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金曜サロン:死生学4月17日 開催報告

 平成27年4月17日(金)杏林CCRC研究所分室三鷹コモンズにて杏林CCRC研究所金曜サロン「死生学」(以下、死生学サロンとする)が開催された。CCRC研究所所長の蒲生と杏林大学保健学部の下島裕美准教授を中心に、みたか・認知症家族支援の会の協力の下、年間で計10回の開催を予定している。死生学とは「避けがたい死を見つめて、今の生を充実させること」である。第1回目の死生学サロンでは「死生学の概念:生物と生命」をテーマに蒲生から生命の本質(生気論、機械論)などについて紹介し、参加市民の方々と活発な意見交換が行われた。

金曜サロン風景

金曜サロン風景

 古代から人間が生物として認識してきたものは多様であり、生物は「生きている=生命を有する」という属性によって無生物と区別される。生命とは生物の本質的属性として抽出されるものであり、生物と生命は切り離せないがそれぞれを明確な言葉で定義することは困難である。古代ギリシャの哲学者アリストテレスは、生物はすべてプシュケー(霊魂)を持ち、無生物と区別されると考えた(生気論)。一方で17世紀の哲学者デカルトは物理学や数学に基づく合理主義的(科学的・機械論的)世界観、自然哲学を提唱し近代的自然科学の先駆の役割を果たした。近代的生命観にはプシュケーの否定、ダーウィンの進化論や機械論的生命観(機械論)が含まれる。機械論では生物は物理・化学的存在である。生命も物理・化学的反応の連鎖集積であり、生体を構成する物質の解明や物質相互の代謝、そして代謝の連鎖などによる物質的要素の性質の加算として理解できる。
 それぞれの生命観における死については、生気論ではプシュケーの肉体からの離脱によって生物は無生物に帰る。一方で機械論では化学的連鎖反応の崩壊停止である。しかし、どのような化学反応または機能の停止を持って死とするかなどの疑問も残る。
 さらに、人の死生を巡る諸問題には遷延性意識障害(植物状態)や脳死、終末期医療における尊厳死や安楽死、出生前診断など多岐に渡る。人の死生について明確かつ共有可能な定義を形成することには困難が伴う。人の死生について意見を交わすためには、各自の理解と意見が異なることを尊重しあう姿勢が重要である。死は避けがたく、また経験として語ることは出来ない。しかし、夫々の思いや考えを知ることによって今の生を充実させられるだろう。

 従来行ってきた地域貢献活動の公開講演会は大学知の広報・啓発活動を目的として、講演者は檀上で市民と対面する形となり対話的要素が乏しくなる。金曜サロンではコモンズ活動として、市民と同じテーブルを囲み話題提供と意見交換することを目指している。同じテーブルを囲むという性格上、参加人数は制限されるが意見表明は活発となり、相互理解は深められる。今年度の金曜サロンでは「死生学」をテーマに取上げた。人の生命観や死生観について市民と共に勉強する機会を持つことは、本学COC事業のテーマに掲げる「新しい都市型高齢社会の未来像」を模索する中で、貴重な場となることが期待された。

杏林CCRC研究所
相見祐輝