ないました。現地の様子を報告いたします。

 震災から2週間経って、ようやく東北自動車道が開通した24日夜、自ら運転する車で東京を出発しました。特に福島から宮城県内は路面のうねりが激しく、また支援物資を運ぶ大型トラックや消防、警察、ならびに自衛隊の車両があふれる物々しいなかを北上し、約7時間掛けて未明に大船渡へ到着致しました。通行規制やガソリン不足が深刻な状況でありましたが、岩手県からの要請を受けての被災地入りということで、緊急車両として無事に被災地へ入る事ができました。いつにない生臭い匂いが町全体をおおっている事に違和感を覚えると共に、到着早々大きな余震がありました。まだ朝夜は氷点下の気温で雪の降る中、厳しい被災地の現実を肌で感じました。

 早速3月25日朝、大船渡病院へ出勤しました。大船渡病院は隣接する陸前高田市、住田町を含めた気仙地域、岩手県沿岸南部の拠点病院で、489床を有する総合病院です。市内を見下ろす高台に位置し、今回の地震や津波による直接の被害は見受けられませんでした。病院駐車場の一角に作られた臨時のヘリポートに、私の出勤と同時に横浜市と書かれた医療支援のヘリコプターが着陸し、平時との違いを感じました。

岩手県立大船渡病院全景 駐車場手前にあるスペースは臨時へリポート

岩手県立大船渡病院全景 駐車場手前にあるスペースは臨時へリポート

 いまだ市内のライフライン復旧が進んでいない状況にあって、大船渡病院自体は電気ガス水道は回復しておりましたが、携帯電話の回線が不安定なため、震災から2週間経ってもまだ殆どの医師が震災以降帰宅せず、まさに不眠不休で日夜病院で診療に当たっておられました。医師達は疲労が極限状態のなか、カップ麺をすすりながら医局のソファーで何とか仮眠をとる状態でした。職員の約1/4にあたる100名以上の病院職員が家を津波で失って帰宅ができず、病院職員の衣食住も大きな問題であると八島院長先生から伺いました。病院は救急診療体制を敷いており、私は小児科医で副院長の渕向透先生の指揮下、小児科の救急外来を担当することになりました。

 小児科病棟は、震災当日に慢性疾患で在宅加療中の児を中心に、保護的な入院の症例が多く見受けられました。中には自宅や家族が津波で流されてしまった方もおられましたが、子供たちはみな気丈にふるまっているのが印象的でした。一方、避難生活で感染したと考えられるウイルス性胃腸炎の患児や、RSウイルスなどの気道感染症例も多く見られました。手術室は緊急手術のみ対応という体制をとっており、帝王切開が必要でハイリスクの母胎症例は既に遠く離れた内陸の病院へ母体搬送されておりましたが、新生児室には低出生体重児も含めて約10名ほどが入院しておりました。

 救急外来では、成人の重症患者が市内各所の避難所からひっきりなしに救急搬送されており、大船渡病院の常勤医師のみならず、岩手医科大学、岡山大学、藤沢市民病院の応援医療チームがその対応に追われていました。内科では、初期治療を行なった患者さんを、連日10名近く内陸の病院へ転院させるなどして、病床の確保に苦心されておりました。

本学出身の山野目脳外科長と救命センター
玄関にて10歳代意識不明の搬送患者を待つ。
しかし既に死亡しており搬送されなかった。

 私は小児の患者を担当しましたが、幸いにも重症患者さんは多くなく、外来での処置、処方のみで対応可能な症例が殆どでした。28日月曜日からは、救急診療体制ではあるものの、日中は小児科外来に場所を移しての診療となりました。発熱、咳、嘔吐、下痢といった一般的に小児科外来でよく見る症状の方が多数来院されましたが、一方で慢性疾患のために内服治療を継続している患者さんが、他院通院中の方も含め、薬を求めて来院されるケースが多数ありました。津波で流された自宅の中から何とか薬とお薬手帳を見つけ出し、泥だらけのお薬を手に来院された方を診察した際には、何とも切ない気持ちでいっぱいになりました。病院の電話回線が不通であった事もあり、午後の専門外来や乳児健診、予防接種などで予約対応の患者さんは、予定の約半数程度の受診数な日もありましたが、ワクチンの確保などの点でスタッフの対応が困難を極めておりました。

 現在大船渡病院は、通常診療体制に戻っているとのことですが、気仙地域の医療機関が大幅に減少したこともあり、今後の小児保健体制を維持する事が困難であると予想される事から、長期的な支援体制の継続を現地のニーズに合わせて行なっていく事ができればと感じました。

 私が大船渡の地へ足を運んだ理由は、母の実家が大船渡にあり、幸い津波の被害は受けなかったものの母が被災して避難生活を送ったためでした。我が家は海岸から3Kmほど内陸に位置しますが、日頃穏やかな大船渡湾から離れた盛(さかり)町にまで津波が到達し、多数の死者がでるとは誰もが思ってもいませんでした。多くの知人宅が津波で流され、避難生活を強いられる中、みな気丈に振る舞い、地震と津波の恐怖を口にしながらも、努めて明るく生活再建に向けて前を見ておられる姿には、むしろこちらが勇気をもらった気がしました。

知人の経営するガソリンスタンド

知人の経営するガソリンスタンド

JR大船渡線の線路は一部が流失し、線路上にはいまも船や車、がれきが散乱。復旧の目処は立っていない。

JR大船渡線の線路は一部が流失し、線路上にはいまも船や車、がれきが散乱。復旧の目処は立っていない。

 大船渡町、赤崎町、末崎町などの市内海沿いにある市街地は完全にがれきの山と化し、自分が見慣れた景色がそこには全くなく、自分がどこに立っているのかすら分からなくなってしまう、想像を絶する現在の町の姿にただただ言葉も出ませんでしたが、子供たちの笑顔に支えられて、何年掛かろうとも美しい気仙が必ず復興する事を強く信じております。

本学医療支援チーム(内科)が到着し引き継ぐ。

本学医療支援チーム(内科)が到着し引き継ぐ。