2007年秋に杏林大学大学院国際協力研究科を修了した徳田直史君から、『資治通鑑』の翻訳(第1冊「天下統一 戦国、秦 660頁)を刊行した旨の連絡とともに、謹呈本が届きました。これから4月下旬に第2冊(領土拡張 項羽と劉邦、武帝前期 712頁)、5月末か6月に第3冊(宣帝中興 約700頁)を刊行する予定であるということです。しかし約30冊の完成まで、あと10年はかかるようです。
徳田君になぜ、これほどまでに『資治通鑑』に固執するのか、を聞いてみました。以下は、徳田君からの回答です。
『資治通鑑』が北宋・司馬光の編纂によるものであり、戦国、秦漢から魏晋南北朝、隋唐五代十国までの年代記であるということは昔、高校で習いました。台湾では毎冊2万部というベストセラーになっていると聞いて、柏楊版『資治通鑑』を読み、あまりのおもしろさに衝撃を受けました。いま思うとこの体験がきっかけになったと思います。1983年が初版ですが、わたしは85年にまだ戒厳令下にある台湾で初めて読みました。その他にも別の版があり、それは柏楊版に対抗し、ある国立大学の教授陣による『白話資治通鑑』でした。書店に行くと、オヤジさんが面倒くさそうに奧の倉庫からだしてきて、買うなら値引きするからと勝手に安くしてくれました。見るとまだ完訳されていないはずなのに全12冊が揃っていて、第5冊からは出版日と価格が出版社によって潰されていました。「統戦工作」という言葉は、後に大学院の講義で学びましたが、どうも当時の国民党政府が著名な作家、柏楊氏に圧力をかけたもののように感じました。しかし、国民党政府のやり方は失敗していたように思えました。こんなことから『資治通鑑』は、単なる年代記ではない、翻訳する価値があるのではないかと感じたのです。
このように語った徳田君は、「作家柏楊と『資治通鑑』」をテーマに修士論文を執筆しています。おそらくこの時に、徳田君の心のなかで『資治通鑑』を原典から翻訳することの意味が明確になったものと思われます。柏楊版『資治通鑑』には、王朝が官製の歴史書として位置付けた『資治通鑑』に反乱罪で投獄されていた柏楊が獄中で新たな解釈をおこなったものです。「新たな解釈」とは、独裁体制を維持し続けている中国政治文化への批判的理解です。
徳田君が柏楊版『資治通鑑』から読み込んだものは、中国史を生み出す政治文化の源流であると思います。これまで『資治通鑑』の原典をもとにした完訳はされておりません。今後も完訳しようと考える人もでてこないでしょう。徳田君は、一生の課題として『資治通鑑』の原典からの訳に取りかかっております。完訳されるならば、徳田本『資治通鑑』は、中国文化を知る必読書として確固たる地位をもち存在し続けるはずです。
国際協力研究科 教授 小山 三郎
2014.4.1