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ワシントン大学(米国セントルイス)及びフーバー研究所(同パロアルト)への出張報告

杏林CCRC研究所
松井孝太


 平成26年10月15日(水)から24日(金)の十日間、ワシントン大学(Washington University in St. Louis)における国際シンポジウムMcDonnell International Scholars Academy 5th International Symposium: The Role of Research Universities in Addressing Global Challengesへの参加、及びフーバー研究所における資料調査のため、研究所の松井が米国へ出張した。シンポジウムは、人口高齢化問題などを主たるテーマとして開催され、多数のワシントン大学関係者や企業・政府・団体関係者に加え、16の国と地域の28大学から数百人規模の参加が見られた。松井は、シンポジウムを主催したワシントン大学マクダネル・アカデミーと連携関係にある東京大学の高齢社会総合研究機構からの派遣団とともに参加した。15日(水)午後に成田空港を出発し、同日夜にセントルイスへ到着した。

16日(木)
 シンポジウム本体の開会に先立ち、各国からのシンポジウム参加者とともに米国有数の歴史と規模を誇るミズーリ植物園(Missouri Botanical Garden)を見学した。昼食会では、ワシントン大学のBarbara Schaal教授(Dean of Arts & Sciences)による挨拶の後、各国の少子高齢化問題についてシンポジウム参加者との情報交換を行った。特に、香港大学老年研究センター(Sau Po Centre on Ageing, The University of Hong Kong)の副ディレクター兼同大学准教授のVivian Lou氏や、ソウル大学公衆衛生大学院(Graduate School of Public Health, Seoul National University)准教授のHongsoo Kim氏らと、日本、香港、韓国の医療・介護保険制度に関して意見交換を行った。同日午後よりシンポジウムが開会され、最初にワシントン大学のMark S. Wrighton学長から マクダネル・アカデミーの来歴と実績について紹介が行われた。また、日本でも広く報道されるように大学近郊のファーガソン地域で人種差別問題に起因する暴動が発生していることから、大学としても地域の問題を深刻に考え、地域課題への取り組みを積極的に進めていることが紹介された。
学長挨拶と同大学James V. Wertsch教授の挨拶に続き、複数の基調講演が行われた。まずTata Institute of Social Sciences(インド)ディレクターのS. Parasuraman氏が、開発途上国の経済発展において格差の拡大に対応し、公正な発展を実現するための「企業の社会的責任」(Corporate Social Responsibility; CSR)について講演を行った。次にInterdisciplinary Center Herzliya(イスラエル)のUriel Reichman教授が、大学の創設と経営に関する自らの経験を踏まえ、グローバル化時代の大学変革の必要性を訴えた。そこでは、個々人の能力開発と、専門分野を問わず幅広く科学技術の発展を理解させることの重要性が強調された。最後に、マサチューセッツ工科大学で物理学教授を務め、オバマ政権でエネルギー省長官を務めるErnest Moniz氏から、米国のエネルギー政策について講演が行われた。同氏によれば、経済、安全保障、気候変動の三点を中心にオバマ政権のエネルギー政策は構想されている。また、青色LEDがエネルギーの効率的使用に巨大な貢献を果たしたことを例に示し、人々の生活を大きく変えるような研究開発の重要性とリサーチ・ユニバーシティ(研究に重心を置く大学)の役割が強調された。

