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第39回Academia 外国語学部公開研究会 実施報告

第39回アカデミア(2010年5月19日(水)於E105教室)
未公開資料『陶情詩集』全訳注の試み—新井白石青春の軌跡を辿る—
                                       詹 満江

発表要旨
 江戸時代前期の儒者新井白石の『陶情詩集』は、白石の子孫の家に所蔵されているが、その全貌はいまだ公開されていない。白石26歳のときに成ったこの漢詩集は、その青年期の足跡を知るうえで、大変貴重な資料である。今回の発表では、全百首にのぼる作品の中から、訳注を施す際に苦心したものや若き白石の心境がよく表現されたもの、さらに白石父子が仕えた土屋家の所領である久留里藩における白石の消息が窺えるもの四首を選んで紹介した。土屋家の跡目争いに巻き込まれた白石父子は、結局、後継ぎになれなかった側についていたために、父は養老の禄を失い、白石は仕官禁錮の処分を受けた。白石21歳のときである。将来の展望がまったく開けないまま、白石はその詩の中で、「役目を終え、栄光の座から辞する秋の葉に対して恥ずかしい、いっそ江湖の波になろう(一生在野で終わろう)」と、仕官の志を果たせない悔しさと覚悟を詠じている。しかし、白石23歳のとき、土屋家の家督を継いだ頼直が素行修まらず改易となり、白石に対する処分も解けた。以後、白石の仕官の道は開け、26歳のとき、折しも来日していた朝鮮通信使に、その『陶情詩集』が評価され、製述官成琬から序をもらったことをきっかけに木下順庵の門下に入る。やがて順庵の推挙により、甲府藩徳川綱豊に仕え、綱豊が将軍職を継いで江戸城に入るのに伴い、白石も寄合となり、幕政に参与していくことになるのである。まさしく『陶情詩集』こそ、白石が今日にまで幕客としてその名を残すことになる出世の糸口となった作品集と言えるであろう。