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被災地支援報告[8] 宮城県JMAT派遣報告

 2011年3月11日の東日本大震災発生後、未だ連日のように被害状況が報告されている中、発生から2か月経つ5月11日〜14日に日本医師会災害医療チーム(JMAT)の要請で、宮城県石巻圏の医療活動に参加させていただきました。医療チームは医師、看護師、薬剤師、事務員の5人で構成されました。現場の情報が少なく、日々状況が変動するため、臨時で対応できる医療器具・薬剤、防具を持参して当院から現地まで車で向かいました。途中、地震による道路の地割れなどもありましたが、交通路は機能しており混雑することなく移動できました。

 石巻市に入ると建物の崩壊がところどころ見られましたが、営業している店も多く、ライフラインは復旧しておりました。はじめに石巻圏合同救護チーム本部がある石巻赤十字病院を訪問し、救護にあたっての説明を受けました。今回の石巻圏の医療活動にあたっては宮城県からの要請で赤十字病院が基幹病院となっており、他に大学病院、医師会も参加して医療活動を行っていました。石巻圏を14エリアに分け、被害状況に応じて数チームが担当する方針で、杏林大学病院チーム(多摩医師会)はエリア7に配属されました。エリア7は旧北上川東地区で被害状況がひどく、避難者778名、避難所8か所を管理しておりました。

 早速、エリア7に入ると周囲の環境は大きく変わり、崩壊している家屋や電柱、車が目立ち、ヘドロの生臭い匂いが漂っていました。周囲は瓦礫の片付けや復興による粉塵が舞っており、地盤沈下のため満潮時には冠水する状況が今もなお続いていました。道路や橋を使っての移動は可能でしたが、信号機はところどころ機能しておらず警察官が交通整理を行っておりました。エリア7の活動拠点である湊小学校に到着すると自衛隊の車やボランティアのテント、“希望の湯”という名のお風呂が校庭に並んでいました。湊 小学校には235名の避難者が生活しており、各教室を町内ごとに分けて6〜13世帯が生活されていました。ライフラインは復旧しており、廊下には食べ物や物資が並んで自由に使える状態でした。
この小学校の家庭科室に仮設診療所は設けられ、各机を段ボールで仕切って診察室4か所、薬剤部1か所、受付1か所をつくって診療を行っています。我々以外に長崎原爆記念赤十字病院、岡山県医師会が活動しており、ほとんどのチームは3〜7日間の滞在で次のグループに引き継ぎ医療提供を続けています。

 実際の活動は診療所での診療、他の避難所への巡回、ショートステイベース(短期入所施設)での医療活動でした。診療内容としては定期診察・継続処方が多く、粉塵による咳や喉の痛み、眼の違和感を訴える方も目立ちました。他に腹痛、不眠、深部静脈血栓、外傷などがありました。基本的に身体所見を中心に診察して薬剤を処方しますが、簡単な血糖測定、SpO2測定は持参した医療器具で対応しました。さらなる検査が必要と判断した場合は石巻赤十字病院外来を受診できるように依頼を行いました。診療所では小学校の避難者以外に自宅の2階でなんとか生活している住民やボランティアの受診も対応しています。

 他の避難所には週に1、2回巡回し、カルテと薬剤を持参して診療を行いました。避難所の環境に差があり、上下水道・電気が復旧していない場所もあるため生活環境として不十分と感じられました。ショートステイベースは避難所と入院施設の間に位置する施設でボランティア看護師が常勤して簡単な点滴は可能でしたが、環境的には避難所とあまり変わらない状況でした。我々が担当した時は、感染症患者と施設入所待ちの患者3名が入所していました。基本的にどこの避難所も消毒薬やマスクなどは十分確保されており、長期的な処方薬(30日分)も2、3日後には患者のもとに届けてくれるシステム(通称メロンパン)が機能していました。

 意気込んで医療活動を行うつもりで現地入りしましたが、震災発生から2か月経つ今の時期では必要とする医療も変化していることを教えられました。今は積極的に介入する急性期医療から地域完結型に戻す移行期であり、周辺には再開している医療機関や薬局もありました。受診した患者に対して診療を行いながら、今後通院できる医療機関の情報提供行うことが求められていました。しかし、エリア7は他のエリアに比べ被害が大きく、交通手段がまだ確立されていないこと、もともと医療施設が少なかったこともあり、長期的な避難所生活、医療提供が必要と思われます。 

 我々の活動としては従来の医療活動に加え、環境整備に努めました。避難者の精神的ストレス改善を目的にパーティションの提案、聞き込みを行いましたが、現状の生活に慣れていること、避難者が我慢強いことから、提案のみにとどめました。医療環境整備のため、診療所内に手洗い所を設け、診察室内にパーティション・カーテンを手作りし、家庭科室の棚を用いて医療品を整理しました。粉塵対策として従来のサージカルマスクではなく、N95マスクの啓発を積極的に行いました。

今回の被害は大きく、石巻地方の死者は4400人を超え、2か月が経つ今の時点での避難民は8759人(避難率5.38%)と報告されています(5月11日現在)。特に津波被害の恐ろしさを実感しました。復興への活動が始まり、仮設住宅の入居も行っておりますが、街の復興にはこの先どのくらいかかるか予想もできない現状です。幸いにして現場では医療需要はそれ程多くないと思いましたが、長期的な避難生活はまだ続いており、継続的な医療供給は必要で、今後、慢性的疾患・復興による健康障害・精神的苦痛に対する対応が必要と考えられます。全国から今回の復興に向けていろいろな職種・スタッフが介入しており頼もしいものがありました。避難所で過ごされる方々も苦労されていながらも和の精神と我慢強さで頑張っておられ、いつも「ありがとう」と言っていただいた言葉に強さを感じました。今後の復興にも応援していきたいと思っております。