17日(金)
 午前中シンポジウムに出席した後、ワシントン大学のメディカル・スクール及び病院群を見学し、リハビリ専門職(physical therapy)大学院課程に関してプログラム責任者から情報提供を受けた。またシンポジウム会場ではポスターによる研究報告を随時閲覧した。
シンポジウムでは、はじめにWrighton学長の挨拶が行われた後、香港中文大学副学長のJoseph J.Y. Sung教授 の基調講演が行われた。Sung氏は、香港におけるSARS問題への対応で主要な役割を果たし、Time誌から「アジアのヒーロー」と称された経験を持つ人物である。同氏は、今後の公衆衛生(public health)における4つのチャレンジを指摘した。第一のチャレンジは、人口高齢化である。各国の人口ピラミッドは歪さを増しており、特に一人っ子政策が続いてきた中国において今後の変動は急激である。人口高齢化に伴って、認知症を患い、かつ合併症を持つ患者が増加する。それに伴う財政的な負担の増加も深刻である。WHOは、人口高齢化に対応するため、セキュリティ(所得保障等)、社会参加、健康維持を目的とするActive Aging Networkを進めている。第二のチャレンジは、高齢化と癌である。癌は高齢化に伴い増加する問題であり、とりわけアジアにおいて癌が社会に対して大きな負担(cancer burden)となっている。特に中国などの農村部では医療へのアクセスが不十分であり、プライマリ・ケアも欠落している。第三のチャレンジは、気候変動が健康にもたらす影響である。熱波、大気汚染の深刻化、食糧不足、人口移動などは、いずれも健康に大きな影響を及ぼし得る。第四のチャレンジは、SARSやエボラなどの感染症への対応である。Sung氏は講演の結論として以下の点を指摘した。①各国が直面している問題には類似性がある。②したがって多国間協力による研究努力が必要である。③実際のヘルスケア政策に影響を及ぼすためには、研究による知見が必要である。④研究資源を投資する場所を注意深く検討すべきである。
 続いてワシントン大学のPratim Biswas教授や復旦大学(中国)のYuliang Yang学長らにより、エネルギー問題や環境問題に関して講演が行われた。
以上の講演に出席後、ワシントン大学医学部DeanのLarry J. Shapiro教授の紹介により、同大学におけるphysical therapy教育プログラム(Doctor of Physical Therapy Program)を見学し、同プログラムの責任者であるGammon M. Earhart教授と、入試・採用・学生担当のSarah Rands氏より情報提供を受けた。physical therapistは日本における理学療法士に相当し、傷病により正常に身体を動かせなくなった人々に対するリハビリテーションの提供を行う職種である。同校の大学院プログラムは全米でもトップクラス(US News & World Report誌で第4位)であり、全米から学生が集まっている。最先端の研究と、豊富な臨床機会を活かした実践的な教育を包括的に提供しているのがワシントン大学の強みであるという。学生は、セントルイスだけでなく全米400か所以上の臨床現場で実習を行い、プログラム終了後は州の試験を受けてphysical therapistとしての資格を得る。学費は3年間で約10万ドル(約1千万円)であり、一学年80人に400人ほどの出願があるという。なお、同プログラムに出願するためには、数学、化学、物理学、統計学、心理学、解剖学、生理学などの科目を学部生の段階で履修し、かつ各科目のGPAが3以上(4が最高)であることなどが条件として要求されるという。GRE等でも要件が課されており、入学は非常に競争的であると言える。
同プログラム見学後、Shapiro教授からメディカル・スクールと病院群に関し説明を受けた。ワシントン大学には、米国中西部において有数の高度医療を担う病院群が集積しており、遠方からも多くの患者が訪れる。75以上の専門分野において1300人近いフルタイムのphysiciansが勤務しており、1500以上の病床を擁している。これは、米国の大学病院での臨床診療(academic clinical practices)において五本の指に入る規模である。大学と病院(Barnes-Jewish Hospital, St. Louis Children’s Hospital, Alvin J. Siteman Cancer Center他)は、制度的には独立しているが、20世紀初頭の病院設立時から実質的な連携関係にあり、Shapiro教授自身が病院のボードメンバーを務めているように、人的・組織的に密接な関係性を有している。同大学メディカル・スクールは研究水準も非常に高く、これまでに18人のノーベル賞受賞者を輩出している。

