Vol.1 遊びにおいで

最近の学生は、本を読まないとか、漢字を書けないとか、あまり評判がよくないけれど、コミュニケーション能力に関しては、私が学生だった数十年前に比べると、はるかに優れているのではないかと思う。

私が大学生だった頃、教授がときどき、「研究室にも遊びにおいで」などと言ってくださることがあった。今思えば、いろいろお話をしてくださったに違いなく、行けばよかったなあ、聞いておけばよかったなあ、と思うのだが、あの当時、そんなこと言われたって、研究室なんぞ行くもんか、と思っていた。

どうしようもなくて行くことはあった。単位を落としそうだとか、レポートの提出期限を間違えたとか、そういうときに、「申し訳ありません…」などと言って、研究室のドアをたたいた。そうして、なるべく早く退散する機会をうかがっていた。

緊張する。何を話していいか分からない。どうせ勉強しろと言われるにちがいない。どのように時間を持たせられるか分からない。ともかく、大学の先生なんかとコミュニケーションをする、気楽に会話をするということなど、およそ出来なかった。学生の私は、コミュニケーション能力が極めて低かったのだ。

ところが、今の杏林の学生は違うのだ。「研究室に遊びにおいで」と私がひとことでも言うと、彼らは本当に、『遊びに』、来るのである。

「退屈ウ」、「せっかく来たのに休講だったア」、「さっきの授業よくわかんなかったア」などと言いながら、三々五々、彼らはやってきて、部屋でひとしきりおしゃべりをして、また去っていく。その間、なんとなく時間をつぶしていく。私も面白いので、適当に相手をする。とくに、最近の若者ことばなど、彼らから仕入れることも出来て、研究にも有益であったりする。

人は相手によって、状況によって、いろいろな言葉遣いを使い分けなければならない。日本語はそこに敬語というのがあるので、とても面倒くさい。しかし、彼らは、じつに適切に、ことばを使い分けられる。相手の教師によって、話し方を変えることが自在に出来る。失礼ではないぎりぎりの辺りの言葉遣いで、気楽に時間を過ごせているらしい。そういうことが若い私には、とても出来なかったように思う。

偉いなあ、と感心してしまう。ただし、他の先生からは、「要するに、なめられてんじゃないですか?」と言われた。そうだろうか。今度彼らが来たら、確かめなければならない。

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