受験生サイト サークル紹介 学生支援ポータル 学納金サイト  [在学生・保護者専用]

大学ホーム>ニュース&イベント>【トピックス】 法医学教室スタッフが遺体検案・検歯支援活動に参加 被災地支援報告[4] 

【トピックス】 法医学教室スタッフが遺体検案・検歯支援活動に参加 被災地支援報告[4] 

 本学医学部法医学教室の佐藤喜宣教授、高木徹也准教授、松村桜子准教授(兼担)、吉田昌記学内講師、浅原千歩助教(大学院生)の5人が、東日本大震災直後の3月中旬から4月初旬にかけて、「災害時死体検案支援活動」を行いました。

 この活動は、警察庁から日本法医学会が要請を受け、学会員より参加者を募り、各県警察本部の指名により派遣されたものです。

 本学からは、まず高木准教授と松村准教授が3月14日〜18日に、宮城県で2人合わせて約220例の検案を実施しました。
 つづいて、吉田学内講師が同じく宮城県で3月31日〜4月5日に約30例の検歯を行い、浅原助教は岩手県で4月2日〜7日に約40例の死体検案を行いました。
 そして、佐藤教授が4月3日〜8日に、福島県に赴き39例の検案を実施しました。

 その時の現地の状況や警察官・自衛官等を含む支援スタッフの様子などについて、佐藤教授に話を伺いました。



——先生は阪神・淡路大震災の際も活動されたとのことですが、それと比較しての印象は?

 阪神・淡路大震災では、多くの建物が半壊または全壊しました。そして火災が発生して多くの被害をもたらしました。
 今回はまた津波という全く異なる類のもので、確かに家や建物も倒壊したかもしれませんが、津波というのは水の壁のようなもので、その威力でたいへん多くのものが流され、持っていかれてしまったわけです。
 人間には浮力があるわけですが、津波に襲われるその衝撃で失神して、流されてしまいます。多くの方が顔面・頭部に傷を負いますが、強い衝撃で一瞬にして失神するので、痛い思いをすることなく亡くなられたケースが多かったのではないでしょうか。死因はほとんどの方が溺死です。


——先生方が活動された中で、衝撃を受けたというようなことは?

 今回の検案・検歯で、水温が低かった、気温が低かったということでご遺体の姿形を保てた部分がありました。ご遺体のお顔を見て、遺族の方々が別れを告げることができたという状態が多かったのは、悲しみの中でもまだ救いがあったといえるでしょう。ですが、時間が経ち、気温も上がってきますと遺体も傷みが進んでしまいます。そうすると、お顔を見てもとてもわからない状態になってしまう。
 さらに、埋葬するにしても遺体の数も多いので、お顔がわかったとしても、連れて帰る家もない、火葬場も間に合わない。しかしそのまま置いておけば気温も上がり、傷みがひどくなってしまう。ご遺族にとってはとても耐え難い選択を迫られたと思います。


——現地の方々の様子というのは如何でしたでしょうか。

 福島県の相馬市は福島第一原発の30km圏外で人が歩いていたのですが、南相馬市に入ると、ぱたっと人がいなくなる。誰も歩いていないのです。家で自主待機ですが、明かりはついていません。警察官が巡回していますが、それは遺体を捜索するためではなく、盗難を避けるためです。


——支援活動の中で、警察官や自衛官の方々の活動などもご覧になったかと思いますが?

 遺体を誰が収集するかというと、それは警察官、それに陸上自衛隊・航空自衛隊・海上自衛隊の自衛官たちです。
 特に自衛隊の方々などは、軍隊長が「自分の親兄弟がいると思え」と言いながら送り出すわけですね。しかし、担架なんかないわけで、遺体をどう運ぶかというと、担いで、背負って運ぶわけです。防護服といったって、紙でできているわけで、服も汚れていってしまう。これにはたいへん頭が下がる思いがしました。彼らは決してそう年をとっているということでもなく、若い人たちです。「身内がいると思えば、たやすいことです」と言って懸命に作業をされるのですが、ほんとうに見上げた心がけだと思います。


——法医学者としてこういう現場に入られて、あらためて印象を受けたことは?

 全く言葉もないという気持ちです。阪神・淡路大震災の時も衝撃を受けましたが、局地的であったこともあり周辺の都市、大阪・京都・岡山などは機能していたわけです。だから、支援の力をそこから投入することができた。今回は広範囲に被害を及ぼしているのでそうはいかない。人的資源を投入しても、後が続かない。みなへとへとです。警察官の方々も皆非常にがんばっていただいたと思います。
 また、原発事故で冷却作業にあたった消防のハイパーレスキュー隊の方々も命懸けだったと思います。本当に現場はそういう状況なんです。うちのスタッフもよく志願してくれて、頭が下がります。


——やはりその志願したというのは、使命感というものからでしょうか。

 そうですね。私たちの仕事がどこにあるのかということと、そしてご遺族の気持ちを考えたら行くしかない気持ちだと思います。
 若いスタッフなどは皆、人生観が変わったと言っていましたね。特に大学院生で入ってきた浅原君。彼女はよくがんばったと思います。
 こういう若い人たちがいることで、日本は大丈夫だと思いました。必ず立ち上がってくると。自分のことを考えるのではなく、そういった本気で人のためにと考えて行動する若い人たちがたくさんいるのですから。
 今回の災害は未曾有の出来事で、日本は今回こうしたことを経験したわけで、この若い人たちはもし世界でまたそういったことが起きた時に、率先して行くことができる人たちになると思います。


2011.04.19