18日(土)
 Wrighton学長による挨拶の後、Science誌の編集長で地球物理学者のMarcia McNutt氏にから、地球規模課題における海洋の重要性と、海洋の様々な可能性と課題に関する講演が行われた。続いて、ワシントン大学のWilliam G. Powderly教授が、公衆衛生に関する学際的研究の重要性についての講演を行った。同氏によれば、公衆衛生は複雑な問題であり、HIVやエボラをはじめ健康問題もグローバル化しつつある。そのような本質的に国家を超える問題に対処するためには、政府、国際機関、企業、大学、NGO等による連携した行動が重要であるとした。またグローバルな問題のローカルな側面について、自らの所在するコミュニティにおいてリーダーシップを発揮することも、リサーチ・ユニバーシティの重要な役割であるとした。
 次に、ワシントン大学のNancy Morrow-Howell教授が、「高齢化社会における機会と挑戦」と題する講演を行った。Morrow-Howell氏は、ワシントン大学におけるジェロントロジー研究の拠点であるHarvey A. Friedman Center for Agingのディレクターも務めている。同氏によれば、人口高齢化を規定する要因は、出生率、死亡率、移民率の三つであり、少子化対策や移民政策などにより影響を受ける。高齢化時代のチャレンジとしては、所得保障、健康、環境、能力(高齢者に関する態度や期待)といった課題がある。それに対応して、security(所得保障等)、health(介護制度など)、participation(社会参加) が、active ageing を支える三つの柱として政策の枠組を規定する。また、国により人口高齢化のスピードや、健康寿命と平均寿命の差には大きな違いがあるため、多国間での研究活動を進めていくことが重要であるとした。それに関連し、ワシントン大学が既に各国の大学と進めている研究協力活動について紹介が行われた。その他、University of GhanaのErnest Aryeetey教授による、先進各国におけるアフリカ系移民の高齢者問題についての講演と、清華大学のBinglin Gu元学長による、中国における人口高齢化と公衆衛生問題に関する講演が行われた。
講演に続いてパネルディスカッションが行われ、フロアとの間で活発な議論が交わされた。香港大学の参加者からは、中国では家族による高齢者ケアが解体しつつあるなど、高齢者ケアは家族のあり方などに密接に関係する問題であり、文化的・人類学的背景をいかに国際的な研究に導入するのかという質問が提起された。これに対して、Morrow-Howell氏からは、文化的背景や文脈的要因なども含めて研究を行うことにより、まずはそれらが果たしている役割を理解することから始めるのが重要であるとした。また、ワシントン大学の経済学部教員からは、退職年齢の引き上げや途上国からの移民の導入によって高齢者ケアの問題に対処する可能性が提起された。これに対しては、そのような動きは現実にあるが、平均寿命が延びたとしても加齢により働けなくなる人は一定割合で存在し続けるため、退職年齢を一律に引き上げることで保護が不要になるわけではないとした。また、移民を導入することによって先進国の高齢化問題への対応を図る場合も、移民を送り出す側に別種の問題が生じる可能性などを無視すべきではないとした。
 昼食会では、米国環境保護庁のJanet Gamble博士が、人口高齢化問題と環境問題の交差について講演した。米国でも急速に高齢者が増加しているが、それまでの世代に比べて教育水準や所得水準が高く、政治的にも活動的である。しかし、人種・民族・性別などにより、健康水準には深刻な格差が存在している。さらに、高齢者は気候変動をはじめ様々な環境問題に対して最も脆弱な集団であり、自然災害の危険性が高い地域に高齢者が集中している場合も多い。したがって、高齢者の健康問題と環境問題は密接に関連しているというのが講演の趣旨であった。
 午後は、研究分野ごとの分科会に分かれ、大学間及び分野横断的な研究協力の推進において乗り越えるべき課題についてディスカッションが行われた。松井は人口高齢化問題の分科会に参加した。人口高齢化は本質的に分野横断的な問題であり、様々な分野の研究者による協働が必要である一方で、それぞれの大学・学部での業績評価においては、学際的研究が正当な評価を受けにくいという障壁が存在することなどが指摘された。

