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第51回アカデミア(外国語学部公開研究会)が開催されました

 6月26日(水)に第51回アカデミア(外国語学部公開研究会)が開催されました。

第51回アカデミア
2013年6月26日(水)於E107教室
発表者:高木眞佐子教授
題目:グローバル時代のアカデミズム−西洋中世の事例から−

(発表者による要約文)
 「中世」は英語でthe Middle Agesといい、複数形なのは初期・中期・後期中世があるためとされることが多い。しかし、西ヨーロッパの地図を少し押し広げてみるならば、ローマ帝国が東西に分裂してから、1453年にオスマン・トルコによって滅亡するまでの間、いわば古代ローマ帝国の正嫡出子として動乱の中一千年を生き抜いた東ローマ帝国の存在はあまりにも大きい。比すれば西ヨーロッパ諸国における中世は、異民族によるローマ文化継承の変奏曲にすぎなかったともみえる。つまり、Middle Agesの複数形とは、東ローマ帝国の中世と、やがて成立するフランク王国をはじめとする新興西ヨーロッパ諸国の中世—あるいはギリシャ正教とカトリックの中世—とも解釈ができそうだ。
 ギリシャ語を話しラテン語を操る東ローマ人—ビザンツ人—は一千年もの長きに亘り、領土を失ったり回復したりせめぎ合いを繰り返しながら時にイスラムに、時に西ヨーロッパに伝統との知の遺産を分け与え、グローバル化にも対応したが、ついには滅亡した。悪名高い十字軍が第四回遠征時にコンスタンティノープルを攻略し、ビザンツの遺産をイタリアに持ち帰ったことが、イタリア・ルネサンスの端緒となったことは西洋史において必ずしも重要視されてはいないが、文化遺産の大量流出という点からも、この攻略は東ローマ帝国が経験しなければならなかったグローバル化の実態を示す例として、もっと光を当てられるべきものであろう。
 ビザンツの高度な文明や文化は危機の場合、侵略を受けたビザンツ人が侵略者に差し出す対価としての役割を果たしていた。多くの場合、名もない外国人としか伝えられることがない西ヨーロッパ中世の職人の中にも、祖国を後にしたビザンツ人やビザンツ文化の継承者が混ざっていただろう。いずれにせよ、ついに亡国の民となったビザンツ人が異国の地で教師などをしつつ、言語や文化を中心とする自らの遺産を分け与えた行為が、西ヨーロッパが近代化する直接の端緒となったのである。

参考:第50回アカデミア

2013年7月2日
外国語学部FD委員会アカデミア担当
小林輝美

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