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被災地支援報告[7] 南相馬地区医療ボランティア報告

 5月2日と3日、当院の長谷川雅一・整形外科医局長、横山琢磨・呼吸器内科助教、諸井威彦・研修医の3名が福島県南相馬市で医療ボランティアとして活動をしました。長谷川医師、諸井医師はともに被災地の福島県出身、3名は志願しての支援活動で、横山医師は石巻地区、南三陸地区での活動に続いて3度目、諸井医師は2度目のボランティアです。 
以下、長谷川医師の報告です。


 5月1日深夜に杏林大学病院を出発して東北自動車道を北上、福島県内の吾妻PAで休憩した時に放射線量を計測しましたが、測定レベル以下でした。福島西ICから南相馬市まで約50km東へ向かい、2日未明南相馬市に到着し、小休息したあと南相馬市立総合病院を訪ねました。同病院は7階建て230床の地域の基幹病院で、常勤医は11名、それ以外では福島県立医大からのパートの派遣などで運営されているようです。福島第1原発から23kmで緊急時避難準備区域にあるため入院患者の受け入れが出来ない状態でした。そのため病院機能には問題ないものの外来診療と市内の避難所医療支援が中心となっており、4名の医師(院長、副院長含む)で対応しているとのことでした(他の医師は引き上げや退職されたそうです)。薬剤関係の流通もさほど問題なく普通に処方が出来るようでした。午前中は内科系、外科系各1名で外来診療を行い、午後は市内に4カ所ある避難所を巡回している状況でした。避難所の診療班は、市立病院のチーム以外に長崎大学の医療チーム(GW中は精神ケアチーム)、福島県立医大チーム(GW中は血管外科によるDVTのスクリーニング)が活動していました。


 
南相馬市立総合病院    避難所での診療


 
 我々は、5月2日午前中から病院での外来診療を行いました。杏林大学からの応援で整形外科、呼吸器科専門医の診療を行う旨の掲示がされていましたが、震災後両診療科とも医師が不在であったためか患者数はあまり多くはありませんでした。整形外科では、自衛隊の派遣隊員で腰椎椎間板ヘルニアの患者さんや膝の注射を待ち望んでいた患者さんに大変喜んでいただけました。しかしながら次回整形外科の先生の診察が受けられるのがいつになるのかを思うと複雑な気持ちでした。横山先生も肺炎の重症患者を診察し、入院加療が必要と判断される患者さんと遭遇して福島県立医大へ紹介していましたので、少しはお役に立てたのではないかと思っております。

 2日の午後は同病院の金澤院長先生と一緒に市内の避難所を2か所回りました。体育館型の避難所と教室型の避難所で各避難所には看護師が常駐していました。診察希望の患者さんを数名診察しましたが、診察室もなく避難所の一角にテーブルと椅子を並べた仮診療室ですので、プライバシーについては皆無といえます。避難所によっては診察室を設けていますが、震災からすでに50日が経過しており出来るだけ医療機関を受診するよう勧めていました。避難所と市立病院を結ぶ送迎バスを週1回出しているようでした。避難所から病院に戻る道中、院長の金澤先生が「これまでやってきた診療行為(入院患者の受け入れ)が出来ないのが残された医師のモチベーションの維持にとてもこたえる」とお話されているのが心に残りました。


    避難所の様子

 夕方病院に戻り一段落しましたので、海岸近くの津波被災地区を見にいきました。がれきの撤去は自衛隊を中心にかなり進んでいるようでしたが、田んぼのヘドロはそのまま残されており車が通るたびに砂埃が舞っていました。所々ひっくり返った車や、潰れた農作業車、海岸より2km程度はなれている田んぼに漁船が転がっていたりなど、至る所津波被害の影響が残っていました。海岸地域はほぼ壊滅状態で言葉がありませんでした。また、原発20km圏内に向かう国道などは警察の検問により立ち入りが制限されていました。20km圏内に小高地区というところがあり、同地区からの多くの避難者とお話ができましたが、家に近寄る事も出来ず途方に暮れておられる様子でした。
 南相馬市内には、原発の影響で避難されていた人々が戻りつつあるようで徐々に活気が出ているとのことですが、お店などは個人商店などが中心で全国チェーン点などの店舗、レストランなどは休業中のままでした。GW明けに再開するところが多いそうです。
 翌3日は、南相馬市立総合病院のスタッフ腕章をお借りし、我々のみで避難所巡りをしました。その前に南相馬市ボランティアセンターに立ち寄りましたが、当日は約300人のボランティアが登録されていました。GWに入って増えたそうですが、宮城県内と比べるとかなり少ない印象でした。がれき、泥の撤去、支援物資の仕分けなどの作業をしているということでした。
 この日も2か所の避難所を回りましたが、GWのため遠方より身内が来て一緒に出かけていたり、仕事に出かけたりで避難所には1/3程度の人しかいない状況でした。数名を診察した後、前日から配布していた日本整形外科学会推奨のロコモティブシンドロームの予防のためのロコトレ資料や腰痛体操の冊子を新たに配布し、少しでも室内で運動出来るような活動も行いました。

左から2番目)横山助教 右2から番目)長谷川医局長 右)諸井研修医


  今回避難所を回って印象に残ったのは緊急時避難準備区域のため子供の姿がほとんど見られなかったことです。唯一、鹿島地区にある避難所が30km圏外でありバスケットボールの練習をする中学生や数名の子供を見かけ、子供の声、笑顔がとても元気を与えるものだと実感しました。南相馬の避難所は、テレビで子供が映し出される避難所とは全く印象が異なりました。また皆さんつらい立場であるにも関わらず逆に明るく迎え入れられ、最後には“ありがとね”とのお声掛けをいただき、支援させていただいている立場にありながら逆に元気づけられ、改めて東北の人々の心の温かさを実感いたしました。
 帰京前に及川副院長とお会いし是非また来て下さいとお声をかけていただきましたが、頑張って下さいとお答えするのが精一杯でした。早く原発問題が収束し以前の診療体制に戻してもらうことが地域にとっても復興の兆しといえるのでしょう。   

 この2日間2台の計測器で放射線量を計測しましたが、それぞれ2または4μSvを計測したのみでした。帰りは、GWのUターンラッシュに遭遇し宇都宮で50kmの渋滞に巻き込まれましたが交代で運転しながら5月4日の午前1時30分に無事杏林大学病院に到着し今回の日程を終了しました。



(整形外科 長谷川雅一)
 


2011.5.9