19日(日)
 シンポジウム最終日は、研究分野ごとに分かれてワークショップが行われた。松井は、人口高齢化問題を対象とするGlobal Aging Research Network Meetingに参加した。ワークショップは、ワシントン大学の公衆衛生研究所(Institute for Public Health)において開催された。はじめに、Center for AgingディレクターのMorrow-Howell教授と、同じくワシントン大学のStephanie Herbers教授による挨拶が行われた。
 一つ目のセッション「Cross-National Projects: Concepts and Current Work」では、ワシントン大学と連携大学の研究者による共同研究プロジェクトが紹介された。一つ目は、Carolyn Baum氏(ワシントン大学)らによるプロジェクトで、米国、シンガポール、オーストラリア三カ国のNational Stroke Registry Dataを利用し、脳卒中患者コホートの国家間比較分析とトレンド分析を行うことにより、脳卒中に対する効果的な介入のあり方を研究するものであった。二つ目は、Tammie Benzinger氏(ワシントン大学)らによるプロジェクトで、加齢に伴う認知能力の低下に関連すると考えられる脳の変化をニューロイメージングによって測定し、高齢者の行動に見られる変化との関連性を複数国において検証するというものであった。三つ目は、Guy Genin氏(ワシントン大学)らによるプロジェクトで、どのように適切な情報提供を行えば、患者による腱修復手術の意思決定を効果的に助けることができるのかを検証するというものであった。四つ目はEllen Binder氏(ワシントン大学)によるプロジェクトで、高齢者の股関節骨折と虚弱さ(frailty)の関連性に関する臨床研究を行う際の他国大学のパートナーを探しているとのことであった。五つ目はPaulin Straughan氏(National University of Singapore)らによるプロジェクトで、韓国、上海、シンガポールをフィールドとして、長寿と健康を促進する学際的モデルを構築するというものであった。
 二つ目のセッション「Family Caregiving: Cross-National Issues and Potential for Collaboration」では、家族による高齢者ケア提供に関する複数の研究の発表と、パネルディスカッションが行われた。一つ目はTerry Lim氏(香港大学)らによるプロジェクトで、米国、スウェーデン、中国を事例として、支援型(empowerment)政策と補償型(compensation)型政策の区別に着目しつつ、高齢者とその家族を支援する上で有効な高齢者政策のあり方を検討するものであった。二つ目はPriscilla Song氏(ワシントン大学)らによるプロジェクトで、上海とセントルイスにおける高齢者ケアの態様を文化人類学的に研究するというものであった。三つ目はVivian Lou氏(香港大学)らによるプロジェクトで、米国と香港における家族による高齢者ケア提供を、法的・制度的側面から比較研究するというものであった。その目的は、①所得補償型政策の特定と比較、②米国と香港の間での政策の移転可能性の検討、③有効に機能する高齢者ケア政策の構築において文化が果たす役割の検証であり、負担構造、支払形態、労働政策などに特に着目しているとした。パネルディスカッションでは、もはや経済的な意味で生産的とは言えない高齢者のケアに多大な資源を投入することの意義を問う根本的な疑問提起なども含め、非常に活発な議論が交わされた。
 三つ目のセッションの前に、ワシントン大学におけるアルツハイマー研究動向の解説が、同大学のDavid Holtzman教授(神経学)によって行われた。ワシントン大学はアルツハイマー研究において世界有数の拠点であり、日本のメディアでもしばしば取り上げられている。Holtzman氏は、アミロイドβなど現在判明しているアルツハイマー発症機序や、現在取り組まれているバイオマーカー特定及び抗体開発の試みを解説するとともに、家族性アルツハイマーの患者及びその家族の協力による研究ネットワークDIAN (Dominantly Inherited Alzheimer Network) の取組みを紹介した。
 三つ目のセッションは、一つ目のセッション「Cross-National Projects: Concepts and Current Work」の継続であり、ワシントン大学と連携大学研究者による研究プロジェクトが紹介された。一つ目はAaron Hipp氏(ワシントン大学)らによるプロジェクトで、高齢者のアクティブ・リビングの例としてのCiclovia運動を研究するものであった。二つ目はTimothy McBride氏(ワシントン大学)らによるプロジェクトで、特に米国と中国を事例に、人口高齢化の経済的負担や期待される政策効果などを予測するマイクロ・シミュレーション・モデルを構築するというものであった。三つ目はMitchell Sommers氏(ワシントン大学)らによるプロジェクトで、多くの高齢者が第二言語を日常的に使用しているイスラエルをフィールドとして、二か国語併用(bilingualism)が高齢者の認知的能力低下に与える影響を研究するものであった。
 続いて、人口高齢化問題をテーマとする新たな大学間協力の試みとして、ワシントン大学の協力のもとでNational University of Singaporeにおいて新たに発足するNext Age Instituteの取組みが紹介された。
 最後に、Morrow-Howell氏らを中心として進められている、高齢者ケアに関する国際的データセット整備の取組みと課題が紹介された。同氏によれば、クロスナショナルな研究は、高齢者ケアに関する各国のパフォーマンスの比較や、高齢化のどのような側面が国ないし文化特有のものなのかを明らかにすることを可能にする。そこで各国のデータセットを分析し、共通ないし類似の変数を利用することにより、これまでに米国、韓国、中国を含むデータセットを整備してきたという。ただし、類似した質問項目であっても、国や文化圏により質問内容が持つ実質的意味が異なっている可能性が存在するなど、既存データセットの活用には困難が多いことも指摘された。これまで見過ごされてきたデータセットの存在や、新規でのデータ収集の可能性、多国間・大学間協力の機会模索など、フロアの参加者も含めて非常に活発な意見交換が行われた。

20日(月)
 午前中にセントルイスを出発し、同日夕刻にサンフランシスコに到着した。

21日(火)‐22日(水)
 21日と22日の二日間、サンフランシスコの近隣、パロアルトに位置するスタンフォード大学キャンパス内に所在するフーバー研究所資料館(The Hoover Institution Library and Archives)において、米国の労働・社会保障政策とそれに関連する団体の資料を調査した。1919年に創設されたフーバー研究所は米国の公共政策に関するシンクタンクとして名高く、膨大な一次資料を保管しているほか、多数の研究員を擁している。今回の調査に当たっては、同資料館のCarol Leadenham氏らの助力を得た。

23日(木)‐24日(金)
 23日昼にサンフランシスコを出発し、24日夕刻に成田に到着した。
 
 本出張では、全米でも有数の研究水準と医療提供体制を誇るワシントン大学において、同校の医療施設や教育体制の情報収集を行うとともに、人口高齢化問題に関する世界的な研究動向の把握を進めることができた。また、高度医療を担う大規模大学病院を擁しつつ、地域的課題への貢献を重視しているという点において、ワシントン大学と本学の共通性も多く、有益な情報を多数得ることができた出張であった。